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りすたぁと

話題:がんばる自分をやめてみました。


ずっと自分が頑張らなきゃって思っていた。

肺がないから甘えに見えないように、余計に頑張らなきゃって。

でも、違ったんだ。

肺がなくなったのは、
きっと頑張りすぎるから。

体は

「もう頑張らなくていいよ」

って、ずっと言っていた。


入院していた時に、日課の病院内散歩をしていた。

椅子に座って休んでいたら、向かいの席におばあさんが座った。

「患者さん?若いから違うのかと思った」

それから、病気の話なんかをした。


同じ科にかかっていることがわかって、意気投合(?)した。
出身のこと、家族のこととかを話した。

その時に言われたんだ。

「肺ぐらい取らないと、
あなた頑張りすぎるから」


ああ、そうだ。

その時は、「何も頑張ってないし!むしろ、頑張らなきゃいけない側の人間だしっ!」

って思ったけれど、
そのあと短大に復学してから体が動かなくなった。

まわりが非協力的だから、頑張る教の自分は頑張った。

まわりのせいで被害被るのは嫌だったし。

頭痛薬が必需品になっていた。
疲労から来る頭痛なのはわかっていた。

それでも、休むっていう選択肢は思い付きもしなかった。

そんな毎日を送っていたある日、心が潰れた。

学校に行かなきゃいけない時間なのに体が動かない。


困った。

頭がわりと冷静なだけに困った。

原因はなんだ?

いろいろ問いかけて自分を探ることにした。


何かが辛かった?
やりたくないことがある?

反応なし。


「もう頑張らなくていいよ」


心が軽くなるのを感じた。

動いてくれなかった体が動くようになった。


ああ、
無理させていたんだね。


無意識に頑張っていたんだ。

そうだ、
肺がないからって甘えたくなかった。

言い訳に使いたくなかった。

体調不良も認めたくなかった。


ずっと、そうだった。
やっと気付いた。

以前の自分と違うことが嫌だった。

そんな自分を見たくなかった。


体はずっと教えてくれていた。

「頑張らなくていい」って。

甘えられるように、楽に生きられるように教えてくれていた。


「肺ぐらい取らないと、
あなた頑張りすぎるから」

この言葉が温かくて、
そして痛い。

なんかもう、
ただただ「ごめん」って言葉と涙が溢れた。

自分のつまらない意地のせいで、ずっと無理させた。


ガッチガチの固定観念でいろんなことを縛り付けていたのは自分だった。

本当は何もなかった。


何も。


保守的に生きすぎていた。

嫌われることなんか怖くないって知っているクセに。

嫌われた分だけ自分は味方でいられる。

誰も理解できない自分を好きでいられる。

何も怖くない。

全部わかっていたのに。

もういいんだ。
全部やめていいんだ。


視野が狭くなるのはサイズの合わない帽子を被っているから。

それが下がって目を隠す。

時々、気付いてサイズを調節するけど、今度はキツくて頭痛を起こす。

帽子、取ったらええやん。

なんで被る必要あるの?
誰が被れって言ったの?

えっ、自分?
…マジで?


ああ、当たり前すぎて帽子の存在忘れていたんだ。

脱ごう。


その方が相手からも自分がはっきり見えるよ。



というわけで、
固定観念という名の帽子をワタクシは脱ぎました。


俺は一生懸命、生きている。


だから、素晴らしいアイディアだってたくさん降りてくる。

当たり前だろっ!


もう疑わない。

君は素晴らしい。


これからは「出来ない。」「やらない。」「無理。」を多用して生きてやるぜ!



最高のコンディションでリスタート決められるぜ。
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