「おい“蝿”」
影を爪先で小突けば霊的視覚に於ける影に波紋が走る。
「……蝿って呼ぶなっちゅうねん」
声と共に現れたのは“触角”だった。先端にふさふさの微細な毛を生やしたそれは周囲を確認するように忙しなく動き回ったかと思うとすぐさま影に引っ込んでしまった。そしつ次に現れた“腕”が「よっ!」という掛け声を供に本体を引き揚げたのだった。
「せやからウチは、蝿やのうて“蜂”やっちゅうねん!」と、両手に付いた土を擦り落としながら自分を顕す言葉を強調しながらもその仕草はまさに彼の言う蝿に相応なかった。
「よう、ショウジョウバエ。早速だが働け」
「あんさんはもちっと礼儀を知るべきやね」
そうため息を吐きながらも、しっかりと話を聞く意思を見せる辺りは主従の関係が成り立っていると言うべきか、はたまた蜂自身の元来の心根の良さが染み出していると言うべきか。
「偵察だ。ジェティス元老騎士の“黒い縁”を追え」
「黒い縁、ねぇ。誇り高い元老騎士が地に堕ちたもんやね」
「お前の意見は後にしろ。事態は急を要する。詳しいことは“会話”で行うがやることはいつもと変わらん、さっさと往け」
「はいよ。まったく、使い魔使いの荒いことで」
ぼやきつつも蜂は羽を振るわせ軽やかに飛び出した。ブン…と大気を叩く音を引き連れ蜂は世闇に消えていった。
『詳細を説明する』
蜂が飛び去って数瞬ののち、義務的な声が“会話”を始めた。
『対象はさっきも言ったがミトラ・ジェティス元老騎士。彼にはここ最近、幼児を囲っているというまことしやかな噂が立っていたそうだ』
「うっわ、ロリコンの上ショタコンかいな。救えないわぁ」
『それと同時期に街に“幼子を喰らう鬼”の噂も流れ出した。この噂の発端は三ヶ月前の明朝に血の全てと体の一部を欠損した6歳の女子の遺体が発見されたことだ。以降、同様の遺体が性別、場所、時間、欠損箇所を変え発見されている』
「血と欠損、やと…?」
『ジェティス元老騎士は数年前に実子を事故で亡くしている。その実子の享年と事件の被害者の年齢はほぼ一致している。おまけに事件の発生と同時期になっていかにも怪しい人物がジェティス元老騎士の屋敷に出入りしているのが目撃されている』
「そいつはずいぶんとキナ臭い話やないか。そいつはどう見たって“私が犯人です”って自主してるようなもんや」
『だからといってジェティス元老騎士が犯人とは証明しきれない。ロリコンにショタコンの疑いがあるだけで、実際には遺体が遺棄されたと思われる時間にアリバイが有り、かつ確固とした証拠がない。目撃証言だけではどうにもならんからな。おまけに被害者全てが浮浪児で身元が証明しきれないのも関係している』
「…んー、要はジェティスてぇ奴とその鬼が同一人物、いや“鬼”に人物ってのもおかしいんかな。とにかく一致するかしないか調べろっちゅーことやな」
『まあ、そんな所だ』
「オゥケーィ、了解したわ。そないな外道、ちょちょいと証拠掴んで日の本に晒したるわ!」
『ではこれで…』
「ちょいと待った。あんさんがこの事件に首突っ込んだんはもしやあの双子ちゃんの影響かい?」
『…“会話終了”。さっさと終わらせろギンヤンマ』
フッ…、と回線が一方的に切断される。
「…そいつはトンボや」
呟いても相手には聞こえない。
「まあなんにせよ、可愛いげはまだ残ってたちゅーことやね」
にやり、と端から見たら悪者にしか見えない笑顔を浮かべる。雲の切れ間から零れた月の光にほの暗く照る屋敷の明かりが浮かび上がる。
「鬼が出るか蛇が出るか。どっちにせよ“鬼”がでることは確実っぽいんやけどな」
ほな、いこうか。
ブン…、と蜂は羽を振るわせた。