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買い物。

買い物したい。買い物。両手に袋いっぱいになるくらい買い物したい。

洗濯もしてないし爪もそのままだしその他もろもろそのまんま。そろそろお風呂でも入ろうかなー…と思い始めて2時間が経過。今度こそ!

真っ白すぎた。

いつもお葬式に行った時や、火葬にいった話の事聞いてた。「亡くなった人の顔がちゃんとみれない」っていってた。わたし初めてだたけど、とってもきれいでした。最近ずーと体調悪くても頑張って仕事場にきてた時より、元気そうに見えた。

お線香あげる順番待ってる間、ずーと床見てた。天井に下がってた照明が床に写ってたのだけど、なんだか2階にいて透明なガラスの床の上にいるみたいだった。だれもいない照明のテーブルなのか椅子なのかに、彼女がいるんじゃないかと思って探してた。床の存在しない空間じゃなくて、ちゃんと目の前にいたのだから当たり前だよね。

写真の彼女は着物姿で、多分数年前に撮られた写真なのだと思う。いつも見てた彼女と違って、なんだか会えた気がしなかった。眠ってるところをみても、静かすぎて会えた気がしなかった。だからもういないんだって頭でわかった。

火葬が終わってきたら、余りにも綺麗な真っ白で。あんな小さい箱に収まっちゃうんだよね。木の箱と箸でみんなで拾ったけれど、もし彼女があの場面をみたら多分嫌がるのだろうなと思う。少なくともわたしは嫌だ。でも昨日みたいな「もしかしたらむくっと起きて『ごめんごめん』って戻ってくる」なんて可能性は完全に無くなったんだとわかってきたら、また息できなくなった。

霊感もないしそういう経験もないから、わたしはこういう場所に行っても故人に会えるわけじゃない。むしろ彼女に会うとしたら、自分の心から引っ張り出してくる方が確実なんだけど。でも、今まで最後の舞台、故人の事を送ってあげる場所なんだと思ってたけど、いなくなったことを残された人たちがちゃんと受け入れるための場所なんだろうなと思った。

多分生きている人がすることは、きついかもしれないけど全ては生きている人のためにすることだと思う。でも一緒に生きていたころなにかしてあげたこと、してもらったことはちゃんと通じ合ってたんだと思う。もっとなにかできたんじゃないかって後悔はあるのだけれども。

でも本当、会いたいときに会いたい人に会えるのは幸せすぎることだよね。というか会いたい人がいるってだけでも多分すごく幸せだ。そして最後に会いたいって人があんなに来てくれたってことは、彼女は幸せな人生を過ごしたと思う。

死後の世界があると仮定して、いつかお土産話ができるよう、充実した人生を送りたいと思うます。悲しいのはわたしだけではないし、今生きてる人たちを大切にしないといけないよね。会いたくなったら思い出すます。関わる形式がちょっと変わったけれど、彼女が関わってくれた人生だから今のわたしがいるのだし、大切な人は大切な人のままです。



とは思うのだけど、寂しいものは寂しい。しょうがないことなんだよね。わがままだけど、わかってるけど、寂しいー!まだまだわたしは精神を鍛える必要があるます;大人にならなきゃ。
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