16歳の必死に恋してた私。
26歳の少し大人になった私。
少し…ほんの少し大人に。
…本当に?
大人になれた?
閉じ込めたままの心は16歳から変わってないんじゃない?
立ち止まる時間もつくらず歩いてきた私。
私が心に鍵をかけたこの10年間…貴方はどう過ごしてきたの?
【心の鍵】
二年付き合った年下の彼にプロポーズされた。
年下だけど、頼りがいがあって…大切にしてくれるかっこかわいい自慢の彼だ。
思いがけないサプライズに驚いて、私は暫く言葉を失っていた。彼は「返事は今すぐじゃなくていいから…」と頬を染めながら言ってくれた。
少しびっくりしただけで、私の返事は決まってる。ただその瞬間、私の思考は完全に止まって真っ白になっていた。
「帰ろうか」と言っていつも通り彼は私を部屋まで送ってくれた。帰る間際に、「ゆっくり考えてみて」と真剣な目で念をおされた。
きっと、私は、倖せだ。
その夜、一人の部屋で頭に浮かんだのは最初に付き合った人だった。
もう何年も顔を見ていない人。元気にしていればそれでいい。
殺しても死なないような人だったし、と久しぶりに思い出して思わず笑ってしまう。
ろくなやつじゃなかったけど…すごくすごく好きだった。初めて本気で恋をした。その人一人しか見えなくて…誰より何より信じてた。
別れた理由ははっきり思い出せない。喧嘩はよくしていたし、掴み所のない人だったから、些細なきっかけでお互い心が離れちゃったのかもしれない。
勝手な人だったから、最後の一言は意外だった。
『倖せになれよ』
当時の私は、今より子どもで。幼くて。
幸せにしてくれるのは貴方じゃないのね、って悲しくなった。
今考えれば、不器用な彼の精一杯の優しさだったのかもしれない。
幸せにしてもらおうと思っていた私が子どもで。
よくガキって言われてつっかっていたのを思い出した。
私だけじゃなくて、きっと二人とも子どもだったんだ。
今なら分かる。
倖せは人にしてもらうものじゃない。
自分で、それか誰かと、築いていくんだ。きっと。
それは私が大人になったから分かること。16歳の私には見当もつかなかったこと。
それでも必死で恋してた。
私は、倖せだった。
そこまで物思いに耽って、時計を見ればいつも寝る時間を随分と過ぎていた。
明日も仕事だ。早く寝ないと。
懐かしさの中に小さな痛みを感じながら、私はゆっくりと眠りについた。
まさか、この日から運命の歯車が回りだすなんて、想像もしていなかった。
*****
11月も終わりが近づくと、朝は随分と冷え込む。天気がいいから温かくなるだろうとタカを括っていると、痛い目を見る。
会社のエントランス前で、手袋してくればよかったな、と両手をすり合わせた時だった。
木枯しにのって、紅葉が一片ゆやの前に落ちる。
鮮やかな赤に目を奪われ、思わずしゃがんで手に取った。
その隣を、長身の男性が通り過ぎていった。
***
「おはようございます!」
笑顔で挨拶しながら、ゆやの担当部署、事業部の自分のデスクに荷物を置く。何となく拾って持ってきてしまった綺麗な紅葉は、一番上の引き出しに入れた。
「おはよう、ゆやさん!」
丁度良かった、と事業部の主任、幸村が声をかけてくる。
「こないだ言ってたあの企画!昨日の夜、かなり粘って上と掛け合ってみたら…通ったんだ!!」
「ほんとですか!!」
「うん!で、クリスマスの恋人達に向けた企画だから、女性の意見もしっかり取り入れたいと思って…」
ゆやの働く事業部は、ゆや以外は全員男性なので、女性が絡むような企画や商品はゆやを優先的にチームに入れることが多い。
「幸村さんが特に力を入れていた企画ですよね。私も企画書の段階ですごく気になっていたので…もちろん、全力で参加させて頂きます」
「ありがとう。それでね…」
にっこりと優しく笑い、やり手の上司は続けた。
「うちの事業だけじゃ限界があるから…他社とも連携をとりながらのプロジェクトにしようって話が進んでるんだ」
「え?」
他社と連携をとるような大掛かりなプロジェクトには、事務職上がりのゆやは参加したことがない。
「ゆやさんなら大丈夫って、僕も、上層部も思ってるから。普段通りに取り組んで」
「は、はい!」
ポン、と肩を叩かれて、返事をする声が少し力む。
「早速、午後から取引先の人も含めた会議があるから、資料の確認よろしくね」
「分かりました!」
言って、幸村は忙しなく去っていく。
