話題:がんばる自分をやめてみました。
いただいたコメントが、見た夢とリンクしていたから夢について。
いまの職場でほぼ難癖つけられる夢と中学時代の夢。
中学時代の夢は、あの頃の日常と言っても過言ではない。
揚げ足取り、難癖、見下し。
視線が少しでも合えば「こっち見た」
お前も見たからだろーが、アホめ。
多数決で落ちれば「うわ、だっさ」
22票も入ったすげーと、それでも思う私。
そんなわけで、自分が悪いとどんどん自信を無くしていくんですよ。
悪いこと何もしてないのにね。
心が弱ると正常な判断が出来なくなるから困ったもんだね。
落ち込みながら歩く帰り道。
ふと現実で受け取った言葉を思い出す。
「君はもう犠牲の世界に浸らなくていいんだよ」
あっ、そうだった。
本当の自分…。
現在の思考が蘇る。
あの教室だけが自分の居場所じゃない。
言われたから何だ。
あんな悪意しかない、何の為にもならない言葉を信じるのか。
自分自身よりも?
彼らは犠牲を学びたがっている。
誰かを犠牲にして、
回り回って自分が犠牲になって。
私が探しているのは、
誰かを犠牲にして幸せを得る道じゃない。
誰も何も犠牲にしないで平和でいられる道だ。
いざとなったらぶちギレて良い。
私は犠牲になるつもりはない。
自分が辛いなら自分を守るだけだ。
もう大丈夫だと思った。
そこで目が覚めた。
思考に関しては一瞬だった。
その一瞬を言葉にするとこんな感じ。
自分が自分らしくいられること。
自分を信じること。
結局、強さって、自分をどこまで信じられるかなんだと思う。
あの環境を生き抜くためには、何を言われても自分だけは自分の味方でいることだ。
自分を責めたりしないこと。
例え、憎しみを抱いたとしても。
そういう自分も認めること。
憎しみや悲しみは「いけない」と思うから増長する。
憎んで良い、悲しんで良いと言えたら違うはずだ。
辛いのは、自分を嫌いになったから。
いっぱい憎んで悲しんで泣いて、駄目な自分を笑ったら良いよ。
それでも自分は自分だから。
どうせ自分は自分だから。
言われて辛かった、
我慢が辛かった。
なら、辞めたら良い。
犠牲なんか学ばなくて良いじゃん。
犠牲って、誰得?
君がいらない人間だなんてマヤカシ。
存在しているのに、いらないって何?
私はそんな事実認めない、信じない。
自分の環境が不当なら、思い描いたら良い。
そんな世界がどこかにあること。
帰り道に見つけた秘密の場所のように、ひっそりとあるはず。
あとは出会って気付くだけ。