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日の丸を背負った外国人

東日本大震災。

あれから一年たちます。


私達はたくさんの同胞を喪いました。


私達は未来を担う子ども達を喪いました。


何も聞こえてこない街角。


そこにあっただろう親子の団欒。


祖父、祖母、父、母、兄弟、姉妹、そして大切な友、恋人。


死者・15853人、行方不明者・3286人、合わせて19139人。【警察庁緊急災害警備本部広報資料 (2/22)】


未曾有の大震災。


私達日本人は幾多の困難を乗り越えてきました。


「シンディ・ローバー」はご存知ですよね。


多くの外国人が海外に脱出するなか、あえて日本に来日して2011年3月16日から予定通りコンサートを決行。


更に会場でチャリティのための募金を呼び掛け、コンサートをチャリティイベントにしてくれました。


また、大阪滞在時に湯川れい子へ


「こういう時こそ、日本にくることが出来て、私の人生の中でも名誉なことでした。ありがとう」


と綴ったメールを送っています。


「日の丸」を背負ったアメリカ人「シンディ・ローバー」


大阪公演の中、一人の女性が彼女に想いを伝えた。



私は、彼女に手紙を書きました。


「シンディ、あなたの立場を私は理解しています。

分かった上で、私はあなたにお願いがあります。

しかし、あなたが嫌なら断わって下さい。

ここに日本国旗があります。

この国旗には、被災者の方、東北地方のあなたのファン、今回のツアーに来れなかったファン、被災にあって家族の安否がわからない私の友人、色々な思いが込もっています。

あなたに、シャインを歌う時に背中に背負って欲しいのです。

だめなら、このまま広げずそのままにして置いて下さい」


この時点で、観衆は国旗の存在が分かりません。


馬鹿なファンの、戯れとその場を収める事が出来たはずです。


私も、その為に小さくたたんで手紙の下に置きました。


「Cyn!」と私が声をかけた時、彼女は、「What?What?」と。


その時の彼女の顔、今でも忘れない。


多分、おかしなヤツが来た、どうしよう?と思ったはず。


複雑な表情だった。


「Okay.What?What?」

そして、手紙を手に取り、読みながら
「Oh〜.Okay Okay」
とつぶやいていました。

それから国旗のふちをつまんで、悪戯っ子の様に微笑みながら、徐々に彼女の胸元まで引き上げ、そこで国旗を広げた。


そして、彼女は背中に羽織ってシャインを。


彼女は、リスクを背負って日本の為に 受けてくれた。


あくる22日、Cynは、私が送った国旗をドラム横に畳んで用意していた。


その日は、ニコ動生中継。


そして、「I love Japan.」と言って背中に国旗を。


そういえば、誰かが呟いていた。


金髪に、ピンクの肌、衣装の黒、そして国旗の白と赤 すごく、美しかったと。


私も、そう思った。このビデオは、22日の静止画を使い21日の音声と合わせて21日当日の模様を再現しました。



シンディが何故、日本公演にこだわったのか?


彼女が定職もなくブラブラしていた時、レストランを経営していた鈴木サクエさんと出逢った。


鈴木さんが「それじゃ駄目だから自分の店で働きなさい」と誘ってもらったとのこと。


鈴木さんはシンディに限らず、シンディのバンド仲間やまだ活躍していない色んなアーティスト達を助けていた。


鈴木さんは常にシンディに「いつか売れる日が来るから頑張りなさい」と激励をしていたという。


この鈴木さんとの出会いがシンディを日本贔屓にさせる切っ掛けとなった。


日本人に助けられた思いが彼女を揺り動かした。


今日も彼女は片言の日本語で「ガンバレー」と語っているに違いない。


ありがとうの言葉しか見つからない。


今こそ私達は日本人のDNAに眠っている「大和魂」をほり起そう。


こころを震わそう。


未来を担う子ども達の為に。


この話は知り合いから聞いた話です。


話を聞きながら、涙が止まらなかったのを覚えています。


いい話だ…


また皆さんに、こんな話を紹介したいです。

お読みいただき、ありがとうございました。
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