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ダイヤのにせものの方が輝く理由


久しぶりに死にたいと思った。生きる価値の無い屑だと思った。そんなことをうじうじと考えている時点で救いようの無い馬鹿なのだと思った。詰まらない人間だと思った。わたしという人間は、周りを不快にする為だけに生まれてきたのだ、きっと。6月9日

と云う文章がメルボに残っていた。骸さんの誕生日に、わたしは鬱々していた。…らしい。最近日記も記していなかったから、何がいつ起こったか分からないのである。

自分ばかりが不幸だと思うのは、正しいことではないかもしれないけれど、けして悪いことじゃないと思う。

自分ばっかり不幸面して、世の中にはあんたよりも不幸な人が云々と言う人は、所詮第三者であって。不幸の渦を絶対安全な天界から眺めている人か、自分も不幸であると言いたいのに言えなくてお前は何故そうやって不幸を口に出来るのかと羨む人じゃないのかと、わたしは思っている。気を悪くした人がいたならすみません。だけれど、だって、不幸の中心にいるその人に、周りを見る余裕なんて、あるわけないでしょう。Aから見れば馬鹿馬鹿しいことでも、Bからすれば自殺したくなるようなことであるかもしれないでしょう。考え方も物事の捉え方も、人それぞれ背景が違うのだから、映える色は異なるに決まってる。

何を言いたいのか分からない、論点がズレる癖を直したい。

電子レンジがつくる僕の夜ご飯


こんばんは。約一ヶ月振りの更新で、どうも久々、ちょっとブログとは何を書くものだったかと、忘れてしまった。思うことは沢山起きて、文にしたいということも沢山起きて、だけれど中々ブログに行き着かなかった。何でだろうねえ、どうしてだろうねえ。故人の声や仕草はさらさらと砂の城みたいに瓦解していくのに、生きてる人の声や仕草は何年も会っていないのに簡単に再生出来る謎に似ている。

最近よくぼーっとしている。買い物の時に財布じゃなくてふでばこ取り出しちゃったり、日本語を理解出来なくなったり。特に最後の、結構ひどくて、テストでも問題の意味を取り間違えたし、指示されても何を指示されてるのかちゃんと聞いているのに分からないし、ほんとう、何かの病気なんじゃないのって思うくらい、誰か助けて。コミュ障とばかり笑ってられない。

他大学受験するって言ったらおかしな目で見られるわたしの学校は、正直、受験のバックアップ体制なんてもの整っていなくて。担任に相談する気にはなれなかった。進路の記入用紙書いてたら背後からかなり覗き込まれて、不快だった。埋まりたかったホームルームの時間。
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