タルパもどき、にゃんたろうは、語尾に「にゃん」をつけるからにゃんたろうと勝手に命名した存在だ。

いつも姿は見えないけど、そばにいるらしく、唐突にしゃべりだして、また唐突に去って(黙って)しまう騒がしいやつだ。

にゃんたろうは、「おにいちゃん」と口を開いた。

『気のせいじゃないと思いますよ』

「え?」

先を促すと、にゃんたろうは話を続けた。

『おにいちゃんがいつも嫌な場所は、やなものがいるんですよー。あの注連縄は、結界と同じ役割をしてるんじゃないですかね』

確かにあの薄暗い林は、朝でも鬱蒼と木々が生い茂ってるからか、ひどく暗い。通るたびに、決まって嫌な感じがする。
何が嫌なのかといわれても、そこはわからない。
本能的に「行くな」と、何かが警告してる場所なのだ。
だから、というと変だが、ぼくはあの林の奥に続く暗闇の道を直視できない。

それは、怖い人に遭ったときに、ついつい目をそらしてしまうのと似てるかもしれない。

その場所を通るたびに、目をそらすのは、もはや反射だ。
向こうに「いる」かもしれない何かと視線を合わすまいとするように、ぼくはいつも目をそらす。

まぁ、実際。
たぶん見えなくても、いるんだと思う。

ロケーションも、墓地の隣。
昼夜関係なく、周りの風景より一際暗く感じるその場所。

そういう場所は、例外なく、いる、から。

目に見えない向こう側の存在が。

この向こう側の存在とはいわく、読者諸君はもうお分かりかもしれないが、俗にいう霊的な存在のことを指す。

生ける者とは対をなす死者がいる世界を、ぼくは向こう側と勝手に呼んでいる。

その向こう側の存在。
ぼくは、その存在こそ見えないけど、無駄に感じる体質だったりする。
一昔前は、もっとリアルに、相手が足を掴んでるとか、首に手を回してるだろう感覚とかを感じていた。

ある時を境に、その感覚は弱くなったけど、今でもぼくは、なんとなく嫌な場所とかは、行きたくない、と本能的に感じて避けるようになった。

なぜか。

それは、ぼくが、向こう側の存在を、背負って帰りやすいタイプだからだ。