さて映画公開がいよいよ明日になりましたね!23・24日で連休頼んだら、ついでに2日追加して4連休にしてくれるという奇跡を確保しました(笑)ガッツリと映画館に通いつつ、おっさんずラブに染まりたいと思います。

連ドラ版考察の重要な部分を書いておきましょう。視点というか目線というかなんですけど、このドラマ、それが複数あるんですね。ドラマですから、視聴者は『視聴者目線の客観』で見ているのでいいんですよ。それが普通です。作中で心の声が乗るのは春田さんのみですから、『春田創一目線の主観』で描いているシーンも多く、視聴者は基本的に視聴者目線か春田創一目線のどちらかに寄るものと思います。もちろん春田さんの登場しないシーンもありますから、そこは客観で見てらっしゃるかと思います。

ある日、僕は部長に告白された。
このコピーの『僕』が春田創一であり、メインビジュアルで中央に立っているのが『僕』であることは未視聴の人でもだいたい分かるかと思います。このコピーは春田創一目線なんですよ。

ヒロイン:黒澤武蔵
ライバル:牧凌太
この部分がね、すっきりしなかったんですよ。春田さんから見て部長は上司なだけで恋愛感情は最後まで無かったし、春田さんから部長をヒロイン扱いはしてないんですよね。視聴者的にも部長より牧君推しの人の方が圧倒的に多い結果ですし、特に5話以降の視聴者目線ならヒロインとライバルの関係が逆っぽくないですか?
この部分、部長目線ですよねこれ?「お前が俺をシンデレラにしたんだ」もありますし、部長は自分をヒロインとして牧君をライバル視している、そういう構図っぽいですね。要するにメインのキャッチコピーが春田創一目線で、ヒロイン・ライバルの構図が黒澤武蔵目線である、ということになる気がする。
私が見てたのは武→牧←春の方なので、それを武川さんの目線で見たら
ヒロイン:牧凌太
ライバル:春田創一
であるように思う。私そっちの方がすっきりするわ。

↓ごく簡単に説明すると、視点(目線)とはこういうことです。

客観(視聴者目線):
春田創一は牧凌太が作った唐揚げを食べた。

春田創一目線:
俺は牧が作ってくれた唐揚げを食べた。

牧凌太目線:
春田さんは俺が作った唐揚げを食べてくれた。

シーンそのものは変わりません。誰の目から見るかという、視点のみが変わります。二次創作小説を書いている方だと、これがすっとできる方も多いかと思います。始めは客観的に原作を見て、二次創作はキャラクター目線で書いてる作品も多いですからね。
何も小説を書くとか難しいこと考えなくても、写真を撮る時とかに使えるテクニックですね。例えばお父さんが小さな子と手を繋いでいる姿をお母さんが写真撮ろうとすると、2人の全身が収まるように普通に撮ることが多いかなと思います。子供を見下ろすようにお父さんの目線で撮ってみたり、逆にお父さんを見上げるように子供からの目線で撮ってみたりするのもありですね。被写体はそのままでカメラが移動します。そんな感じだと思ってください。

おっさんずラブの場合、これがかなり極端なんですね。何でかっていうとドラマが別れで終わるからですね。春田家は元々母と創一の2人暮らしで、お母さんは出ていっちゃって1年以上帰ってきていませんね。ATARU君と上手くいっているんだろうと思われます。海外転勤で創一も出ていくと、あの家はどうなりますか、って話です。16年版みたいに賃貸ならあまり深く考えなくてもいいのでしょうが、戸建てになってますからね。ラストシーンで家の中の物が全部そのままなので、家を残すことは確定なんです。じゃあ無人になるあの家どうするんですか。
・牧君があの家に住んで留守番する
・留守にしておいて、時々掃除とかしに行く程度
おそらくこのどちらかと思われますが、それも語られてないんですね。プロポーズから上海出発まで丸々1ヶ月すっ飛ばされるので。お母さんがATARU君と上手くいってるとしたら、別れて帰ってこいっていうのは暴論ですし。営業所に移動になって実家から通うのが困難になったから1話で牧君は部屋を探していたわけで、その点もあるから春田家に住んで留守番するのではないかと個人的には考えます(ちなみに劇場版では本社に戻っているので、春田家から通うとかなり遠くなる。春田家のある立川市から東京タワー周辺まで、往復3時間)。空港で見送るシーンで終わるとかなら、ここまで深く考えさせられなくても良かったのかな…。家の中の物が全部そのまま、って点が、私には恐ろしいんですよ。

『ドラマのその後の春田家』がどう見えるかには3パターンあるんじゃないかと思います。
[春・牧]
↑ブラックアウト直後または春田さんが日本に帰ってきた後をイメージするとこうですね。これが客観的な視聴者の視点。ファン的に1番幸福度の高い状態ですね。
[牧]
↑春田さんからの視点だとこうなる。元々異性愛者なので、『男は外で働くもの』と思ってるだろうし、新規プロジェクトに抜擢されたことで仕事に意識が向いちゃってる状態ですよね。18年版には無いんですが、16年版の「仕事で遅く帰ってきても美味しいご飯で迎えてくれて」というセリフから、彼女や奥さんに家で待っててもらって「おかえりなさい。ご飯できてるよ」って迎えてもらうことを思い描いてたんでしょうね。牧君が家で待っててくれるってことに安心感を持つのかもしれない。…ところが海外転勤の話がまだ出ていなかった16年版時点でハセは「理想高い」と否定しているのです…。
[ ]
↑牧君の目線から見たらこう。私に強く見えるのはこれです。「ずっと一緒にいたい」って言った当の本人がいなくなった無人の家を見続けることになる、そんな終わり方をハッピーエンドと言い張る、公式も多くのファンも皆怖い。
春田さん目線だと仕事で認められて新規プロジェクトに抜擢されて、出ていっちゃった牧君は帰ってきてくれて、いいことだらけだからハッピーエンドに感じるのは理屈では理解できるんですよ。おおよそこの3パターンになるかと思いますが、誰の目線で見るかで視聴者の幸福度にも大きく影響が出るのが怖い作りよ…。これ以上詳しくは書かないでおくけど、トラウマがひどすぎて心身やられてるし、視聴者全員が幸せになるドラマだなんて思わないでほしい。

