話題:がんばる自分をやめてみました。
昔、バージンプレイスという詩を書いた。
ブログで公開しているけれど。
自分の権力や地位だったり、それこそ処女だったり。
価値を見出だすと、
自分を見失うよなぁと。
また昔の話をすると、
財力を自慢する人とメールをしたことがあって。
僕は文章が上手い人にクラッとくる細胞を持っていましてね。
体験談だったけれど、
内面に響くものがあった。
それがあってメールに繋がった。
もちろんだけれど、文章が上手いからって人間的に優れているわけではない。
当時の僕はそれに気付いていなかった。
彼が欲しかったのは、
自分の穴を埋めるもの。
自分の象徴である財力を認めて欲しかったんだろう。
だけど僕は財力なんぞに興味はない。
興味があったのは、
あなたの素晴らしい体験だ。
答えがないものに葛藤する人は美しい。
目に見えないものを上手く言葉に出来る人に惹かれる。
財力を自慢することが悪いわけではなく。
社会がそういう体制だしね。
だからこそ、自分を見失ってはいけないんだ。
心の穴を埋めようとすがる人間に誰が魅力を感じるというのだ。
それに引かれて来るのは共依存くらいだよ。
彼が自分を認めて欲しいように、僕の根底にあるのもまた承認欲求。
違ったのは、相手という人間をどれだけ見つめていたか。
当時はそこまで考えていなかったかもな。
やっぱ、他人の評価にすがりついている人間に魅力は感じねーわ。
必死に守ろうとしているものは、鍍金を剥がされたくないから。
自分を出さないために覆った鍍金なんてさ。
まだまだ自分にも、その節はあるけれど。
何せ、カッコつけだからね。
カッコ悪いクセにカッコつけてるチョーだせぇ奴。
カッコ悪いのに気付けよってな。
地位や権力に価値を見出だしてるのも同じさ。
カッコ悪い自分を認めちまえ!!
「あっしがやりました」
って言うのと同じくらい楽になるからよ。
…なっ、自分。
自己肯定について考えて考えて、考えてるわけです。
仕事がちっとも終わる気配ないのに、ブログ書いちまってるよ。
なんかね、書かなきゃいけない気がした。
スラスラ書けたってことは、そういうことなんだろう。
ほんと、生きているんじゃなく生かされている感じがする。
でも、それでいいや。
社会に生かされるよりずっといいよ。
自分の意思なんだもの。
不正解になりようがない。
自分は凄いんだぞ!俺を認めろ!!っていう傲慢な人間は好きになれないよね。
最近、好きだったアーティストさんからそういう空気を感じて残念。
カッコ悪い部分を晒け出せるのがカッコ良かったのに。
不思議なもんでね。
ダメな人間を愛せないなら、世の中に愛される人間がいなくなる。
だから、駄目な自分も愛おしいのだ。
そう思いましょう。
仕事をサボってブログを書いている自分も愛おしい。
きっちりした人間ばっかの世界なんて息苦しくてかなわん。
仕事をサボる貴方が僕は好きです。
見ていて心が軽くなるからねっ!
自分らしく生きるって、
たぶんそういうことなんやないかなぁ。
駄目な自分こそ愛してしまおう。
その方が他人も救える。
少なくとも自分なら、駄目な自分すら愛している人のが一緒にいたい。