話題:ひとりごと

母方の祖母の調子がよくないことは知っていた。実家を離れて2年。その間、休みの関係や祖母の体調の問題から会えずにいた。最近も体調を崩したと母から連絡を受け、会いにいきたいと伝えれば、ほとんど病院みたいだからと言われ、話は宙ぶらりんになっていた。母から祖母の容態が急変し、危ない状態になったと連絡が入ったのは夕方だった。今度こそは会いにいかないとつよく思った。

祖父が亡くなったとき、仕事や恋、遊びと夢中なことがたくさんあり、亡くなる1ヶ月前くらいに定期的に会いにいっていたのをやめていた。入院をしていた祖父。お見舞いにいこうとすれば、元気のない姿を孫にみせたくないからと会えず、一時退院もし回復してると思った矢先、祖父は亡くなった。あたしの誕生日の前日に。会えなかったこと、叶えられなかった約束の数々、後悔しか残らず、未だに思い出しては泣けてくる。
こんな後悔をしたくないからこそ、あたしは仕事や恋人よりも家族や親戚をたいせつにしたいと優先しようと決めている。恋人もたいせつだけれど結婚してない今はまだ他人。別れることだってあるだろうし、未来の話をしてくれない(もはや、嫌う)彼は現段階では優先順位は低い。定期的に実家に帰ることも独身の友人たちはよくしていて、それは家族だからというつながりをたいせつに思っての行動であることも知っている。

祖父にもみせてあげれなかった花嫁姿やひ孫を祖母にもまたみせてあげられそうにない自分が情けなかった。父方の祖母は結婚しないの?どうするの?とうるさく尋ねるので煩わしさを感じたりもしているが、母方の祖母はそんなことよりも今の彼とのことを心配してくれていた。結婚やひ孫なんてきっと見られたらうれしいくらいで、なによりも娘である母やあたしたち孫が幸せであることを願っていることを知っているからこそ、あたしはやっぱり情けなくなる。彼とこのまま一緒にいるべきなのかと。こんなにも大事に考えてくれているひとたちがいるのにも関わらず、あたしは真逆の方向へ進んでいる気がしてならなかった。

命は、砂時計のようだ。生まれたときに決められた砂の量を落としながら生きていく。順番なんかなく、すべては神のみぞ知る。終わりがわかっているのなら覚悟はできると思っていたけれど、いざ宣告されても覚悟などできるはずがなかった。