結局の所、『物語を理解する上で絶対に必要な部分(プロポーズ後〜上海出発前)』がすっ飛ばされるので、どう解釈するのが正解なのか分からないんですよね…。作中のどこを切り取って見るかでも全く解釈や感想って変わるし。隠しストーリーも出てくるし、私達が見てたあの全7話ってそもそも『ダイジェスト版』であるように思うわ。
武→牧←春の方を主軸に見る人じゃないと分からないかもしれないけど、武川さんが言ってた「あいつは本社勤務で俺は営業所勤務。生活のすれ違いが原因だった」は『牧凌太に寂しい思いをさせてはいけません』という『牧凌太取り扱い説明注意事項』であるように思うんだけど、「1ヶ月後、俺は上海へ発つことになった」の時点で破局フラグが立つんですよね。この間放送されたダイジェスト版だと「生活のすれ違いが原因だった」をカットして巧妙にごまかしたな…。武川さんと牧君の破局原因が100%生活のすれ違いが原因なら、挽回する所無いですからね。悪いことがあった前例と同じことを繰り返して、どうして同じことにならないと言い切れるのか。そのためには補正をかける部分が必要なのに、無いから同じことになるっていう解釈になる。と言うか、『悪いことがあった原因とその結果』が前例として提示されて、これと同じ(状況はむしろ悪化させている)ことをしたのに前例とは違う良い展開になるとしたら、『一般的な物語の読み方や書き方』とは違うイレギュラーな展開になるので、突飛すぎて理解が追い付かない。テストやクイズ番組で例題が出されたら、それと同じまたは発展させたパターンを使うのって普通のことですよね…?こういう型にはまった物の理解をする人間から言わせてもらうと、このドラマ本当に戸惑うんだわ。ハッピーエンドになるためには補正をかける必要があるから東京に残る結末になると思ったのに、違う時点で大パニックですわ…。バッドエンドルートを踏んじゃってるから、ここから挽回できる部分を探さないといけないんですね。『どう見てもどう聞いても何も無い』んですよ。プロポーズ後の1ヶ月がすっ飛ばされるので、その間にどんなことがあったのか何も語られない。『武川さんの話を理解しておらず、同じ過ちを繰り返している』というバッドエンド解釈を消すことができないんですね。6話後の1週間経験してるんですよ。こんな難しい話をちょっと見た程度で理解できるほど頭良くないから、本物の地獄はプロポーズ後から始まったんだわ。この『どう見てもどう聞いても何も無い』中から探さないといけなかったから、そりゃ感覚鋭くなるわよ…。
ひたすら読解力を磨いて全7話を掘り下げていくと、物語全体があることで一直線に繋がる現象が起きるんですわ。脚本が本当に見事ですね。おそらくそれが答えだと思うので、映画公開後にまとめようと思います。

牧君も武川さんも春田さんも、『形』って言葉を口にするんですね。牧君にとっての『形』って『一緒に暮らす』ってことだと思う。武川さんは潔癖症で他人と一緒に暮らすのを嫌がってるし、春田さんは『形』が先にあったのに、何でそれを無くす終わり方でハッピーエンドなのか。武川さんは手遅れになってから「あんな過ち」って気付いてんのに、何で同じ過ちを繰り返す終わり方なのか…。わざと分からないように喋ってもらってるだろうけど、武川さんが言ってることって正確には「本当に愛し合ってたら、わざわざ、結婚なんて『形』にこだわる必要無いだろう」ってことに思う。
飼ってる猫に愛情注いで撫でて可愛がってたって、ご飯あげるっていう形が無かったら死んじゃうの当たり前じゃない。餓死する前に食べ物探しに出ていくと思うし、愛情くれなくてもご飯くれる人がいたら、愛情くれてご飯くれない人の所より居心地良くなるの当たり前だと思うけどね。「お父さんいる時に連れてきたの初めてじゃない?」って話から、春田さんの前に連れていったのは2人以上いることが読み取れる。長続きしてない恋愛を繰り返してるのって、こういうことだったのかな…。

確かにこれ、春田さんが主人公で、心の声が乗ったりするのも春田さんだけで、それを牧君の視点で見るっていう特殊状態に入ってるから、私には多くの方とは違う見え方するんだわ。これマジな話で脚本がそういう作りになってる。隠しストーリーとかあることも1年以上前から知ってた。先に書いた複数の視点を脳内でくるくる回して見てる状態ですね。小説の読み書きに慣れてる方じゃないと無理かもしれない。ただ、『目から入ってくる情報と耳から入ってくる情報が異なるように作られている』という特徴もあり、だいぶ後から知ったけど乗り物酔いと同じ原理らしいんですね。複数の視点を操りつつ目と耳の情報のズレを処理したりするんで、はっきり言って酔います。作家志望の方や趣味で小説書いてる程度の素人には本気で研究してみるとすごく勉強になるけど、乗り物酔いや映像酔いしやすい方は気を付けて。

さて、まずは劇場版公開もいよいよ近付いてきまして…。舞台挨拶中継もチケット確保したけど、意外と全然席埋まらないですね…。特茶のはるたんタオルは入荷して数時間で無くなったらしくて貰えなかった!
ミラクル9で100万円獲得おめでとうございます!