2010-6-21 02:37
僕ともあろう者が、うっかりしていた。
気がつけば、約束の18時30分はとっくに過ぎていた。
もうダメかもしれない……今更遅すぎるとは思ったが、とりあえずテレビをつけた。
虎丸、諸事情ございまして数年ぶりに鑑賞することとなったサザエさんのレビューを書かせていただきます。
食い入るようサザエさんを観るオレの姿に、オカンが2度見したうえ無言で逃げてったからね。
さて、残念ながら1話目の【タラちゃん針千本】は見逃してしまったものの、次の【男の中のマスオ】は何とか途中から見ることが出来た。
駅構内でマナーの悪い男に対して注意をしたマスオは、逆ギレした男により暴行を受ける。
ところが、この現場を偶然居合わせたハナザワ不動産社長(カツオの級友の父)に目撃され、話は事実と異なる方向に膨張していく。
この辺りの描写は、現代社会の闇を鋭く抉り出すエッジだと思う。
ハナザワの誇張された話を鵜呑みにした磯野家では、マスオにヒーロー像を抱いた家族が賞賛の言葉を浴びせる。
純粋な憧憬の眼差しを向ける息子タラオの前で、実際の自分、つまらない正義感を振りかざした挙げ句、大衆の面前で暴力に屈した情けない男……という真の姿を見せることが出来ず、うやむやに口ごもる。
だが、同じ男社会を生き抜いてきた波平、その義父だけは、マスオの武勇伝に浮かれ騒ぐ家族の中で、核心を突く重い一言を投げかける。
「マスオくん、相手が仕返しでも考えたら危ないじゃないか」
そのシーンは描かれなかったが、この夜、マスオの苦悩はどれほど深かったろう。
果たして、彼の行動は正義感だけが引き起こしたものだったろうか?
奇しくも、今日は父の日で……(奇しくも、とは言ったが、何年来も日曜固定放送な上、大概日本における各種行事は日曜日なんだが……)大家族における磯野家にあって、マスオと事実上の血縁関係にあるのはタラオだけである。
つまり、タラオの父親としての自分を主張していくことでしか、磯野家という、悪く言えば古い封建家庭制度の中には溶け込めない。
このマスオの孤独と葛藤は、妻のサザエにすら真実を打ち明けられなかった部分で、実によく描かれていたと思う。
そして、マスオのこの孤独こそが、駅構内での一連の行動を引き起こした原動力とすら考えられないだろうか。
孤独は、時として人に使命を強いる。
マスオにとって、義父である波平は理想とする父性であると同時、自身の尊厳、いや、タラオの父という立場すらも脅かす存在なんだろう。
抑圧された家庭の中で自己主張の場を失ったマスオは、駅構内で起きた騒動の中に自分を表出する場を見つけだしたのだ。
翌日、出勤したマスオは妻にすら隠し通した真実を、あっさりと同僚のアナゴに告白する。
対しアナゴは、いかにもマスオらしいと笑い飛ばし、さりげなく一杯どうだと居酒屋に誘う。
何気ないシーンだが、控えた演出が男の悲哀と人情を際だたせている。
ところが、この居酒屋で、運悪く暴行を働いた男と鉢合わせしてしまうのだ。
再発した恐怖に萎縮しまくってるマスオに気付いた男は、何ともくだらない謝罪を述べる。
酔っていた………
さらには、男から話を聞いて腹を立てた細君に、被害者に詫びてこいとウルサく言われたなどと、実に的外れなことまで抜かす。
全ては酒のせい、この男は謝罪の意味すら分かってない。
アルコール依存の恐ろしさを克明に描きだしている。
翌日、男が謝罪に訪れることを聞いた磯野家では、波平を中心に、客として迎えるのであっても男には酒を勧めるべきではないだろうという、ごく当たり前の話が持たれる。
だがしかし……なんと、磯野家に謝罪のために現れた男は、既に酔っていたのだ。
飲まなければ、相手の顔を見て詫びることさえも出来ないという理由で。
エンディングでは、応接間に座った男に対し、どこか弱々しく「お酒はだしませんよ」というマスオ。
が、即座に「まあマスオくん、ビールくらいいいだろ」と波平。
「お〜い母さん、ビール」
そう不自然なほど陽気な声を上げる波平に
「ダンナはいい人だ…」
と泣きつく男……。
僕には波平の言動が理解できなかったが、この物語にはもっと深い人間心理が潜んでいたように感じた。
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