「私は私の感性を気に入っている」と頭が呟きました。
自分で撮った写真を眺めているときのことです。
私は振替休日を映画鑑賞に使おうと思い、町にでました。
映画の時間までは3時間あるので、高島屋でウィンドウショッピングをしまして最上階までぐるぐるとまわっていました。
レストラン街をまわっていると中華料理屋の立て看板にタピオカミルクティが休憩はいかが?との言葉とともに載っています。
休憩、と読んだとたん、私の足は疲れたようだと感じて、一度素通りしたお店まで戻って休憩をすることにしました。
映画まで2時間半あります。wifiの電波はありませんので画像を思い出とともに振り返ることにしました。
人、風景、風景、着物、人、人、ゼロ戦、風景、人、、、
風景の写真のなかでお気に入りが何枚もありました。
そこで私は後で現像して、見たい時にはいつでも、アナログで見れるようにしたい、と思いました。
(アナログにすれば帰省して家族でいるときの話題作りになります。最近の私の頭はどうしたら家族が楽しくなるか、楽しくうれしく感じてくれるかでいっぱいいっぱいです)
ここまで行動を決めれば実行するまで早いのが私の癖です。
お気に入りという言葉に私の頭はざわつきます。
生きることに自信がないと毎日考えているからです。
気に入るということは生きることに前向きということ。気持ちがいいということ。こだわるということです。
こだわるということは人の目を気にしてはできません。小心者の私には大きな決断のように思えます。
しかし私はお気に入りをデジタルではない、アナログの写真として手元に置こうとしている。
よくよく、くよくよ、考えても、それは私にとって心地よいことのように思いました。
私は久しぶりに、いいかもしれないと思うことができ、今日の気温のような、暖かな、時折吹く風を涼しく感じた時のような気分になり、目の前に用意された杏仁豆腐と抹茶タピオカに口をつけたのでした。
そのあとに観た映画、「永遠のゼロ」によって、わたしの気分が高揚したことは、ブログを更新するという形で明白なことでしょう。
「生きていていい、生きている、生きていていい」と繰り返し浮かんできます。
アウトプットしなければ高揚しすぎてすぐに負けてしまう。そして疑心暗鬼な否定的で膜の張ったような感覚に戻ってしまいます。
明日以降もこの高揚が続くでしょうか、いや、続いてほしい。
今の私は楽観主義です。
お金を使うから生きていていい、ここにいていいだろうと思うよりは格段に、よいと思うのです。