Sig:勝つとはどういうことだろう?
人より成功してるということかな?

あおやま提督:自分に勝つことだと思う。努力を、歩みを止めないこと。
あの声優さんは自分に勝ち続けてきて栄光を掴み取った。

Sig:あおやまさんは努力もしていないし歩んでもいないと?

あおやま提督:Sig、自分で言うのもなんだけど私は努力家だよ。

Sig:知ってる。むしろもっと楽に生きてもいいのにな。
君と声優さんは同じように努力も歩み続けてもいる。
何が違うんだろう?栄光を先に掴んだ?

あおやま提督:そう。努力の質が違うんだ。
あと努力の仕方も適切だったのだろう。すなわち頭が良い。
そして行動力があった。自らチャンスを掴みにいく勇気があった。

Sig:なるほど、頭の良い人間が必死で努力し、
勇気をもってチャンスを積極的に掴みに行くと栄光を掴める、と。
まるでアメリカの自己啓発本のようだね。

あおやま提督:アメリカの自己啓発本のように動けば成功する。

Sig:残念ながらそれは違うね。
このような自己啓発本は魂の通った道をあとからたどったに過ぎない。
魂はあらゆる方法で自己を成長させるプロセスを達成する。
それは目に見える形、巨万の富や名声で表現されるかもしれないし
見た目には何が成功しているのか相対性の世界では分からない場合もある。
どのような道をたどるにせよ魂の旅は必ず成功する。
君も声優さんも魂のレベルでは栄光に包まれている。

あおやま提督:いやいやSig、私はね!
魂のレベルや神の目から見て等しく素晴らしいとかじゃなくて
この相対性の世界であの声優さんに引けを取りたくないんだよ!

Sig:じゃあ宇宙論を出してみようか。
あおやまさん、すべての事象はかつて在ったものであり今在るものであり
これから在るものなんだ。つまり一つの事象は過去現在未来が
同時に内包されている。
それからあおやまさんが思い浮かべることは既に宇宙に存在する事象だということ。
存在しないものは想像することが出来ない。
さてあおやまさん、あおやまさんの考えるもっとも成功した自分を想像してごらん?
自分の才能を発揮して世の中に光をもたらし完全な自由と完全な愛、
尽きることのない富、そして名声。想像できただろうか?

あおやま提督:あぁ、出来たよ。素晴らしい自分だね。

Sig:そのあおやまさんは今のあの声優さんに劣っているだろうか?

あおやま提督:そんなわけないよね。比べるのも馬鹿らしいほどだよ。

Sig:今の声優さんの成功も事象だよ。今の声優さんの成功は、
かつて在ったものであり今在るものでありこれから在るものなんだ。
あおやまさんのもっとも成功した自分の姿も、かつて在ったものであり
今在るものでありこれから在るものなんだ。どこが違うんだろうね?
比べるのも馬鹿らしいほど(あおやまさん的に)圧勝してるじゃないか。

あおやま提督:いや、声優さんの成功は現に存在してる、私のは想像だ。

Sig:うん。あおやまさんの意識では声優さんの成功を"今"観察してるね。
あおやまさん自身の成功は"これから在るもの"として観察してるね。
一つの事象に同時に内包されている過去現在未来のどの面を見るか、
ただそれだけの違いなんだよ。
すべての事象は絶対性の世界では過去現在未来の区別なく存在している。
時間という幻想が存在する相対性の世界の中で魂がいつどの事象を経験するか
これは魂の計画がどんなものかによる。

あおやま提督:そう考えると何だかワクワクしてきたよ!

Sig:ただし!だからといってあおやまさんが声優さんに勝ったわけじゃないよ。
今の声優さんの成功よりもはるかに成功した、
もっとも成功した姿も想像できるでしょ?
その栄光はあおやまさんのもっとも成功した姿と同じくらい素晴らしいはずだ。
あおやまさんは勝ってもないし負けてもいない。
お互いに素晴らしい栄光の中にいる。光の中にいる。幸福の中にいる。
そして便宜上"もっとも素晴らしい"という表現をしたけど"もっとも"なんてものは
宇宙には存在しない。さらに上がもっと上があるんだよ。