初めて会ったのは居酒屋だった。隣の席に座った女がやたらとうるさかったのが第一印象で、まさかそれからどうこうなるなんて思いもしなかった。
「ほんっと男ってバカ!毎日毎日パチンコ行っては負けてきて、おまけにヘビースモーカーでしょ?一体毎月の賃金はどこいっちゃってんのって言いたいのよ!」
そう、ただひたすら飲み仲間らしき主婦達と旦那の愚痴を言い合っていた。他のメンバーは分かる分かると首を縦に何回も振りながら、その度にジョッキのビールを煽った。
ただ1つ珍しいのは、そんな愚痴を盛大に溢しているのはまだ20歳も前半の若々しい女の人であると言う事。
一体どんな苦労があるのかは計り知れないが、その肌や髪の毛、服装や手の甲を見ればなんとなく感じ取れる。俺はただ煩いと思って見やっただけだったのだが、何故だか妙に気になった。話を盗み聞きしていると、その生活の背景もそこそこ掴めてくる。
まだ結婚して年月は浅いのだが、何分相手が年上の為、収入こそあるが日々のストレスをパチンコや煙草、その他博打につぎ込んでしまっている事などが浮き彫りになった。
「結婚前はそんな人だと思わなかったんだけどなぁ…。私、間違いないってちゃんと思えたのに…」
そう言うと酒が入っているせいかポロポロと涙をこぼし始めた。すると回りの主婦は背中をさすったりしながら本気で彼女を慰めた。貴方だけじゃないのよ、みんなそうよって口々に言いながら。
けれど彼女はそれっきり黙ってしまって周りを寂しい空気にさせた。彼女は一向にしくしくと泣くのを止めない。主婦達はそれぞれに顔を見合わせて、今日はお開きにしてまた次に集まりましょうと席を立った。
何故だかその時の俺は、なんとなく彼女の欲しているものが分かった気がしたのだ。
「私…まだ飲んでく…車は旦那呼ぶから…」
「ええっ…でも…」
「良いよ、今はこの子そっとしときな…そこまで子供じゃないんだから」
気を付けるのよとだけ言って、他のメンバーはそそくさと帰って行った。
俺は意を決した。

「あの、すいません…」

彼女はジョッキを見つめたまま言う。
「ナンパなら今夜あたしに付き合ってもらいますけど。」
俺は予想外の言葉に意表を突かれつつも、彼女の欲しているであろう言葉を思い付くまま投げ掛けた。どうしてか、放っとけないのだ。

すると彼女は泣き腫らした瞳をまあるくして、俺からしばらく目を離さなかった。俺もまた、彼女から目を離さなかった。

それから1年が経ち、俺と彼女はあの時の居酒屋に1つのテーブルを挟んで向かい合わせに座る。
「久しぶりに来たね、ここ」
「うん。ちょうどこの席と隣の席だったな」
店内を指差しながら思い出に浸る。
そう。あの日から俺と彼女は交際に至った。彼女は当時の旦那と離婚まで決意し、俺のところに行くと言い出したのだ。素性も知らない相手と一晩でそこまでの決意をする程に、彼女の精神は弱りきっていたのだろう。
そこに漬け込むわけで言ったんじゃない。あの時は、主婦達の言葉があまりに的外れで、このままではこの子はずっと平行線の上で生きていってしまいそうに見えた。
彼女が求めているのは同意や同情、共感なんかじゃない。誰かに救いの手を差し伸べてもらいたかったのだ。
だからあの日、一人で飲むと行った彼女は、待っていたのだ。
「俺のところに来ませんか」
相手なんか誰でもよかったのかもしれない。下心もあっても構わなかったのかもしれない。それでも、試していたのだろう。

「…ありがとう」
「俺は何も?」
「ほんとは前の旦那のこともちゃんと愛していたの。だから涙が出たのよ」
「うん」
「ほんの少し寂しくなったの」
「なんとなく分かってたよ」
あの日の記憶を辿るように、手繰り寄せるように二人でビールを飲む。
すっかり暖まった身体を心地よい微睡みが包んで、二人は運命を感じた。
そして、とても良く似た笑顔をしていた。