Twitterではまだ毎週集まりつつ○話ってカウントしてる人達がいるんだね。自分は突然『違うもの』にされてしまってあの日始まった地獄はまだ終わらないのに、あの人達はキラキラしててなんか羨ましいなとは思う。同じもの見てたはずなのに、何でこんなことになってんのかね。

18年版おっさんずラブ、世間的には評価高いんだけど、個人的には『プロが作ったとは思えない雑さ』が気になった。匂わせるだけで詳しく語られないまま終わる、設定の矛盾など。そういう点ではunknownで指摘されていた批判と似たところではあるのかな?所々くらいしか見てなかったけど。
18年版はラストの映像とBGMがああだから、パッと見はハッピーエンドに見えるし、作品のファンからも『多幸感』ってことはよく言われている。
これはよく言ってることなんだけど、『悪いことがあった前例とその原因』っていうのが作中で語られてるんですよ。『生活のすれ違いが原因で別れた』という前例があって、補足が入るようなシーンも無く海外転勤に行ったらダメだと思う…。海外転勤を辞退させてもらって営業所に残れば、一緒に暮らして同じ職場に通うから生活のすれ違いは起きないし、だからあの終わり方理解できないんだ…。1ヶ月分丸ごとすっ飛ばされるから、『どうとでも解釈できてしまう』。前例を理解してなくて同じ過ちを繰り返してるのか、理解した上で関係が上手く行ってるのかどちらにもなって箱を開けてみないと分からない。『シュレディンガーの猫』ってやつ。留守になる家を預ければ強制的に家に帰らせつつ、他の男からも隔離できる状態なので、なんかドス黒いものを感じる。牧君出ていこうとすると泣いたりキレたりして引き留めようとする姿もあるし。結婚すれば単身赴任になることもまああるんだろうけど、「ただいま」「おかえり」のシーンの後だからね。つまり誰もいない家に帰って「おかえり」って言ってくれる人がいない生活が始まるってことを、あのハッピーエンドっぽい映像とBGMで隠してるから残酷性高いと思うけどね。視聴者への配慮って意味では優しいのか?うーん…?個人的には『あんな怖いもの初めて見た』って印象だけど、世間の多くの人は喜んでるから人の感じ方って分からんもんだね。仕事と恋の両方手に入れた勝ち組に見えるから幸福感高いんだろうけど、『途中で聞いた話』と照らし合わせると「???」となってしまう。『頭で理解していること』と『映像やBGMの印象』が大きくかけ離れているので、情緒不安定になる。
unknownもハッピーエンドっぽく見せてるけど、あれは過去の映像で事件そのものが無かったわけじゃないってことでしょ?暗いものを明るい映像で隠して終わるのは、おっさんずラブと似たところではあるんじゃないですかね…?テレビ点けてラストだけ見てしまって「は?」ってなりながらTwitter見に行ったパターンだけど。最近ドラマ業界はテレビ放送+有料でスピンオフ配信も多い。『ちょっと利用するだけなのに、あっちこっち登録しなきゃいけないと総額数千円になる』というサブスクに「うーん…」ってなって、ざっくり見る程度に留めてる。真剣に見てまた何かあってもあれなので、話よく分かってなくても「まあいっか」程度に。

