興味のある人物を見つけると
人の時は輝く
だが
興味の沸く人物は
案外そうそう
地上には存在しない
数多くの生き物が生存する地上で
実際興味の沸く人物
実際関わっていく人物
興味のある動物
興味の植物等
というのは一握りであり
不思議な事である
実際
そういった
自分にとって
興味、愛着、尊敬を抱くものは
かけがえのないものであり、
大切な存在なのではないか
興味をもったものを追う
思う、考える、話す
と言った事は
その人自身を形成し
その人自身のキャラクター、特徴になるのではないだろうか
だが
いずれそれらは興味を無くしたり、いつまでも興味の有るもののままだったりする。
興味が無くなったものは
自然と忘れさり、
『今はね、別にそこまで興味ないなぁ』
とまで
呆気ない言葉の中に消えてしまう。
だが
そういった興味の薄れたものも
意識上薄れたとしても
心の中では早々消えるものではありません
きっと
それぞれ私達に色々な感情、考え、感性、世界観、感動を与えてくれたに違いない。
そういった
数少ない
興味という光を追求していってはいかがだろうか。
色々な場所へ行ったり
見たり
聞いたり
まだ未開拓のものに触れてみる事で興味の無かったものに
興味が沸いたり
理解したり
批難したり
そういう事で
人は自分という軸を元に
膨らんだり磨かれたりするのでしょう。
消えていくものは
吸収され、
もうこれ以上は必要ないと
自己判断したものなのでしょう
その利己的というか
人間らしいというか
己の欲望の為に衝動的になり
自らにとって不要な為に切り捨てる
そういった我が侭な存在の興味、欲望の為に
色々な存在が手を貸し、支えてくれている事を
我々は感謝しなくてはいけませんね。
己以外の存在が無いと
人はどこに向かって生き
どのように成長するのでしょうか
その事を思うと
今周りにある
すべての存在に
有り難みを覚えます。
自分だけではないという事
誰かが、何かが生きているという事。
もし、
私一人が地球に生きているなか
黒い石が一つ転がっているのならば
私はその何のへんてつも無い一つの石と親友になるだろう。