スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

鐘鳴りて





また一つ歳を重ねる事をこんなに喜べる私と世界は本当にどこまでも幸せで平和なんだと改めて実感致しました。島袋でございます。








あの街で生きている友人たちからのメッセージ受けました。有難う。本当に心の底から感謝致します。神のご加護があらんことを。








また突然の訪問者にも大層驚かせて頂きました。サプライズ(Surprise!)。とても幸せなひとときとカブトエビの観察キットを有難う。私は生まれてきたことは正解だったんだろうと身に染みて実感しました。








全ては無駄ではないのです。全ての事に意味が有るのでした。そうです、走り出した人生は止まることを知らずにまた明日を誘っては今日を追い抜いて行くのでしょう。弁当のおかずは故郷の味。薄味派の家庭で育った私に塩分は少しばかり辛すぎたのでしょうか。








人々に触れて矢張り、私は強くなるのです。身体的には絶好調。ならば精神の脱皮も難関ではなかった。昨日の私を成仏させることは容易でありんした。








人のために尽くす。これ私の生きるモットー故、ここから先は私の力量次第でどうにでもなるのだと、彼はそう教えてくれていたのでしょう。気付くのが遅くなってしまってかたじけない。いいえ、私は私なりに私を生きようと必死だったのです。許してね。








さて、明日はもうてっぺんが見えています。健やかに夢を見て、また明日私は私なりに努力し輝きたく汗水時たま涙を流しては死ぬ気で1日を生きるのです。








さらば、今日!
明日とともに、戦うことをここに誓おうぞ。









御用改で候




空はチカリチカリ光っては鈍い音で地面を鳴らす。雨でも降ってくれていたら、この憂鬱と共に街の汚れを洗い流してくれたのだろうか。ご無沙汰、小野寺でございます。




昨日今日と私の行動範囲の狭さに驚いております。英文で物語を記したり、はて人様の脳内小説とやらに現を抜かしては惰眠を貪り食らうのであります。



成人になりまして。
20歳最後は少しでも私らしくありたいと、早朝に起床しまして色々行動いたしました。先ずは厠を洗い流したのでございます。綺麗、綺麗。




さて、私は相変わらぬ日常を過ごしております。これからも淡々と、毎日呼吸をして自分に酔い、生きて行くのだろうと思います。



友人が我が家を訪ねてくるようだ。この雷雨の中、さて無事を祈るばかりでありんす。




さようなら、私はまた明日、私になる。




グルーミング、帝園




とうとう辿り着いた。これが堕落の果てだろう、とそう気付けば口ずさんでいたのです。それはそれは悲しい出来事、小野寺でございます。





こんなに人間で溢れかえっている世の中で一番悲しきことは、その人間に信じてもらえないことなのです。ああ悲しきかな、悲しきかな。私はこの意思疎通の不条理を嘆いております。




これではフェアじゃない。私は信じることを辞めました。こればっかりは、もう口にしてしまえば怨念を呼んでしまうだろうな。良いのです。私は私を愛しているのだから。




要りません、何も。欲してはいけない。贅沢は敵だ、欲しがりません勝つまでは。そう彼のお偉方も喚いております故、1人で1人を堪能することをここに誓います。




さぁて、夏は最早両足を揃えてそこまで来ております。私の本気は何処?身体は動くのに心が全く無表情で。処方されたし薬はよもや効力を失いつつあるのでせう?何も要らない。自然治癒、我が家の家訓でござらんしょう。



死ねよ、みんな。はしたない言葉が脳内、胸中を支配してしまうのです。それはいずれ溢れ出ては態度にチラチラと露見してしまう。そうやってまた一つチャーチのそのまた底辺を私は呼吸を止めて渡るのです。苦しい、なんとも生き辛い世の中を歩いているのです。




どうぞお好きに。
但し、私のことは放っておいておくんな。






前の記事へ 次の記事へ