そういえば、家族から「○○やっておいて」って頼まれたりして、その場では返事してるはずなんだよ。後でやろうと思ってそのまま忘れてたのか、「頼んだのにやってくれてないじゃん!」ってなることはよくあるわ…。それと同じことかな?話を聞いたはずなのに記憶から抜けてたんだな。よく考えてみたら自分の記憶力もそんなもんか。前の職場ではメモ帳と付箋とボールペンを常に持ち歩いてたからメモを取る癖あった。仕事は真面目にやってたと思うけど、記憶力じゃなくて『記録力』を使ってたのか。自分の頭だけで覚えておこうと思っても限界があるから、メモ帳や付箋に『自分の代わりに覚えてもらっている』状態。こう言うのはあれだけど、家のことって給料出るわけじゃないから仕事ほどちゃんとは聞いてないんだろうな…。家ではすぐに紙とペンがある状況ばかりじゃないし。重要な内容はメモするけど、それほど重要じゃないと思ったら後でやろうと思ってるだけで抜けてるのか…。
ましてドラマやアニメの感想って、SNSやブログとかに逐一書く人の方が僅かだろうな。放送を普通に見るだけ、ネット上で他人が書いた感想を読むことはあっても自分では書いてない…。そんな人は山程いるだろうし、『メモを取らずに聞いた話の記憶への定着力はそんなもん』ってところなのかな?クイズ番組は好きでよく見てるし、見たその時には「へー、そうなんだ」って覚えたつもりになってるんだよ。しばらく経つと「この問題よく出るやつだけど何だっけ?」ってなってる。興味が無い分野の話は、何度見たところで記憶としては定着してないって感じだな…。放送を普通に見てるだけで、メモを取ったりとかしてるわけじゃないから。そう考えると、私が散々突っ込み入れてる武川さんの話が記憶に無くてラストで喜ぶ人が多いのは、『人の記憶力なんてそんなもん』なのか。直感的にとしか言いようがないけど、「これ元カレとか出てくるやつだよね?」って1話のうちに思ってたから、別れた原因って話は個人的に重要度高い。
自分は気になった部分を言語化してブログにメモを取っている状態なんだな。メモを取らずに普通に見ているだけの人より、記憶への定着力が強くなりつつ抜けなくなっているんだろう。はっきり言ってしまえば『たかだかドラマの話』なんだけど、世の中の多くの人達とは『違うもの』になってしまったのはこういうところか?

例えば、ティッシュ買わなきゃと思って買い物に行って。
「これ美味しそう」
「今日これ安いから買っておこう」
「こんな新商品発売されてたんだ」
とかっていう『良い情報』を店で得ちゃうとそれで満足しちゃうのか、家に帰ってから「ティッシュ買ってくるの忘れた!」とか…。買う予定の物があって買い物に行ったはずなのに、違う物買って肝心な物買ってくるの忘れたことなんて何度もあるね…。店にはたくさんの商品並んでるから、目移りもするんだろうね。『後から得た良い情報』って、先に持ってたはずの記憶を消し去っちゃうもんなんだろうな。人の記憶力なんてそんなもんなのか。何買うかをあらかじめメモして持っていくのが、余計な物買わないためにも有効だろうな。
おっさんずラブの作りってそんな感じか。「途中の記憶抜けてない!?」って感じするけど、ラストをいい感じに終わらせてるから、大半の人は気付かずに満足度高く終わるもんなのか。ティッシュ買いに行ったはずなのに忘れたっていうのは、家に帰ってから在庫が少ないのを見れば気付くんですよ。そういう、『気付くためのポイント』も入れてないから。
「美味しいもの買ってきたんだからいいじゃん。今度でいいよ」って思うか、「もう1回行って買ってくる!」ってなるかの違いみたいな感じですかね…?


unknownを酷評してる人達って多分、『最終話は1回見ただけ』の人も多いのでは?1回見て「何これよく分からない、つまらなかった」で批判だけしていません?私がおっさんずラブで隠しシナリオに気付いたのは、『録画を何度か見返しながら最終話放送から1ヶ月弱後』ですよ?つまりunknownならまだ見付かっていない状態。…あるかどうかは知らないので、何も無いかもしれないけど。
おっさんずラブに関してもwikiとかには載ってないから、知らない人は知らないと思う。私も手順を説明できるだけで、作り手側が明かさない限りは証明できないし。それで5年放置されてるわけだから、仮にunknownから何か見付かったとしてもいつ出てくるかは知らん。何もせずに終わっておくのが無難ではある気がする。

隠しシナリオが出てきたところで視聴者側からできることなんて、問い合わせを送ることしか無いんですよ。ただしそこで大問題が発生する。
・作り手側が「ある程度問い合わせや要望が集まるならやろう」と考えている。
→Twitterなどで呼びかけて問い合わせのメールを送ってもらい、視聴者側から「気付いてますよ、いつやるんですか?」と圧をかける。どう考えてもこれが1番効果的。※ただし「そんなものは無い」と言い切る人もいたので、興味無い人は本当に無いと思う。
・作り手側が「ファンへのサプライズにしたい」と考えている。
→ファンに呼びかけて事前にばらすとか大迷惑行為。

…どっち!?

