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どもども

さて、映画の紹介いかせていただきます!!!






………………







(゜д゜;三;゜д゜)あれ……





ああ…あのですね

いや……ごめんなさい。


ちょっとブログを休んでたんですが、失恋から立ち直れなくなったとか、裁判が長引いたとか、そういった事情ではなくてですね、ホムペの更新にほとんど費やしてたんと、ケータイがぶっ壊れてたんと、それにともないデータが全て消えちゃってたんと、暑かったんと……


なんか、ほかにもっともらしい言い訳ない?


まあ…要約すると、サボってたんです。


(;´∞`)ウフフフ…

せやから、AAもぜんぶ消えちゃったから変な顔使うとるし、昨日今日あたり…


《(;´Д`)》ブルブル

わたしの名前で検索かけてくる変態射ー腐゜がいるわ……←


思うてはる方、オレです!!!





正直言えば……骨折とかで入院して1ヶ月くらい休むと、学校行くのがめちゃ恥ずかしなるこつあるやん。

オレ入院したことないんやけど。

なんか恥ずかしくて、書くタイミングがつかめなくなっちゃったのよね。もともとシャイボーイやから←



ちょっとまだホムペの編集に手間取りそうなんですが、死亡説を流されぬ程度には記事アップしてこうと誓います←責任回避し自分に





さて映画の話。


ひさしぶりにね、オレとオカンと妹、3人でミスターイトウのクッキーとかピリカラ手羽先を食いながら、
なごやかに家族の絆を深める映画を鑑賞できたので、ぜひ紹介させていただきたいと思います。


過去の話になりますが、呪怨のときのレビューを記憶してくださっとる方は、またそのパターンか……
思うてはるでしょう←誰の記憶にもないわ。



はい。その通りです。










これな、ひぐらしの…←これとセットで観たんがアカンかったんやろなあ。

ひぐらしの…←これがあんま意味わからんかったのよ。

原作読んでないから、オレがバカだからではなく、あくまでも原作読んでないから。

監督、これ以外は富江しか見てないんやけど、ちょっと清水崇←(呪怨の監督ね)ぽい映像で、音楽もよかったんやけどねえ……

いかんせん、観てても話しについてけねえという……



さて、それとするとノブヒロさん、めちゃくちゃ分かりやすいです。

猫にでも分かる、すばらしい構成となってます。

いや、これ大事なことです。

昨今のカルト映画は、つっこまれまい、つっこまれまいとしてか、ミスリードこんがらがせまくったり、余計なサブリミナルいれてみたり…
あまりにヤリすぎちゃって、肝心な本筋が薄っぺらに感じるよね。

とすると、ノブヒロさん、監督も構成も怪談新耳袋のスタッフでやっとるから、テレビドラマのええ部分を劇場版でもちゃんと残してはるのよ。

テレビゆうのは、わざわざ映画館まで足運んで、何十あるタイトルの中から自分好みのものを選んで観る必要ないわけやん。

画面見れば既に放送されとるわけ。

で、つまらんけりゃ消されちゃうし、おもろいかそうでないかは直後に数字でかえってくるわけよね。

せやから、一部のマニアにのみ閲覧してもらえとるオレのブログとは違い、大衆受けする番組しか生き残れないわけや。

大衆受けするってことは、誰にも分かりやすい番組ゆうこっちゃ。


ノブヒロさん、ストーリーと構成はすばらしいです。



こんぐらい褒めとけばええかね?

いや、俳優もすばらしかったです。

ノブヒロさん役の平田満とかね、けっこうムダに演技派俳優使ってます。

これ……なんか別のドラマとかでとる?←そう何回もきいた、ひぐらしの…とは大違いです。



長いなあ……


これ、超過する?

いや、この時間に記事あげるの珍しいでしょ。

あのね、体調崩して休んでるの。

きのう鍋やったんやけどさあ……うん、この時季に鍋ね。

予測はできてたんやけど、想像を絶する暑さやったのね。

エアコンがんがんかけて鍋つついてたんやけど、暑さに我慢ならん!!!

