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2024.03.10

この部屋に引っ越してきて、早1年が経ちました。
時が経つのは本当に早いものですね。なんだかんだで、新しい生活も慣れて、ペースを掴んできたように思います。 
この一年、いろんなことがあったんですよ!
一番のニュースは、私が妊娠したことでしょうね。2024年1月に妊娠がわかりました。
新しい命が自分の中に宿っていると思うと、なんだか不思議な感覚です。
年明け早々に、出血をしまして、即自宅安静となり仕事を休職せざるを得ない状況となりました。
約3週間の休職期間を経て、復帰したはいいものの...つわりで体ががたがたでした。食べられないし、飲みものも水か、グレープフルーツジュースしか受け付けないということに。そしてつまりは体重がどんどん落ち始め、妊娠前は46kgあった体重が40kgを切ってしまいました。なんとまあ、ガリガリな私!
旦那さんや家族が心配してくれるけれども、一向に食欲はでないまま...。
そして仕事復帰をして2日後、夕方に大量出血!!!慌てて病院に連絡をして、すぐさま向かいました。
今まで見たこともない、体験したこともないような量の出血を見て、正直なところ、お腹の子供はもうダメだろうと思いました。診察を待つ間に手持ちの携帯で色々と調べると、切迫早産とか言う文字ばかりが出てくるんです。
血液の塊も数個あったので、その中に赤ちゃんがいたかもしれないな...拾っておかなきゃだったかな...。とか、色々なマイナスの結果が頭の中をぐるぐるまわって、泣き出してしまいそうだった。
診察をして、その後経膣エコーをしてもらって、赤ちゃんの状態を確認してもらったの。
赤ちゃんは、元気いっぱいだった...!ああ、生きていてくれた!とすごくすごく安堵したのを覚えています。
心拍も安定していて、赤ちゃんの経過は問題なかった。
しかし、これからまた出血が大量にある可能性が高く、症状から見て【絨毛膜下血腫】という病名がつきました。
切迫流産や早産のリスクが高く、出血がいつ止まるかもわからないという。
経過をゆっくりと長い目で見ていかなくてはいけない状態だと先生から説明を受けました。そして、そのまま病院に入院となり、私の長い入院生活が始まりました。
入院中は基本的に安静入院のため、ベッド上での安静となります。動いたりできないため、暇で暇でたまらなかった。
しかし、つわりもピークを迎え、吐きづわりによだれづわり、眠りづわりに頭痛がして、歯磨きもえずいてうまくできなかった。食事もろくに食べれず、体重も減る一方でした。地味に頭痛が辛かった。
長い間本も読めないし、テレビもずっと見ていたら疲れるし、アマゾンプライムも長い時間は見れないし...。
世の中の妊婦さん、経産婦さんはこんなにも辛いつわりという試練と苦難を乗り越えてきたのかと思うと、本当に尊敬します。私は途中で何度もめげてしまいそうになりました。きっとみんなそうだよね?だって、つわりがあんなにつらいなんて知らなかった。これは体験してみないとわからないことの一つだと思う。絶対、想像では分からない。
病室はすべて個室だったから、ひとりぽつーんと居て、かなり寂しかった。母親がお見舞いに来てくれたりするのが本当に嬉しかったんです。帰ったあとは、ひとしきり寂しかった。寂しさ倍増どころではない。孤独!
隣の病室の人の生活音?物音がかなり激しい人で、びっくりしながらもなんとか乗り切りました。どうやったら、あんなにもうるさくできるのかが私にはわからなかった。生活音とか、立てる音がいちいちすこく大きい人っていますよね?
きっと自宅でもものすごい大きな音を立てながら生活しているんだろうな、とか考えたりしていました。
話がそれてしまった。
退院を2月末にしたんですよ。まだ自宅安静なんですが、やっぱり自宅はいいですね。居心地がいい。でも、自宅でも動いてはダメ!入院していたときのように過ごすようにと言われているので、行動は制限されているんですがね。

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