サプライズ潰しにならないように遠慮して黙ってて、「要望も来ないからやらなくていいよね」という判断をされようものなら、気付いている人間は一生解放されないことになる。ただし、発表にはタイミングってものがあるからファンが問い合わせとか押し寄せてくんな、みたいな晒し上げをイベント運営会社の人がして炎上した件があるから、視聴者側からは動きにくい。作り手側がどういうつもりで考えているかによって視聴者側の行動も変わってくるけど、知るわけ無い。
別にさ、不正アクセスして情報盗み出したとかそういうのじゃないんだよ。話をよく聴いていると矛盾点に気付いてシーン順並び替えただけだよ。普通に公開されてるものしか見てないよ。悪いことしてるわけじゃないはずなのに、何でこんな目に遭ってるのかね…。純粋に技術面だけで言えばすごいもの見せてもらったのは確かなんだけど、不幸な人を生むシステムなのは自分が1番よく知ってるから、覚えたところで役に立たない技術。
5年前から知ってるけど、5年経っても使うわけでなく売って手放すことができるわけでなく、『健康被害を生むだけのお荷物』でしかなくなってる。ファンがよく言ってる『多幸感』って本当に何…?


18年版の仕組みを簡単に説明すると…。
※もし気持ち悪さを感じるなら深く考えずに聞き流す程度にしてください※

(オフィスで、スーツ姿)
「今日の夕飯はからあげにしましょう」
「からあげ!やったー!」

…というシーンがあるとする。鶏のからあげの形やからあげ食べて喜んでる姿がイメージできるでしょうか?
で、『実際に映像として出てくる(実際に目で見える)』のはとんかつを食べているシーン、みたいな感じですね。何の説明も無く。

たったこれだけという感じだけど、2つの点でヤバイですね。
@耳で聞いた話からの予測→視覚情報のズレは映像酔いの原因の1つと言われている。「からあげにしましょう」という話でからあげを食べている姿をイメージ。ここで映像が1つ(※これはあくまで自分の脳内イメージなので他人の目には見えないもの)。実際に映像に映るのはとんかつを食べている姿というズレ。この程度でもなるのかとは自分でも驚くけど、乗り物酔いのような症状が起きる、気持ち悪い。
Aからあげにしましょうという話なら、からあげを食べているシーンを入れればいいだけ。とんかつを食べているシーンへの話の繋がりが分からないので、テンポの悪さを感じつつあれこれ考えてしまう。単にミス?嘘を吐いた?日にちが変わって別の日になってる?オフィスで仕事中→わんだほうの場合は、スーツやネクタイの柄を見れば同じ日かどうかは判断できる。家に帰って私服に着替えてしまうと、日にちの判断はできなくなる。あれこれ考えてしまうことで情報が増えすぎて『脳にゴミが溜まる感じ』になる→脳疲労。いろいろな解釈ができてしまうもののはっきり取捨選択できるわけでないのでストレスが溜まる。

「すみません!豚肉残ってたのが今日までだったので、からあげは明日でもいいですか!?」
「そっか、いいよいいよ。じゃあとんかつがいいな」
「分かりました!」
…みたいなシーンが間に入れば、「からあげにしましょう」からとんかつを食べているシーンへの繋がりも納得できると思う。そういう、『説明になるシーン』が無い。

最初に書いたラストシーンの解釈もこういうことが起きてる状態。こういうのが1〜2ヶ所程度なら「うーん、まあミスかな?」くらいに思えるものの、『7話しか無いのに多すぎる』。複数あることで疲労やストレスが蓄積していき解消されない。病院行ったところで医者が正しく理解してくれるとは思えなかったし、謎の体調不良の原因究明も自分でやらないといけなかった状態。こんなのを地上波で放送してたってだいぶ問題あると思うけど、実際多くの人が影響受けてないなら問題無しということなんですかね…。人体実験みたいなもんだと思うけど、タイパを求める人にとっては単純に尺が短くてありがたいだけ?利き手に右利き左利きがあるように、脳にも右利き左利きがあるんじゃないかと考えるのがおそらく可能性高いかな?論理的思考って左脳だから、そっちが強いと情報量が少なすぎるのは話が分からなくて負荷強い?