ゆやも魅力を感じていた企画で、今までにない責任を伴う仕事なので、とにかく頑張ろう、と気合を入れるのだった。
***
会議室にはゆやの会社のメンバーが集まっていた。
予定の時間に
「狂…」
「……」
目を見開いた驚いた表情。
「ゆやちゃん!!」
「ゆやさん」
「アキラさん、梵天丸さん、灯さん、ほたるさん!」
「あれから色々あって…今は会社を立ち上げています」
会議の後、会議の内容を踏まえた行程などの資料制作に彼らはそのまま会議室を使う。
途中でお茶を差し入れに行った時。
ノートPCに向かう狂は黒縁の眼鏡をかけていて…知らない人みたいだった。
狂+四聖天と懐かしいね飲み会。
ゆやの家から歩いて行ける距離に、狂達の会社のオフィス兼狂の部屋があると知って驚いた。
酔ってつぶれたゆや。
会社と同じビルに部屋がある狂の部屋で寝てる。
梵の計らいで狂に託される。
「……狂」
寝言で名前を呼ばれただけで…触れたくて仕方ない。
けれども自分は彼女の現在を知らない。そう思い至って堪える。
できるだけ、優しい手つきで頭を撫でる。
「倖せになれよ」
額と額をあてて囁く。
殺風景な部屋に響いた声は、普段の彼からは想像できないほどやるせなさが滲んでいた。
「ん…」
水の流れる音で、ゆやは目が覚めた。
ぼんやりと周りを見渡せば、雰囲気は見覚えがあるようで…見覚えのない知らない部屋。
「えぇ!?」
焦って起き上がる。服は…着ている。
「ここは…」
生活感のない殺風景な部屋。
煙草と…少しアルコールの匂い。
窓際の大きめのベッド。
サイドテーブルのゴミ箱にお酒の缶が何個も入っている。
ゆやの今の恋人は、飲酒しない。
月を見ながらお酒を飲むのが好きだった。
白いシーツを掴む。
なんとなく察した。
きっと此処は、
「起きたか」
タオルで髪をながら、見覚えのある男が部屋に入ってきた。
上半身が裸だ。
「ふ、服着て!!!」
手元にあった枕を投げる。
「……今更」
軽くキャッチして、呟く。
そりゃ見覚えはある。ずっと前に。でも!!
「信じらんない!!」
「オレ様の部屋だ」
何が悪い、と眉間に皺を寄せる。
デリカシーがないところは相変わらずみたいだ。
ゆやが狂から目を逸らして、座ったまま掛け布団を被っていると。
「酒が抜けたなら送る」
服を着ながら、低い声が告げる。
狂から「送る」なんて初めて聞いた。
強引にお泊まりコースが多かった。
家のことだって、ゆやの方が詳しくなっていた。
冷蔵庫の中身、洗濯した服の仕舞い場所…。
私はただの元カノで、ここは狂の部屋でも…元カレの狂の部屋なんだ。
と実感した。
***
帰り道。
最近の話をする。
壬生って大きな会社にいたこと。そこは今、京四朗が若社長として頑張っていること。
壬生から独立して四聖天メンバーと新しく会社を立ち上げたこと。
パソコンを使うときだけ眼鏡をかけていたこと。
「意外だった!目付きが悪いのは、目が悪かったから?」
「…関係ねぇ」
京四朗が使いだしたPC用のドライアイ防止眼鏡がなかなか良かったから、使っているらしい。
「私も使ってみようかな」
「梵は一日だったな」
ニヤリと思い出したように口角を上げる。
「梵天丸さんが…眼鏡?」
「ククク」
からかうような笑顔でなんとなく悟ってしまった。
きっとみんなに一日「に、似合わな…」と笑われたんだ。
梵天丸の眼鏡姿は、ゆやもちょっと想像がつかない。
他愛ない話をしているうちに、一人暮らしのアパートまで着いてしまった。
「今日は送ってくれてありがとう。明日も仕事…暫くよろしく」
「……」
玄関の前でお礼を言うと、静かな沈黙が走る。
「チンクシャ」
「ちょっと!まだその呼び方…」
反射で言い返そうとした時。
ポケットにそのまま入れていた眼鏡をゆやにかけ、顔を覗き込む。
至近距離で見る特徴的な紅い眼は、ゆやの記憶よりも深みを増したような…。
鼻腔を擽る煙草の匂いに、顔面が熱を持つ。
けれど、それは一瞬だった。
「テメェも眼鏡は似合わねぇ」
ニヤリと笑って、ゆやには大きな眼鏡を取り外す。
「あ、アンタに言われたくないわ!」
私が眼鏡かけようがかけまいが私の勝手でしょー!と言い返している間に、踵を返して歩き出してしまった。
そして、狂は一度も振り返らなかった。
昔と変わらず話せる…寧ろ昔よりも少しよく喋る狂に、落ち着くようで落ち着かない不思議な気持ちになっていた。
一つ確かなのは…
もう少し一緒にいたい、と心が叫んでいた。
*****
第一話〜。再会編〜。肝心のゆやの彼氏出てない(笑)