夜更かしすることが多くて生活リズムがだいぶ崩れてきています。
なんとかしなければとは思うものの、夜になるといつのまにか時間が過ぎていて…。
出席の大きい授業にだけは遅刻しないでいたいものです。
ツイッターやフェイスブックなどのSNSは偉大だなあと最近改めて感じる。
小中高の友人の中でも、あえて連絡を取り合うほどの中でもない人たちは一定数誰にもいると思うのだけれど、
それらのSNSをやっていればそういう人たちの近況も知ることが出来る。
ああいったSNSは1対1での関わりというよりは自分のことについて話す形になっているからより気軽に人と関われるのだろう。
多分、これまでよりもずっと人とのつながりが疎遠になりにくい世の中になっているのだろうな。
それだけじゃなくて、小さい頃に見かけたサイトの管理人が実はツイッターでフォローしている人だった、というようなこともあった。
これまでは学校を卒業したりサイトが閉鎖したりするともうその人たちとは永遠に会うことが出来ないような気がしていたけれど、
そうでもないということがわかって、世界が広がったような感じがする。
自分が大人になって、使えるツールが増えたことも関係しているのかもしれない。
SNSに関しては批判も多く見るけれど、人との新しい繋がりの形を提示してくれたという点では少なくともありがたいものだと思う。
このブログをやって居る中でも、もう関わることができなくなってしまった人たちが何人かいる。
そんな人たちとも、実はリアルや他のSNSでお互い気づかないうちに交流しているのかもしれないな。
話題:障害は「個性」?
昨日の最後にした話の続きみたいなもの。
色々と考えていた。
とりあえず、発達障害に焦点をあてて話したい。
障害は個性。確かにそう言えるかもしれない。
けれど、個性というよりは性質に近いのではないだろうか。
「個性」というと肯定的な捉え方をしている印象を受けるが、発達障害には社会の中で生きていく上で良い点もあれば悪い点もある。
関わりのある人たち全て、とりわけ小さい子供たちに、発達障害についてとその障害を持つ人との関わり方についてを学び
その通りにしてもらうなんてことは不可能に近い。
だから、定型の人よりはぶつかる壁が比較的多くなるだろう。
仮にそれが可能だったとしても、周りの人たちに常に特別気を使ってもらうような生き方は少なくとも私にとってはとてもつらい。
発達障害においては周りの人の理解が一番大切になります、とそこかしこで見かけるしその通りだとも思うのだけど、
自分が発達障害であるがゆえに周囲に気遣いを強いてしまうのは心苦しいのだ。
出来る事なら、障害を取り去ってしまえればいいのにと思う。
だから、個性なんだって無理やり認めようとするよりは、そういう「性質」として理解して、
折り合いをつけていく方が楽なんじゃないかな。
あと、個人的に「アスペルガーには偉人が多い」という類の話はきいていてあまりいい気分にならない。
定型発達の人にも偉人はたくさんいるし、発達障害なのに偉人でない人だって数多くいる。というかその方が多い。
「ホモ・サピエンスには素晴らしい業績を成し遂げた個体が数えきれないぐらいいる。だから同じくホモ・サピエンスのあなたも素晴らしい存在だ!」と
言われたとしても嬉しくないのと同じじゃないだろうか。偉人と自分自身には共通することもあるだろうが、違う部分も多くあるのだから。
まだ自分の中で解決の糸口が全然見えない物事だから、とりわけ客観的な思考が出来ていない。
もし精神科に進むのなら、このことに対して自分なりの解答を出さなければ大きな問題になるだろうな。
ただ、自分の場合自己評価が低いのは発達障害のせいではなく、単純に自分自身が能力や性格の面で劣っているからではないかと思う。
適切な自己評価ができていないというよりは、自分に問題がありすぎるからこうなっているのではないかと。
この場合、どうすればいいのだろうか。
一つ一つ洗い出して正してゆくには、そのための時間も頭も足りないのだけれど。
一月ももう半ばを迎えてしまいました。
一年の4%がもう終わってしまったのだと考えると、あっという間ですね。
昨日、今日と二日にわたって病院に実習に行ってきた。
まだ3年生の身では知識なんてろくになく見習いのようなもので、本当に軽く見学させてもらっただけなのだけれど
とても充実していた二日間だった。
行きたい科は自分で選べたため、今回は前々から興味のあった精神神経科にお邪魔した。
病棟の見学や、現在の精神科の医療制度、疾患の判断基準などについてのレクチャーなどをしてもらい、精神科に対する興味がますます
深まってきた。
特に疾患の原因、症状がなぜ起こるかの分析などに興味を惹かれた。
こころというブラックボックスの中身を、脳の器質的な面から分析でき、またそれに基づいた治療が実際に功を奏しているというのは
とても夢のあることだと思う。
トラウマやこれまでの経験が疾患に影響することは多分にあるけれど、そのように精神の働きの分析が進めば
より効く治療法を編み出す事がもっと容易になるのではないかな。
元々カウンセリング等の療法を行いたい!というよりは脳の働きについて興味があるから
精神科に進むことを考えていたので、それに基づいた話を聴けて楽しかった。
人の心の動きを感覚的に読み取ることは苦手なので、分析的な診断法や治療方針の決定が浸透していったら私にとっても
嬉しいな。
そういえば、発達障害についてもいくらか話を聴けたけれど、担当してくれた先生はADHDなどに投薬治療を行うことを
あまり良しとしていないようだった。
勿論、発達障害を自身の特性の一つとして認める事ができれば一番なのだけれど、そうはいかないこともあるし
薬によって抑えることが出来れば幸せになる人たちもいると思うな…。
周りから外れていると常に意識させられ続けるのは、あまり良いこととは言えないと思うから。
追記で拍手の返信です。
拍手ありがとうございました!
話題:今日の音楽
どこかへ旅行に行ったり、なにか新しいことを始める時は必ずこれまで聴いたことのなかったアルバムを聴くようにしている。
そうすると、後々そのアルバムの曲を聴いたときにその頃の空気を思い出すことが出来るから。
今聴いている曲は米津玄師さんの「YANKEE」というアルバムに入っている「WOODEN DOLL」という曲で、
これは去年の夏友達と長野に旅行した時にずっと聴いていたもの。
匂いを嗅いだ時昔のことを思い出す現象のことはプルースト効果というらしいけれど、それの音バージョンなのだろう。
単純に音楽が好きという以外にも昔のことを思い出せるから、ヒマさえあれば何か曲を聴く癖がついていた。
けれど、ここ数日はなにかと忙しくてipodに触れておらず、今日やっと何日かぶりに起動することが出来た。
そうして曲を聴いていたら、なんだかこれまでより一層曲の雰囲気や昔の思い出が感じられたような気がする。
毎日聴いていて、音があることが当たり前になってしまっていたから、感覚的に鈍っていた部分もあったのかもしれない。
毎日聴くのも楽しいけれど、たまにはあえて音楽から距離を置いてみてもう一度新鮮な気持ちで聴いてみるのも面白いかもしれないなあ、
と思った。