ちゅうこつで、全裸で鍋を食うことにしたのね。

パンツははいてたよ。

で、エアコンがんがんのなか、全裸で鍋を食うたら、具合が悪なるゆうことが判明しました。
単なる食いすぎ説の疑いもありますが……



要は、ヒマなんでダラダラ書いたら長なってもうたので、続きは次回。

優しい嘘

熱帯夜が続く。


コンクリートは焼け、空は重く溶けだし、街には糜爛した腐敗臭が立ち込める。


そんな空気に感化され、僕らは夜中のバーガーショップで不毛な戦闘を開始する。




ねえ……話してるんだから、雑誌閉じてくんない



最初に爆弾を落としたのは、彼女だ。

何をそんなに苛立ってるのか知らないが……

いや、たぶん僕が生返事したことに腹を立てたんだろうが、普段ならそんなことじゃフっかけてこない。

暑さのせいだろう。

何だって暑さのせいだ。

いろいろ不満はあるんだろうが、僕に受けて立つ気がない以上、暑さのせいにしとくのがいい。



ちゃんと聞いてるよ



本は閉じない。

ヤンジャン読んでるわけじゃない。

既に開いたシェアウェアの情報ページは無意味な記号の羅列と化してるが、絶対に閉じない。

閉じるもんか……閉じたら負けだ。



聞いてないでしょ

いっつもそうじゃん

なんかさ、せっかく会ってもコレじゃ、ムカつくだけなんだけど






じゃあ帰る?




ああ…本気の顔だ。

マジで怒らせた。

当分はシカトされるぞ……





付き合って長くなると、優しい嘘の数が減ってきた。

つまり、自分の醜い部分を隠す努力を怠るので、互いに我が出てきたのだ。

最初のころは、どれだけ仕事に追われてるときでも、余裕のあるふりしてみせるだけの愛があった。

愛をなくしてしまったわけじゃないが……やっぱり嘘は疲れるだろ?



彼女の方だって、最初のころは嘘つきだった。

たいした話じゃないから、また今度でいいよ……

本当は一緒にいて欲しくてたまらない夜でも、僕のためにそんな嘘をついてくれた。



でも、嘘は疲れてしまうから、互いに嘘の数を減らしてきたのだ。

それなのに、僕らは自分に正直になり過ぎてしまったばかりに、前以上に互いに疲れを覚えてる。








口達者で気分屋の母、真面目で苦労性の娘、思慮深く内向的なそのまた娘……そんな女子三代家族の、葛藤と愛と成長を温かく緩やかに描いた静謐な秀作。

グルジアの母子家庭ゆう、また厳しい社会にスポットあてとるんやけど、少しも重苦しい印象を与えない映画です。

前半は最初の優しい嘘、娘と孫が祖母のためにつく嘘を中心に話が進みます。

この祖母役のばあちゃん、なんと80越えて映画デビューしたとゆう珍しい女優さんなんやけど、観ていただくと、なるほどな…←感心するくらいの存在感です。

もちろん上手いんやけど、演技抜いて風貌に生の厳しさがあるんよ。

これはね、やっぱり80年ゆう人生の貫禄?

映画やなく、この方が実際にどんな人生を歩んできたのか知りたくなるような人やねん。

残念ながら、全く知りようがなかったんやけどさ。



さて、ストーリーに戻ります。

ばあちゃんには、一緒に暮らす娘と孫以外に最愛の息子がおるんやけど、今はパリに離れて暮らしとるため送られてくる手紙をほんまに楽しみにしとる。

遠くにいる家族は愛しいもので、ばあちゃんが息子のことばかり贔屓するもんやから、一緒に暮らしとる娘は面白くない。

そんな折、ばあちゃんが友だち宅に遊びに出かけとる時に、娘に届く1本の不幸な知らせ。

息子、つまり娘にとっては弟の、パリでの事故死を知らせる電話やった。

肉親を失った悲しみの最中、娘は老いた母のショックを思い、嘘をつき通す決意を固める。

何も知らずに帰ってきたばあちゃんを普段通り迎え、弟の死を隠そうと必死になる。

大学生で、聡明でフランス語にも堪能な自分の娘に弟の筆跡を真似た手紙を書かせ、さも息子は元気にパリで暮らしてると思わせようとする。

せやけど、代筆を頼まれた娘、ばあちゃんにとっては孫やけど……自分が書いた嘘の手紙を、目の悪いばあちゃんのために自分で読んであげている。

そんなことを続けるうち、嘘の苦痛に耐えれんなり、母親に反抗的な態度を見せ始める。



それでも何とか嘘に嘘を重ね、ばあちゃんに息子の死を悟られまいとしてたんやけど……

手紙ばかりで、電話をかけてくれなくなった息子のことが不安でたまらなくなったばあちゃんは、それまで大事に大事にしてた夫の形見、家にあった全ての骨董本を売り払い、なんとパリ行きの切符とパスポートを手に入れるんよ。



