私はどうしても空を飛びたかった。
周りはきっと馬鹿にするだろう。
それでも、夢を見ずにはいられない。
あの広い空を、自由に飛ぶことができたなら、と。
***
空を飛ぶ魔術は、基本的に異種族しか使えないのだという。
人間はわずかに浮くことができるのがせいぜいで、飛ぶことができるのは悪魔や天使、竜の力を持つなど特別なものだけなのだ、と。
何故そんなに空に焦がれるのか、と小馬鹿にしたように友人たちには聞かれた。
可笑しな奴だと避けられた。
それでも、構わなかった。
私は空を飛びたかったのだ。
色々なことを試した。
大きな木の上から傘や布を持って飛び降りてみたり。
大きな風船を持ってジャンプしてみたり。
風の強い日に外で走ってみたりもした。
勿論どれも失敗に終わったし、私みたいな子供には到底叶えられない夢なのは、とっくにわかっていたけれど。
……それでも。
どうせ私のことを心配してくれる人なんてもう村には居ないんだ。
だから、私は好きにしてやる。
半分くらいは自棄になって、私は空を飛ぼうとしていた。
そして今日も私はいつも通り、一人で木の上に居た。
誰も来ない、村の外れの大きな木の上に。
遠くで、子供たちが遊ぶ声がする。
私が仲間に入れない、村の子たちの遊ぶ声。
いつも通りの一日。
そのはずだったけれど、いつもと違うことが一つだけ怒った。
「そんなところにいたら危ないぞ」
私が上った木の下からそう声をかけてきたのは、真っ白の服を身につけた、凛々しい騎士様だった。
***
素直に私が木から下りれば、そんな高いところに子供が一人で登るものではない、とその騎士様は私を叱った。
叱る、と言うよりは窘める、に近い口調で。
柔らかい亜麻色の髪に蒼い瞳の綺麗な騎士様。
騎士様は、村の近くに出た魔獣の討伐のためにこの村を訪れているのだといった。
村の巡回中に私を見つけて声をかけてきたのだとか。
「何故あんなところに居たんだ、遊んでいると言うふうには見えなかったが」
騎士様は私にそう問いかけてきた。
何度も何度も村の人たちにかけられた言葉。
私はほんの少し迷ってから、口を開いた。
「空を、飛びたくて」
どうせ馬鹿にされるだけ。
呆れられるだけ。
わかってはいたけれど、どうせ初めて会った人だ、どう思われても構わない。
私がそう思って言葉を紡げば。
「どうしてそんなに空を飛びたいんだ?」
騎士様はそう言葉を続けてきた。
驚いて騎士様の顔を見る。
嘲りなんて少しもない、さっきと変わらない綺麗な表情で。
緩く首を傾げる騎士様に私は言葉を続けていた。
「……空には、母さんが居るから」
わかっている。
空を飛んだところで意味はないこと。
母さんが居るところに行ける訳ではないことも。
……それでも。
少しでも母さんが居る天国(ばしょ)に近いところに行きたいと、私は思ってしまうのだ。
そんな私の言葉に、騎士様は一瞬目を丸くした。
「……そうか」
短くそう答えた騎士様は少し考え込むように目を伏せた。
それから顔を上げると、私に視線を合わせるように身を屈めて、騎士様は言った。
「もう二度と危ないことをしない、と約束できるか?」
「え?」
***
―― 約束できるというのなら、日暮れの頃にこの場所に来てほしい。
騎士様は内緒話をするように、そう言った。
約束の時間に、私はその騎士様に言われた場所にきた。
それは、街の外れにある静かな丘。
日が暮れる頃になると誰も来ない、私もお気に入りの場所だった。
空がよく見える、広い広い場所だから。
そこにはすでに騎士様がきていて、私の姿を見ると綺麗な蒼色の瞳を穏やかに細めた。
そしてまた私に視線を合わせるように屈むと、静かな声で言った。
「約束を守ってくれるな」
「守るよ」
嘘は嫌いだからね。
私がそういうと、騎士様はそうか、と頷いた。
それから少しだけ迷う顔をした後に、"もう一つ"と言葉を続ける。
