よく読ませていただいているブロガーさんがいるんだけどね。
最近、旦那さんが発達障害の疑いがあるっていう記事が多くて。
あ。
ぼく発達障害の診断受けてます。
すごく勉強になるんだよね。
心の面って、言葉にしにくいし。
カウンセラーさんなだけあって、的確な言葉で書いてくださる。
発達障害って、
ハンデだったり、
劣ってるだったり良いイメージってないと思うんだよね。
んで、
ブログを読ませて自分なりに気付いたこと。
「脳の構造が人と違うだけ」ってこと。
それって、
劣っているわけではない。
ただ、違う。
それだけのこと。
出来ない=劣っているが蔓延して、自己否定に繋がるだけ。
出来ないことに善悪なんかねえよ。
まして、脳の構造が違うことに善悪があるわけがない。
結果が数値で出るからってのもありそうだなぁ。
数字だと簡単に比較出来るからね。
脳の構造は、
本当に数値化出来るものなのか?
昔、友達と飲みながら発達障害の診断を受けた話をした。
その子も発達障害の疑いがあるって言われたらしく、検査を受けることが怖いと言っていた。
その「怖い」っていうのも、劣っているとか(自分自身の)レッテル貼りだろうなと。
出来ないイゴール悪とか。
そう思うと、自分から進んで検査に行った何処ぞの人の異端さよ!
さすが異端児。
出来ないなら出来ないで認めたかったし。
それが、どんなに辛い事実だろうが。
っていうか。
自分は発達障害なんだろうか?
って、うだうだウダウダうだうだウダウダ……考えているのが嫌だった。
死ぬほど時間の無駄や。
うだうだとか、
女々しすぎて俺のイケメン具合が廃るしな。
さっさと結論出して、
どっちにしても事実を受け止めたかった。
答えの出ないことで悩むことほど無駄なこともない。
死ぬまでイケメンでいたいホトトギス。
……何の話だっけ。
脳の構造上から出来ないことを「脳がバグる」と呼んでいる。
自分が採寸出来ないことを最近知った。
脳がバグるんだよね。
2次障害で発達障害はうつも併発しやすいらしい。
実際、自分も抑うつの診断を受けた。
抑うつの原因は、
脳の構造が人と違うことへの不理解だったのではなかろうか。
出来ないことを頑張りすぎた結果。
よく「発達障害に見えない」と言われるが。
だって、努力したもん。
「もう死にたい」になるまで。
負荷のかけすぎだ。
そこまで頑張る必要ってないんだけどね。
それに気付いてから、
自分で自分のカウンセリングをした。
自分の心の何が問題なのか?
→原因となる過去を探り修正を加える
生きやすさにおいて、
その価値観や思考は正しいか?
→今までと真逆の行動をしてみる。
抵抗があっても視野を広げるためにやる。
気付けば、自己分析が得意になっていた。
簡単に書いたけど、
この作業ってめちゃくちゃしんどい。
簡単に出来るもんなら、ぜひやってみてほしい。
心の問題なんざ直視したくないし。
原因となった過去なんて痛いに決まっている。
そして、自分の価値観と真逆の行動なんて簡単に出来るかっての。
こえーわ。
何度、号泣したかわからない。
子どもみたいに泣きじゃくって自分でビビった。
辛いとか痛いからじゃない。
自分が求めていたものを認めて、しっかり感情を味わったから。
どれだけ今まで心を感じないように生きていたかを思い知った。
このしんどい作業を2年はやった。
他にも徹底してやって、
3年目にはかなりの効果が出た。
4年目には生きにくさとお別れ出来た。
長々書いたな。
本題なんだっけ。
脳の構造の違いで劣ってるだの思うのはバカらしい
って、言いたかった。
その比較みたいな考え方は廃ってほしい。
そうそう。
ブロガーさんの受け売りでスピリチュアルな話だけど。
「発達障害を選んで産まれて来た人は、出来ないことで人に優しくする人」
人を頼らせてあげるってのは優しいことらしい。
でも、わかる。
頼られるのは嬉しいことだ。
しかしだ。
頼るためには「出来ない人」がいる必要がある。
出来ない人である発達障害を選んで産まれてきた人は優しいと。
たくさん人を頼らせてあげられるから!
出来ないことで貢献しているのだそう。
いやあ、
生きてるだけで貢献しすぎてヤバイわ。
優しいから仕方ない。えへん
出来ないデキナイ落ち込んでるより、よっぽど魅力的な考え方だと思う。
個人的には、出来ないことすらどうでも良かったりする。笑
うん、お腹すいた。
ご飯だ。
何飯かわからない午前2時。