老 犬…2

次の日、再び母と獣医へ出かける。

自分も見舞いたいと電話してきた祖父を、母が断る。


「そんな時間ないのよ、そっちに寄ってたら遅くなるでしょ」


母のつれない態度に対し、なにやらグチグチ言ってる祖父の声が電話口から漏れてくる。


「だから……夕方から学校の保護者会なんだってば。分かったわよ……ええ、後で電話するわよ」





爺だって心配なんだよ…

そう母に言おうとするが、やめておく。

母だって、そのくらい分かってる。

愛するものが命の岐路に立てば、人もペットも変わらない。

家族の一部が欠け、昨日まで平和だった日常にポッカリ不安な穴があく。

皆、ありったけの気持ちを注ぎこんで穴をふさごうとするもんだから、他に回すための余裕まで使い切ってしまう。

こんなこと冷静に考えてられるぶん、僕はまだ大丈夫だ。






処置室の奥の3部屋に、入院中のペットたちは振り分けられてるが、ダルのゲージは通路に出されてる。

予断を許さない状況にあるものはスタッフの目の届く範囲に置かれるとみえ、つまり、この狭い通路はICUみたいなもんで、容態が急変すれば即処置室に運ばれるんだろう。



横になったまま点滴を受けてたダルが、僕と母の姿を見て微かに尻尾を振る。

エコーのためか、あちこちの毛が剃られ、ひどく悲しい状態になってる。

しゃがみこんだ母は、ダルの頭を撫でながら、獣医の説明を受けている。

僕は、居場所もないほど狭い通路の壁にもたれ、一番奥のゲージに入ったフレンチブルに視線を落とす。

素人が見ても……ヤバい状態。

肥った老犬で、毛艶もなく、白内障なのか…うっすら開いた目にも輝きがない。

僕らが入ってきたときから何の反応も示さず、ただ苦しそうに、ひどく辛そうに、体全体を揺すりながら浅い息をついてる。




「…大学病院で検査を受けて、原因が分かれば手術も可能でしょうが、神経系の手術となれば難しいと思います。希望されるのなら、もちろん紹介状は書きますが……」


右から静かな医師の声が聞こえ、左からはゼェ…ゼェ…と絶え間ないフレンチブルの喘ぎが続く。


「残念ですが、当院ではこれ以上の治療は出来ません。

ですから、退院を希望されるなら御自宅で看護していただくことになりますが、ご家族にはかなりの負担になるでしょうね」





「食欲はあるんですね?
じゃあ内臓には何の問題もないんですね。

首も……動かないみたいですが、全くですか?」


質問する母の声は落ち着いてる。

たぶん、職場の顔になっている。

老人と犬じゃ違うだろうが、介護というのがどんなものなのか、とてもよく理解している人だ。




母の質問のほとんどは、ダルが自宅に帰ったあとの治療とリハビリについてだったが、医師は極めて事務的な……あるいは努力して習得した感情を一切挟まない口調で言った。


「大変ですよ。もし、このまま回復も見込めず、更に容態が悪化していくことになれば、安楽死という選択もあります」




聞きたくない話、正直、僕には受け入れる準備すら出来てなかった話だ。

動けないだけで、餌も食べれるし、何よりも……ダルには僕が分かってる。

脳死とか、植物状態とか、そんなんじゃない。

家族といえど、ペットは、人間ではない。

沈着な母の答えを聞いて、その現実を否応なしに突きつけられる。




「わかりました。

家族で、よく話し合ってみます」