焦りまくる娘やけど、ばあちゃんのパリ行きの思いは強い。

とうとう根負けし、それぞれ複雑な感情を抱いたまま家族3人はパリに経つ。

もちろん、どんなに優しい嘘でも、それが嘘である以上、真実を前に脆く崩れるんやけど……

この優しい嘘の結末は、意外で、大胆で、血の絆という更に大きな愛を感じさせます。






ウッキーって言って



嘘をつけなくなったぶん、僕らはごまかしが上手くなってきた。

互いの間に緊張状態が入り込みそうになると、どちらかが、その空気をちゃかしてしまう。



ヤだよ





ウッキーって言ってってば





じゃあブーって言えよ





嫌よ!!!

……………

ブー!!!

早くウッキーって言って




なんなんだ?

………ウッキーって?

まあ…つまり、彼女は僕に雑誌を閉じさせることを諦めたんだけど、それじゃ悔しいしストレスが溜まるから、代わりに何かを強いることで折り合いをつけようってわけだ。



でも……それが、なんでまたウッキーなんだよ?






ウッキー…


ウッキー!!!



はい……もおいいだろ?

無防備

無修正出産シーンは猥褻なのか?


映倫による判断で18禁公開され、それが話題となってクローズアップされた作品。




無防備
監督:市井昌秀
出演:森谷文子 今野早苗




さて、久しぶりの邦画であります。

でえ……これが猥褻か否かゆう問題に関してやけど、オレは全く興味ありません。

うーん…映倫の判断は置いといて、オレ個人の意見を言えば、そのシーンはそこまでのリアリティ必要なかったんちゃう……ゆうのが正直な感想。

監督はこれで3作目のまだ若い作品やし、マニアックな賞は獲ってはるんやけど、オレの評価はやや辛いです。



主人公(森谷文子)は、仕事先のプラスチック工場となんとも陰気臭い家を往復するだけの単調な日々を生きている。

会社勤めの夫とは会話もなく、食事も寝るのも別の部屋。

どこまでも重苦しい感じの夫婦生活が、暗い照明やら薄汚れた壁紙やら……そんな小道具で上手く表現されとる。

そんな主人公が、職場で働き始める妊婦(今野早苗)と知り合うことにより、物語が始まる。



全くつまらん作品ゆうわけでもないの。

主人公には自動車事故による流産ゆうツラい過去があり、それが原因で夫婦の間は冷めきってセックスレスになってる。

そこに、夫に愛され自分のお腹の中に最愛のものを授かった、主人公からしたら目も眩むような幸福のなかにいる女性が現れる。



乗り越えられないトラウマ、羨望と嫉妬、そんな主人公の苦しみは存分に伝わってくる。

特に、立ち直ろうと喘ぐ姿は切ない、めちゃ切ない。

スーパーで奮発してステーキを買い、化粧してイヤリングをつけテーブルに花を飾って夫を待つ。

夫←なんか察したみたいに帰ってこんねん。



台所でキャベツ刻みまくってた主人公は突然意を決し、エプロン取って着てた服も脱ぎ捨て、シャワー浴びとる夫のもとに向かう。



「一緒にシャワー浴びてもいい?」

そんな主人公を

「いやだよ」

の一言で夫は冷たく拒絶。



それでも食い下がり…

「私たち夫婦よね

私たち……夫婦よね?

私…子どもが欲しいの」

そう夫に迫る。




その答えが………



「オレは欲しくない」






あんね……これ彼氏か御主人に見せるべきかもね。

痛切に反省します。

まあ、この映画においては夫は夫なりの傷を抱えとるんやろけど、あんまりです。

男から見ても、それはあんまり酷すぎです。




この話ね、特別なことは何もないのです。

どこにでも、そして誰にでもある過去の苦しみ、夫婦の心のすれ違いを、ひたすらリアリティを持って描いてます。

ちょっとNHKアーカイブズ見とるような感じなんやけど、それはそれで悪くないし、たぶん道に視点を置いた撮り方、緑の田んぼを一直線に伸びる道とか、何回も出てくるY字路とか、かなり好きな演出なんやけどね。



