夜勤のため出勤中、
外が暖かくてさあ。

散歩してるわんちゃんやら子供やら、穏やかに賑やか(ややこしい)だったわけね。


あー今年ももう春だなぁ暖かいなー爽やかな陽気だなーって、歩いて電車待ってバス待って。



穏やかな陽気のなか、なぜかふと父親やしんだ姉を思い出してしまって。


父親の、
してもらったこと、したこと、言われたこと、言ったこと。

父親の想い描いていた人生はこんなはずじゃなかっただろうに。

私がしっかりしてなきゃいけなかった。味方でなきゃいけなかった。
まあ、そう思うのは、今になってだからだと思う。



姉が精神を病まなければ。あの会社に勤めてなければ。両親があの性格でなければ。私がもっと一生懸命であれば。長女がもう少ししっかりしていれば。うちに男の子が居れば。

そうしたら私たち家族はこんなにバラバラにはならなかったのに。


私は、人付き合いが得意ではないけど、人と関わるの嫌いじゃない。もちろん後悔することも頭に来ることも落ち込むこともあるけど。

父親は、プライドの塊みたいな人。だけど要領は良くないと思う。愛想も良いけど、その分ずかずかと踏み込む。
そんなだから嫌われがち。友だちも居ない、1人で出来る趣味もない。


私も友だちは居ないけど、1人で好きに出掛けられるタイプ。


実家で父親は、誰と喋るでもなくお米を炊いて適当に1人で食事。
早々と寝て仕事に行って、職場でミスして怒られて一人ぼっちでただテレビを観て。

母と姉も一緒に住んでるけど、みんなバラバラ。



父親は、「家族なんだから」が口ぐせみたいな人だったのね。

旅行に行くにも、思春期の次女が行きたくないって言うと激昂。

旅行や家族で遊びに行くのが大好きな人。
(まあ旅先ですぐ不機嫌になるから、こっちは気を遣うけど。)

そんな人が、一人ぼっち。


なんか。人生ってなんだろう。
昔、父親が首を吊ろうとしてたけど思いとどまった。
そこには、死にたくないって思いやまだこれから明るい未来が来るのではと期待した思いがあったのかもしれない。

でも、現実はこれで。
父親は何を思って過ごしてるんだろう。

毎日悲しくて寂しくて虚無感に追われて姉はしんだわけで。


楽しかったこともあったし、してもらったはずなのに、思い出すのは、傷付けたこと傷つけられたこと。心に蓋をしておかなければ気分が落ち込むことばかり。


歩み寄らなければ父親が亡くなったとき、私は後悔をするんではないだろうか。
でも、こんな気持ちになるのはやはり今になってこそ。
とても許せないこともあったでしょ?
でも、いつまでもこんなでいいのかな。
たった1人の父親なのに。
父親だって、報われてもいいはずなのに。

父親は幼い頃から、父親の両親がなかなかの人たちだったから苦労してきたみたい。
兄弟が多くて必死に両親の代わりとして頑張ってたみたいだけど、父親が困ってるとき兄弟たちは何もしてくれなくて、それを見聞きしたとき、父親をすごく哀れに思ってしまった。



母の友人たちから、両親が亡くなってから不仲だったことを後悔してるって話をたまに聞く。
聞いてて、今私も父親の心配をしてるんだから、連絡するなら会いに行くなら今なのに。先延ばし。

きっと、そしてこの先延ばしをそのうち後悔するんだ。


この数年で父親も精神を若干病んでて、薬の影響もあってか人が変わったよう。
私のことを思い浮かべたり心配することもあるのかなあ。
思い浮かべてくれてても、恨み言かなあ。




と、そんなことを昼間の春暖かな陽気のなか考えてしまったとさ。


さ、夜勤中。気を引きして仕事に戻ろう。