ドッキリ系とかも仕掛ける側は楽しいから考えるんだろうけど、やられた側は結構不快なものもあるよ。ドッキリ系の番組だと数分〜せいぜい数日くらいでネタばらしするだろうけど、一般視聴者をターゲットにして5年って異常だからね…?5年もこんな生活続いてると体調が良くないのは確かで、上下に揺れるような目眩がひどい。何かを頑張るにしても倒れることは理解できるから大人しくしておくことしかできることが無い。休んで治るもんでもないし支払いの必要な請求は迫ってくるし投げやりにもなるよ…。たまたまテレビ見てただけで何でこんなことになってるんだよ。「知ってたら見なかった」としか言いようがない。
今がマラソンの42km地点にいるとして、『42.195kmのマラソン』ならあとちょっと頑張ればいい。ところが100km走れって話ならまだ半分にも到達していない。ただでさえ疲弊してる人間に「42km走れたんだからこのまま50kmまで延長ね」みたいな頑張らせ方はもはや鬼畜。…そういう、ゴールがどこなのかもペース配分も分からない状態にさせられてる感じ。スポーツなどの場で救護スタッフが近くにいるなら、後のことは任せて今は全力でやるっていう開き直りもできるだろうけど、そうでない状況下ではブレーキがかかるのも、まあそうだと思うよ…。妙なことに巻き込まれてずっと困ってるけど、いつまで我慢すればいいかも分からない状態でズルズルと時間が過ぎてると、何かを楽しむってこともよく分からなくなる。オタク歴長いけど、真剣に見てて痛い目に遭ってると「エンタメって何だっけ…?」ってなってる。二次創作はしていたものの元々プロ目指すとかそういう気があったわけでもなく、突然訳分からんことに巻き込まれ、スパルタ指導受けてるような印象。ずっと困ってるのに放り出されるだけだとやる気出すどころか枯れてる。
最近見てるアニメはお文具さん。あのくらいゆるいのは面倒なこと考えなくていい。

家の片付けもしたいけど、『脳にゴミが溜まる感じ』が片付かないせいで何もできない。脳疲労による生産性や心身の健康への悪影響はひどいな。1番片付けたいのは脳のゴミなんだけど、素人にはどうにもできない状況で大企業サマの権力の誇示ですかね?エンタメどころか人を破滅させることもできる仕組みだと思うよ。

最近始めたのはコラージュ。片付けのレポマンガで大量のマスキングテープがゴミ袋に入れられているのが衝撃だった。あれは『人によってはゴミと見なすもの』なんだなと…。マスキングテープもシールも100均の折り紙も、買ったきり使いきれないのはたくさん。とりあえず貼っていけば、コラージュとしてそこそこのものになってくれたりするもんだね。創作というより、『人によってはゴミと見なすものの消費』の感覚。そんなちまちましたことやり始めると、部屋の片付けは進まないんだけど…。あと、たくさんあるのを減らすためにやり始めたのに、素材を買い足したいと思ってしまうあたり困るね…。

怪我や病気で利き手が使えなくなることは誰にでも起きることだと思う。実際そういう人を間近で見てたこともあるから、右利きだけど左手で字を書く練習をしてる。やり始めてすぐは全然手が上手く動かなかったけど、続けているといろんな意味でとてもいい。
・下手でも「利き手と逆で書いてるから」という言い訳を常に持てるので気が楽。
・逆の手で書いた文字や絵をネットに公開している人は滅多に見かけないので、他人と比べて自分は下手だなと思ってしまうことが無い。
・そもそもひどい状態から始まっているので、上達してくるのが自分で見て分かる。
・手が上手く動かず速く書くということができないため、ゆっくり丁寧に書くことに集中。
ネットで見かけるまで全然気付かなかったけど、ペン字練習帳の縦書きは左利きの方は自分の手でお手本が隠れてしまうそうですね…。確かにこれはひどい。「じゃあ横書きのページは左手の、縦書きのページは右手の練習に使ったらいいんじゃない!?」と閃いたら、自分にはこれが良かった。利き手で書く文字には長年の癖が乗っていて、自分の癖をお手本に合わせて矯正していくっていうのがストレスになってダメだった。左手である程度書けるようになってから右手の練習をすると右手も書きやすい気がする。5mm方眼(リーダー罫入り)=1cm方眼の中に薄く十字が入っている状態のノートで反復練習しつつ、ペン字練習帳を併用。
それをやったところで収入に繋がるわけじゃないんだけど、長年のストレスからのリハビリにはいい感じがしている。

拍手くださっていた方ありがとうございました。