それが生きてないのよねえ……。


結局話題となったエンディングだけに力入れ過ぎて、せっかく丁寧に描かれてた前半部が印象薄くなっちゃった感じ。




して、オレにはどうしてもタイトルの【無防備】←の意味が分からねーのよ。

思われてるより律儀な男です

僕ともあろう者が、うっかりしていた。

気がつけば、約束の18時30分はとっくに過ぎていた。

もうダメかもしれない……今更遅すぎるとは思ったが、とりあえずテレビをつけた。


虎丸、諸事情ございまして数年ぶりに鑑賞することとなったサザエさんのレビューを書かせていただきます。

食い入るようサザエさんを観るオレの姿に、オカンが2度見したうえ無言で逃げてったからね。




さて、残念ながら1話目の【タラちゃん針千本】は見逃してしまったものの、次の【男の中のマスオ】は何とか途中から見ることが出来た。


駅構内でマナーの悪い男に対して注意をしたマスオは、逆ギレした男により暴行を受ける。

ところが、この現場を偶然居合わせたハナザワ不動産社長(カツオの級友の父)に目撃され、話は事実と異なる方向に膨張していく。

この辺りの描写は、現代社会の闇を鋭く抉り出すエッジだと思う。

ハナザワの誇張された話を鵜呑みにした磯野家では、マスオにヒーロー像を抱いた家族が賞賛の言葉を浴びせる。

純粋な憧憬の眼差しを向ける息子タラオの前で、実際の自分、つまらない正義感を振りかざした挙げ句、大衆の面前で暴力に屈した情けない男……という真の姿を見せることが出来ず、うやむやに口ごもる。

だが、同じ男社会を生き抜いてきた波平、その義父だけは、マスオの武勇伝に浮かれ騒ぐ家族の中で、核心を突く重い一言を投げかける。



「マスオくん、相手が仕返しでも考えたら危ないじゃないか」



そのシーンは描かれなかったが、この夜、マスオの苦悩はどれほど深かったろう。

果たして、彼の行動は正義感だけが引き起こしたものだったろうか?

奇しくも、今日は父の日で……(奇しくも、とは言ったが、何年来も日曜固定放送な上、大概日本における各種行事は日曜日なんだが……)大家族における磯野家にあって、マスオと事実上の血縁関係にあるのはタラオだけである。

