さてはこの先はどうなるとかの問題以前に、これまでの失態や悪態によって構成されているのではないだろうかと、思うようになりました。ここまで私を支えてくれた友人よ、我が浅はかなる繋がりを許してはくれまいか。島袋であります。




権力だの地位だのと立てる前にやることが御座いました。感謝であります。ここまでの究極の貧困を見事成る程に手を差し伸べてくれるのでございます。あぁ、人は何時だって優し過ぎるのです。




アンダーグラウンドをただひたすらに走り抜けるわたくしで御座いますから、街行く人は嘸、使い捨ての牛乳パックを見下すかの如くの鋭くも柔らかい哀れみを含んだ眼差しで私を見ているというのに。





睡眠を忘れてしまった私は只々瞑想するのです。五体満足に産まれた私は四肢が動かなくなる程に労働し、そして朝方悩みと反省を荷物に重い足取りで帰宅する。この疲労は昨晩からの連なる睡眠不足からなるもので、一度眠りに就けば8割方どーでも良くなっていて。其れどころか夢の中の仕合わせであった不都合の彼是の幻想に脳内のドーパミン達が騒ぎだす、それを糧に今日もまた労働者として五体をテキパキと動かすのでございましょう。それがわたくしが自分自身に出来る最善の荒治療であります。




喧しい烏は今朝もお元気で。