今日のNHKBSプレミアム世界ふれあい街歩きで「魅惑の古都を行くTサンクトペテルブルク・エルミタージュ界わい (ロシア)」が放送されました。

この番組を見つけた時の私のテンションの上がり具合がおかしかった…

それはさておき、いいですね! サンクトぺテルブルク!

サンクトペテルブルクといえば、番組でも紹介されていたピョートル大帝(Пётр Велйкий)、そしてピョートル大帝といえば大北方戦争!

大北方戦争のおかげでロシア帝国と名乗れるようになったわけでして、この人すごい。良かれ悪かれ。

それにしてもサンクトペテルブルク自体もすごいな。波乱という意味で

一番有名どころとしては「血の日曜日事件」でしょうか。1905年にロシア正教のガポン神父を中心に起きた事件ですよね。これをきっかけにロシア革命、そして、、、

サンクトペテルブルクという読み方はドイツ語よみで、第一次世界大戦の始まった1914年から1924年の間はペテログラードと呼ばれてたらしいです。やがてロシア帝国からソ連になりレニングラードとまた名前が変わりました。

レニングラードで忘れちゃいけないのがレニングラード包囲戦ですよね!!

▼レニングラード包囲戦について

1941年6月22日(ちょうど1812年のこの日にナポレオンにより祖国戦争が始まる)ナチス・ドイツがバルバロッサ作戦(所謂独ソ戦、大祖国戦争)を開始。ニ国は独ソ不可侵条約を締結していたのだけれど、ちょび髭のおじさんはそもそもスラヴ人は劣等人種とか言ってたわけで破る気満々。でも、このときのソ連のお偉いさんは絶賛大粛清中で結構使える軍人さんたちも粛清してました。しかも、こっち側は不可侵条約を信じていたから結果は歴然。でも頑張った。焦土作戦とかで対抗してみた。思えば大北方戦争でもスウェーデン軍相手に焦土作戦やってたような(曖昧)ロシア広いもんね。そしてKV−1が唯一活躍できた戦いである。昔は、怪物って呼ばれてたんだ…。閑話休題、T−34も有名所です。最初はダメだったけど頑張ったね、ピロシキ。一方フィンランドは冬戦争の恨み、という事でカレリア地方に侵攻。世に言う、継承戦争ですね。かといってフィンランドとドイツが仲良かったかといえばそうでもない関係。さて、レニングラードの住民の皆さんはナチスは来るし政府は混乱してるしで全然逃げれてない。ついに9月8日、ラドガ湖の道以外は全て包囲されてしまいます。周りは包囲され、空からは空襲、それにより、火事の多発。火事により食料も燃え住民の皆さんは食べるものがどんどんなくなります。最後の方では死体の肉を食べてたりしたらしいです。しかし!!11月20日、ラドガ湖が氷結!やっと物資が届けられました!この氷の道は「命の道」と呼ばれたそうです。本当に、命の道です。やがて、人も避難できるようになりました。もちろん、とても危険です。ドイツ軍が撤退したわけではありませんからね。それでも氷の解ける春までの152日間使えたそうです。やがて1943年の1月12日にはソ連による反功作戦が始まり、1944年1月ドイツ軍の撤退、包囲は完全に解けました。同年の夏フィンランド軍を開戦したときの場所まで押し戻します。これにより英雄都市の称号が与えられました。おめでとう!




ここで、ちらっと出てきた冬戦争ですがこれを聞いてシモ・ヘイヘさんを想像せずにはいられませんよね!白い死神!!!大丈夫、スロ・オンニ・コルッカさんも忘れてないからっ!!!それにしてもフィンランド軍の強さは何なんだ


いやもちろんリュドミラ・パヴリチェンコさんみたいな女性も素敵です。


というわけで、奥が深いねサンクトペテルブルク

そういえばかのネフスキー大通りもこの街でしたね。

狂人日記に出てきたような出てきていないような、と思っていたら狂人日記と一緒にネフスキー大通りというタイトルのお話が載っていたようです。でもネフスキーって言い辛いですね。


ちなみに来週9月11日に「魅惑の古都を行くU サンクトペテルブルク・ペトロフスキー島界わい」が放送予定だそうです。来週も録画しなくては!