やっと回線が復旧しました



11日、父の靴下が無いとのことで、洗濯をして乾かして持っていったのが午後2時頃。 



本当は乾いてるのがあったけど、そけは母のだと思い込んで 洗ったのが幸いだった。



すると携帯で緊急地震速報がなった。



2、3日前から弱い地震があったから、もしやと思ったとたん・・・



「ガタガタガタガタガタ」と激しい小刻みな縦揺れが始まった。



5秒程縦揺れが続いただろうか



そして言葉にできないくらいの激しい横揺れがきた。



父の寝てるベットの直ぐ後ろには、大きくてかなり重い無菌フィルター装置がある。



そしてそこは病院の最上階の7階。



必死になってその装置を押さえつけた。



2分位揺れていただろうか・・・・



広い窓際においてあったものはすべて床に落ちたけど、何とかその装置は倒れなかった・・・・。



ちょうど俺がいて良かった。



揺れがおさまった後に、 その装置を元の場所に戻そうとしたけど自力では戻らなかった。



その後も大きな余震が続いたからその日はずっと父に付き添っていました。



大体落ち着いて、イトヨーの立体駐車場に停めといた車を見に行くと



ちょうどうちの車の前だけ防火シャッターが上がっておらず・・・・・



自力で上げようとしたけど、かなりの重労働



ハンドルを回しても回してもなかなかシャッターは上がらず・・・



しかも歯止めが無いから放せない・・・・



途中で他のお客さんが従業員を何人か呼んできてくれたので助かりました



あとは、さらに幸いなことに、母もいわき市にいる姉も無事だった



実家も崩壊せずにすんだ



それに家具は重い家具ばかりだったので、中身が出て壊れると言うことも無かった


けど中はごちゃごちゃに・・・。


それでもここら辺ではかなりましな被害です。 


ライフラインは全部大丈夫。


ただ、父が大事に育てていた「寒蘭」の鉢のほとんどが倒れて、酷いことに・・・


父を悲しませたくないから、まずその寒蘭の処置を済ませました。


葉が折れたとかもなかったから良かった


ただ、余震が多くてゆっくり眠れず・・・・


自分の鼓動さえも揺れに感じてしまうほどで、今で熟睡できません・・・・。



今までの情報源はテレビのみ



ここは地震の被害だけだけど、津波の被害は甚大です。



いわきで警察をしている姉によると、遺体の数も状態もかなりひどい状況だそうです。



そして、何より心配なのが原発。



父は引越しなどできないので、もし原発が駄目になり、 ここも危険になっても父と看病をする母はどうすることもできません



現場で復旧作業にあたる人たちの方が、まさに「命がけ」ですが、頑張って欲しい・・・



ただ祈るだけです。



ここ郡山はまだ被害的にはましですが、いわき市などはガソリンや食べ物もありません。



この記事を読んでくれた方は、少しでも小さなことでも良いので、ご協力をよろしくお願い申し上げます。



そして、より多くの被災者が助かることを願うばかりです。