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魂について

さて今回は6回に分けての長い話だったわけですが、
前回は突然声優さんの魂が登場してきました。
これについては勝手に登場させて
勝手なことを言わせてるように感じたかもしれません。

しかしこれは絶対性の世界での魂との対話なのです。
もちろん本人は私の存在など知らないでしょうし
こんなやり取りをしたなど記憶にないはずです。

人は身体・精神・魂の3つからなります。
このうち、魂は一度に複数の場に同時に存在することが出来ます。
どういうことかと言いますと、
声優さんの魂はずっと声優さんの身体と精神と共にいました。
そして昨日も今日も声優さんの人生を経験していました。
ですが、同時に私と対話もしていたのです。

人は天寿を全うするとき自分の愛する者が
天から迎えに来てくれると言われています。
その中には先にあの世にいった魂だけでなく
現在生きてる人の魂が迎えに来ることもあります。
また、来世で愛し合う予定の魂も迎えに来ることがあります。

これは宇宙が過去現在未来の区別がないためであり、
すべての魂、物事が永遠なる一瞬の今に存在しているためです。
そしてもともとあの人の魂、この人の魂というのは分離の幻想であり
本当は神の大きな魂、愛が在るだけなのです。
神の大きな魂の中に"私という側面"があり
"声優さんの側面"があるというだけなのです。

そして私たちが何かをしようとする時、
神の大きな魂全体が許可しないと何もすることが出来ません。
つまり今回の声優さんの魂との対話は、声優さんの魂と私の魂が
お互いに対話することを許可して始まったのです。

10連休の世界線での人々の波長。

昨日から今日にかけて(現在もだが)風邪の治りが遅く、
やたら気分が沈んでいる。
どうしたことだ?否定的な思いは相手にせず流しているし
心はリラックスしている。
それなのになぜか憂鬱という状態。

原因がつい先ほど分かった。

宇宙には私の宇宙の他に様々な宇宙が存在する。
私の宇宙の中では私の宇宙しか存在はしないが
幻想という形でほかの宇宙を見ることが出来る
それが私の他に他人がいるという幻想だ。

実は宇宙と宇宙は繋がっている。

私たちは究極的にはひとつだ。

私の宇宙は穏やかな世界を創っていたが
周りの宇宙はどうだろう?

私の世界線では10連休というイベントがあった。
私と同じく10連休の存在する近くの宇宙は
YouTubeを見ればわかるが10連休後の憂鬱な気分を
どう慰めるか?的なメンタル面に触れた動画が多く上がっていた。

そう、多くの宇宙では10連休後の憂鬱に悩まされている人々が
いたということだ。

この多くの宇宙から発せられる憂鬱な気分が
私の宇宙に影響を与え、原因のよく分からない
憂鬱な状態になっていたのだ。

だからみんなが幸福になることが大事なんだね。
みんなが幸福になってそれぞれの宇宙から
幸福のオーラが出ていればそれぞれの宇宙に幸福のオーラが
影響し合い宇宙は幸福で満たされる。

しかし、ここでよく考えてみて欲しい。
10連休という最高の幸福を味わってきた宇宙が
10連休の終わりにはこれだけ憂鬱になるということを。

幸福の終わりには憂鬱へと転じる。
様々な宇宙では幸福は外部からもたらされると
未だに思っているようだ。だから自分が幸福な状態と
定義したものが終わったりなくなったりすると
憂鬱になる。

幸福とは外部からもたらされるものではなく
自分の内側にあるものなのだ。


それぞれの宇宙がこのことを自分で悟らないと
今回のような周りの憂鬱に影響されて
調子を崩す宇宙も出てきてしまう。

今日はなんだか憂鬱だなと感じた時は
自分の周りに散らばる宇宙の状態を考えてみると
原因が分かるときがある。

宇宙は宇宙とつながっているのだから。

許すということ魂の課題

思えば私の周りには私のことをイライラさせるような人ばかりだった。頭の弱い人、図々しい人、理不尽に怒る気分屋、高圧的な人、常識から外れた行動をとる人、決まりを一から十まで押し付けて細かいことまで口出ししてくる人、いつも不機嫌な人、偽善者、「どうせ私なんか」と自分自身の価値を認めない人など・・・。なぜ私の周りにはこんなにイライラさせるような人ばかりなのだ?と嘆いていた。しかし、今日、気が付いた。私は彼ら全員に対して同じ一つの思いを抱いていたということに。「こんな奴相手にしたくない。どうせお前らの頭じゃ私の言ってることは難しくて理解できないだろう。レベルが違うのだから。イライラさせやがって、お前らの存在なんて認めないからな!無価値な野郎どもが!」こうやって心の中で人に毒づいていた。

果たしてこのような思いが渦巻いていて幸せになれるだろうか?
火を見るよりも明らかである。
心の平安のためには彼らへのイライラからの解放こそ最重要課題なのだ。
許すということ。彼らを許すこと。
「バカだなぁ・・・でもいい。許そう。」
「無礼者め・・・まぁいい、許そう。」
「何言ってるのか全然わからん、まぁいい、許そう。」
「こんなに仕事残して帰りやがって!まぁいい、許そう。」

こうやって今日はあらゆる人を心の中で許し続けていた。

すると何が起こったか!?

何と自分自身を許し始めたのだ!!

「寝不足が続いてるけどまぁ、許そう。」
「しょうもないことばかりして時間ばかりつぶしてるけど、まぁ、許そう。」

「今の人生を許そう」



「何でも好きなことをするがいい。何でも許そう。」

この言葉にどれだけの解放感があっただろうか。
人を許したら、自分を許していた。

これがまさしく「私が人に対して行ったことはまさに私に対して行ったことなのである」というやつだ。

これに今日気が付いたわけだが、よくよく考えてみると
私の周りにいる人々はみんな、この「許し」を体験するための
きっかけを与えるためにいるのではないだろうか。

「許し」これが魂の経験したかったことなのかもしれない。

やはり魂は、宇宙は完璧ということなのだろう。
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