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話題:障害は「個性」?

昨日の最後にした話の続きみたいなもの。
色々と考えていた。

とりあえず、発達障害に焦点をあてて話したい。
障害は個性。確かにそう言えるかもしれない。
けれど、個性というよりは性質に近いのではないだろうか。
「個性」というと肯定的な捉え方をしている印象を受けるが、発達障害には社会の中で生きていく上で良い点もあれば悪い点もある。
関わりのある人たち全て、とりわけ小さい子供たちに、発達障害についてとその障害を持つ人との関わり方についてを学び
その通りにしてもらうなんてことは不可能に近い。
だから、定型の人よりはぶつかる壁が比較的多くなるだろう。

仮にそれが可能だったとしても、周りの人たちに常に特別気を使ってもらうような生き方は少なくとも私にとってはとてもつらい。
発達障害においては周りの人の理解が一番大切になります、とそこかしこで見かけるしその通りだとも思うのだけど、
自分が発達障害であるがゆえに周囲に気遣いを強いてしまうのは心苦しいのだ。
出来る事なら、障害を取り去ってしまえればいいのにと思う。

だから、個性なんだって無理やり認めようとするよりは、そういう「性質」として理解して、
折り合いをつけていく方が楽なんじゃないかな。

あと、個人的に「アスペルガーには偉人が多い」という類の話はきいていてあまりいい気分にならない。
定型発達の人にも偉人はたくさんいるし、発達障害なのに偉人でない人だって数多くいる。というかその方が多い。
「ホモ・サピエンスには素晴らしい業績を成し遂げた個体が数えきれないぐらいいる。だから同じくホモ・サピエンスのあなたも素晴らしい存在だ!」と
言われたとしても嬉しくないのと同じじゃないだろうか。偉人と自分自身には共通することもあるだろうが、違う部分も多くあるのだから。


まだ自分の中で解決の糸口が全然見えない物事だから、とりわけ客観的な思考が出来ていない。
もし精神科に進むのなら、このことに対して自分なりの解答を出さなければ大きな問題になるだろうな。

ただ、自分の場合自己評価が低いのは発達障害のせいではなく、単純に自分自身が能力や性格の面で劣っているからではないかと思う。
適切な自己評価ができていないというよりは、自分に問題がありすぎるからこうなっているのではないかと。
この場合、どうすればいいのだろうか。
一つ一つ洗い出して正してゆくには、そのための時間も頭も足りないのだけれど。
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