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命の教訓を生かして

昨日の17日、私達保育や幼児教育に携わる者にとっては他人事ではない訴訟の判決がありました。
宮城県 日和幼稚園の津波被害による園児5人の死亡事故の判決です。
震災の直後、送迎バスで子供達を園から送り出し、結果津波に巻き込まれたというこの事件は、被告の勝訴。
天災による犠牲に賠償を命じた初の判決になったそうです。

東日本大震災のあった時、幼稚園、保育所のみならず子供を預かっている施設にいた職員は、全員が例外なく子供達を守る為に全力を尽くしました。それは疑う余地はありません。
それでも保育所、保育園で3名。幼稚園で日和幼稚園の5名を含む70名以上が亡くなっています。
(幼稚園は避難後などに亡くなられた人も含む)
保育士の間で半ば伝説となっている松島市野蒜保育所では12名の子供達を11名の保育士が、避難先の体育館に津波が押し寄せた中、必死で守り奇跡的に全員が助かったそうです。
無論、決して日和幼稚園を含む園児、幼児が犠牲になった施設の職員が子供達を死なせたかったわけはありません。
皆、子供達を助けたかった。未曾有の大惨事中、混乱し、これでいいのか迷いながらの行動であったのは間違いありません。
ただ、日和幼稚園は高台の園にいれば安全だったのに何故、危険な津波のある沿岸部に送迎バスを走らせたのかということが争点であったようでした。
一刻も早く子供を親元に帰したいという思いがあったと裁判で園長は証言しており、その判断ミスや津波被害を予見する能力の不足が今回の園側敗訴の主原因でした。
私個人としては、この判決は妥当なものであったと思います。
保育所や幼稚園は保護者に子供を手渡すまで預かるのが基本です。
あの時、各保護者は子供を引き取る為に皆、それぞれ必死に戻ってきてました。
津波被害にあった保育所の中には交通が遮断され、徒歩で遠くから歩いて戻った保護者に13日に子供を引き渡したケースもあります。
逆に子供を保護者に引き渡した後、津波に巻き込まれ親子一緒に命を落としたケースも少なくないそうです。(震災後、いろんな事例を調べました。前述の野蒜保育所でも引き渡した子供のうち6人が亡くなったと聞いています)
あの大地震の中、私達保育士を支えたのは子供を絶対に守る、という意識です。
雨のように物が落ちてくる中、必死で子供達に毛布を被せ、身体で覆いかぶさって守りました。
そして降る雪の中、毛布と服を山ほど着せたり、職員の車の中に入れて子供達を不安にさせないように気を付けながら保護者が来るのを待ちました。
保護者に子供を手渡すまでが保育士の使命。
早く親元に返して安心させたいと園側は話したと聞きますが、安心したかったのは園側であったのではないでしょうか?
しかも亡くなった子供達は沿岸部ではない方向の子供達だった。
その子供達を沿岸部行きのバスに乗せて死なせてしまったこと。
報道で知る限りですが、何度かあった子供達を助けるチャンスを見逃したこと。
予想できない大災害であったとしてもそれはやはり園の責任が問われるべきことであると私は思います。

これも私個人として思うのですが、訴えた原告の方々はお金が欲しかったわけでは決してないと思います。子供が何故、どうして死んだかを知りたかった。
そして園に謝罪してほしかった。
もし、園が真実と判断ミスを認め、災害のせいにせず、事件経緯を調べ、真摯に謝罪していれば訴訟までいかなかったのではないかとさえ思うのです。1000年に一度の大災害だから仕方なかった、ではなく、こういう状況であり、こう判断した。その結果こうなってしまったということを認め、もし同じような震災があった時、繰り返さないように体制を整える。
亡くなった子供達の命を無駄にしない事。
それが被告となった園児の保護者の本当の願いではないかと思います。

田村市は津波の被害は起きない地域ですが、震災を体験してから避難訓練の見直しもしましたし、被災した保育所の事例などもたくさん調べて、課題なども学びました。
失われた命は決して帰らない。
だからこそ、その命から得た教訓を今後に生かしていくことこそが、亡くなった5人の子供達に報いる唯一のことなのではないでしょうか?

最後に改めて日和幼稚園の亡くなった子供達と震災の全ての被災者に心から祈りを捧げます。
決して忘れませんと。
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