「今から見ること、体験することは、誰にも話さないでほしい。これは約束、というよりはお願い、だが」
そう言って困ったように笑う騎士様。
私はそれを聞いて思わず笑ってしまった。
お人形のように整った凛々しい顔に似合わない"お願い"と言う子供っぽい言葉が何だか可笑しくて。
少し決まり悪そうにする騎士様に、私は頷いて見せた。
「言わないよ。私が言ったところで、だぁれも信じてくれないかもしれないけど」
可笑しな子、と思われている私の話を信じてきいてくれる人なんていないだろう。
それならば、こんな素敵な騎士様との素敵な時間は私だけのものにしておきたい。
私がそういうのを聞くと、騎士様は少しだけ寂しそうな顔をした。
それからぽんと一度、私の頭を撫でて。
「ありがとう。それじゃあ、少しだけ目を閉じていてくれないか?」
その言葉に素直にうなずいて、目を閉じる。
何だか素敵なことが起きる予感がしていた。
ふわり、と優しい風が吹く。
それと同時に、騎士様の優しい声が聞こえた。
「もう良いぞ」
目を開けて。
頷いて、目を開ける。
私の目に映るのは、美しい真っ白の翼を広げた、騎士様の姿だった。
穏やかで優しい表情の騎士様。
真白の翼が良く似合うその姿は、まるで……――
「天使様……」
夢を見るように小さく呟けば、騎士様は少し照れたように笑った。
それから、まるでダンスに誘うように(今まで一度もダンスになんて誘われたことはないけれど)私に手を差し伸べて、言う。
「短い間だけれど、行こう。空を飛んでみよう」
そんな言葉と同時。
騎士様は私を抱き上げて、そのまま地面を蹴った。
遠ざかる地面。
近づく空。
騎士様が羽ばたく羽音。
まるで、夢のようだ。
「う、わあ……」
そんな声を漏らすことしか出来ない。
「わ、私、とんでる……」
みればわかることしか、言えない。
それくらい、素敵な時間だった。
手を伸ばしても空には届かない。
母さんに逢えることも当然ない。
それでも……確かに私の願いは叶ったのだ。
***
永遠にも感じる夢のような時間は、実際はほんの数分だったのだろう。
地面に下りると、騎士様は元の姿に戻って一つ息を吐き出した。
「どうして?」
まだ少しふわふわしたままに、私は騎士様に問いかけた。
「どうして、私を連れて空を飛んでくれたの?」
私のような子供の我儘な願い事なんて叶えなくても良かった。
きっと騎士様は"天使様"の姿を人に見せたくはなかったのだろう。
だから私にも"秘密だ"と言ったのだろう。
でもそれなら、私の願いを叶えなければ良かっただけの話だ。
なのになぜ、と。
騎士様はそれを聞いてふわりと笑った。
ほんの少し寂しそうに。
「……俺も、同じことを思ったことがあったから」
そう言った騎士様は私が何か言う前に、私の頭をそっと撫でた。
優しく、思ったよりは少し小さく冷たい手で。
「君があんなふうに危ないことをしていたら、きっと君の母さんも悲しむだろう。だから」
一度そこで言葉を切った騎士様は、優しい声で言った。
「だから、もし空を飛びたいと思った時は、今日のことをこの丘で思い出してみてほしい」
できるか?
そう問いかける騎士様に、私は何度も何度も頷いて見せた。
素敵な夢を見せてくれた天使様にお礼を言うのもすっかり忘れて。
***
私はどうしても空を飛びたかった。
誰に笑われても構わなかった。
そんな私の夢を叶えてくれた、素敵な素敵な騎士様。
優しい天使様に抱かれて空を飛んだ想い出は、誰に話すこともない。
只私の中で、素敵な素敵な想い出として、ずっと残っていくんだ。
騎士様との約束を思い出して、私は今日も丘に上る。
―― ささやかな願い事 ――
(きっと誰に話しても信じてなんてもらえないから)
(私の中で綺麗な想い出としてずっとずっと、しまっておきたいんだ)