つまり、タラオの父親としての自分を主張していくことでしか、磯野家という、悪く言えば古い封建家庭制度の中には溶け込めない。

このマスオの孤独と葛藤は、妻のサザエにすら真実を打ち明けられなかった部分で、実によく描かれていたと思う。

そして、マスオのこの孤独こそが、駅構内での一連の行動を引き起こした原動力とすら考えられないだろうか。

孤独は、時として人に使命を強いる。

マスオにとって、義父である波平は理想とする父性であると同時、自身の尊厳、いや、タラオの父という立場すらも脅かす存在なんだろう。

抑圧された家庭の中で自己主張の場を失ったマスオは、駅構内で起きた騒動の中に自分を表出する場を見つけだしたのだ。



翌日、出勤したマスオは妻にすら隠し通した真実を、あっさりと同僚のアナゴに告白する。

対しアナゴは、いかにもマスオらしいと笑い飛ばし、さりげなく一杯どうだと居酒屋に誘う。

何気ないシーンだが、控えた演出が男の悲哀と人情を際だたせている。



ところが、この居酒屋で、運悪く暴行を働いた男と鉢合わせしてしまうのだ。

再発した恐怖に萎縮しまくってるマスオに気付いた男は、何ともくだらない謝罪を述べる。


酔っていた………


さらには、男から話を聞いて腹を立てた細君に、被害者に詫びてこいとウルサく言われたなどと、実に的外れなことまで抜かす。

全ては酒のせい、この男は謝罪の意味すら分かってない。

アルコール依存の恐ろしさを克明に描きだしている。

翌日、男が謝罪に訪れることを聞いた磯野家では、波平を中心に、客として迎えるのであっても男には酒を勧めるべきではないだろうという、ごく当たり前の話が持たれる。


だがしかし……なんと、磯野家に謝罪のために現れた男は、既に酔っていたのだ。

飲まなければ、相手の顔を見て詫びることさえも出来ないという理由で。

エンディングでは、応接間に座った男に対し、どこか弱々しく「お酒はだしませんよ」というマスオ。


が、即座に「まあマスオくん、ビールくらいいいだろ」と波平。



「お〜い母さん、ビール」


そう不自然なほど陽気な声を上げる波平に

「ダンナはいい人だ…」

と泣きつく男……。



僕には波平の言動が理解できなかったが、この物語にはもっと深い人間心理が潜んでいたように感じた。

IL POSTINO

来て見てくれ

通りを流れる血を……




この胸に打ち込まれるクサビのようなリフレインをお伝えするために、パブロ・ネルーダの【そのわけを話そう】を割愛することなく全文掲載させていただきました。

いやあ〜かっこええよね。

Wikipediaさんの解説の通り、ネルーダは外交官であり政治家であり、その人生をファシズムとの闘争に捧げたチリの英雄なわけです。

せやけど、そんな履歴を見るよりも、このチェ・ゲバラも愛したと言われる一編の詩のほうが、より彼という人間を深く表しとるんやないかと思います。

風貌もさ、ゴッドファーザーとかに出てきそうな強面やし、放たれる言葉からも凄まじくエネルギッシュな情熱家が見えるよね。

ともかく、女子を痺れさすようなカッコええニヒリズムがあるわけやけど、そんなノーベル文学賞受賞作家の詩を、微塵の羞恥も感じることなく自分の散文のあいだに挟んじゃうオレもカッコええで←









映画の紹介でございます。

こちらはネルーダを描いた作品ですが、先ほど紹介した英雄ネルーダとは別の顔、実に人間らしい親しみの持てる詩人としてのネルーダが登場します。

チリが軍事政権に入る以前、共産主義を一斉排除した時代があり、その時期に国を追われたネルーダはナポリ沖の小さな寂れきった島に亡命するわけ。

その島でのネルーダと、ある日突然、世界的に有名な詩人がオレたちの島にやってきた!!!!←と騒ぐ島の人々の生活を描いた作品。

つか、この映画でスポットが当てられてるのはネルーダやなく、後世に名を残すこともない島の人々や。

マッシモ・トロイージ演じるマリオゆう島のしょーもないニート青年が、ネルーダ専属の郵便配達人を引き受けるとこから話が始まる。

このマリオが、ネルーダとの出会い……いや、詩という言葉の持つ力との出会いを通して、ただ何となく生きてきた人生を自分のものに変えていく話。

自分の人生を自分のものとして生きているか? 
という問いかけは、
自分の言葉を自分のものとして発しているか? 
という答えに等しいと思う。

まあ、オレはそんなことを感じとれた映画です。




さて、以前ゴッド&モンスターのレビューの結びで、映画の中に神が宿る←と書きましたが、ネルーダぽく言えば適切な比喩が思いつかなかったんで神と書きました。

同じく、このイルポスティーノも神を感じる映画やと思います。

ゴッド&モンスターではホラー映画監督のジェームズ・ホエールを、この作品ではパブロ・ネルーダを取り上げてるわけやけど、こういった実在の人物を映像化するとき、監督、役者、その製作に携わる全てのスタッフは尊敬や愛を持って仕事にあたると思うんよ。

その現場では、興行収入ガッポリ稼ごうゼ…とか、メジャーな賞かっさらおゼ…とか、そういった意識は薄れるんちゃうかな。

ホエールを演じたイアン・マッケランも素晴らしいし、ネルーダを演じたフィリップ・ノワレもネルーダ以上にネルーダやったと思う。

そして、歴史には名も残さない青年、歴史には名を残さずとも、詩人の心の正義となり偉大な言葉の発動力となった青年……マリオを演じたマッシモ・トロイージ、彼の演技を観ていただきたい。

クランクイン前より心臓病を患い、この映画を作りあげることが彼の生涯の仕事となった。

そんな差し迫る時間との闘いなど微塵もうかがわせない、どこまでも真っ直ぐで生きる喜びに満ちた屈託ない青年を生き生きと演じてはります。

映画完成の数時間後、トロイージは短すぎる生涯を燃えつきるように終えてはります。

ちょっと切ないエンディングやけど、この梅雨時には晴れたナポリの風景が実に爽やかで美しい映画です。

なんや鬱々が晴れないわあ…ゆう皆さんは、ぜひぜひご覧ください。
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