小さな声で鼻歌を歌いながら、ゆっくりと城の周りを歩く。
普段使いのものよりゆったりとしたドレスのまま、静かな夜の城の周りを散歩するのが好きだった。
濡れた草の匂い。
微かな虫の声。
それを聞きながら、ディナは目を細めた。
辿り着いたのは、城の裏門辺り。
普段はあまり使われないそこに近づく人間は殆ど居ない。
それを見たディナはふと、あることを思いだした。
「あの時、私が此処まで散歩をしに来たのも偶然ではなかったのかもしれないわね」
そう呟いて、眼を細める。
その脳内に浮かぶのは、"あの日"の記憶。
傷ついた堕天使を拾った、あの日の……――
***
美しい少年騎士が一人、姿を消してから数日。
その騎士が男性ではなかったことを聞きもした。
どういう経緯で彼がこの騎士団に所属することになったのかも彼……否、彼女の従兄から聞きもした。
―― それでも。
騎士団の規則を破っていたことを理解してもなお、その騎士を責める気持ちは女王であるディナの中に沸き起こりはしなかった。
女の身でありながら男として生き、騎士として働くことはどれほど大変だっただろうか。
天使の力を抑え込みながら過ごすことはどれほど大変だっただろう。
悩むことも苦しむことも多かっただろう。
それを表に出すこともなく、最終的に仲間を守り散っていったその騎士に別れの言葉すら伝えることが出来なかった。
それだけが、ディナの想いだった。
そんな騎士のことを考えながら歩いていたディナは、いつもより遠くまで……城の裏門の辺りまで来てしまっていた。
遠くまできてしまった、そろそろ戻らなくては。
そう思った、その時。
裏門の、すぐ傍。
そこに影を一つ見つけた。
始めは、獣でも倒れているのかと思った。
魔獣だったら困る、そう思いながら護身用の短剣を構えながら近づいていった。
「……え」
からん、と間の抜けた音を立てて短剣が転げ落ちた。
大きく見開かれた色の違う瞳に映るのは、倒れている人影。
ぼろぼろの白い服を纏った亜麻色の髪の"少女"。
体中傷だらけで、ぐったりと意識を失くしているそれは、見慣れたあの騎士のようで。
「フィア?」
そう、名を紡ぐ。
頭に浮かんだのはフィアの従兄やパートナーたちの姿。
伝えるべきだろうか。
ディナはそう考えたが……すぐに軽く首を振った。
……確かに感じる気配は、フィアのそれ。
しかし"彼"は死んだのだと聞いている。
もし、眼前に居るのがフィアでなかったとしたら逆に彼らをもう一度傷つけることになるかもしれない。
そう考えたディナはそっと、倒れている少女の体を抱きあげた。
酷く軽いその少女は意識をなくしているらしく、ディナが触れても反応を示さない。
「……とにかく、一度部屋に連れて戻りましょう」
そう呟いたディナはそっと、空間移動の魔術を使う。
他の誰にも気が付かれないように。
***
城の中、自身の部屋に少女を連れて戻ったディナは、その少女の手当てをした。
医術を本格的に学んだことはないが、幸いなことに医学に詳しい親類がいたために、多少の知識や技術はある。
「アズルに感謝ね」
そう呟きながら、ディナがそっと少女の頭を撫でた、その時。
「ん、ぅ……」
小さく呻いて、彼女が目を開けた。
瞼の裏の瞳は、鮮やかなサファイアブルー。
嗚呼やはり、大切だったあの騎士によく似ている。
そう思いながら、ディナは微笑んで見せて、声をかけた。
「あぁ、目が覚めたかしら」
大丈夫?
そう問いかければ、ベッドに横たわったままの少女は何度も瞬いて……
それから、サファイア色の瞳を大きく見開いて、声を上げた。
「っ、え……ディナ、陛下?」
一体どうして、と掠れた声で、彼女はそう呟く。
それを聞いたディナは表情を輝かせて、いった。
「!やっぱりフィアなのね?」
そう呼べば、少女は一瞬視線を揺るがせて……
それから、こくりと頷いた。
「……えぇ」
今更、嘘をつくつもりはございません。
そういった少女……フィアは視線を伏せてしまった。
きっと、彼女は色々と考えていることだろうと、ディナは思う。
自分に、国に嘘をつき、身分を偽って騎士として勤めていたのだ。
それが露見した今、気まずく思うのも仕方あるまい。
ディナはそう思いながら微笑んで、彼女にいった。
「今、貴方の罪を咎めるつもりはないわ。
ただ、聞かせてほしいの。
貴方に一体何があって、裏門に倒れていたのか」
その言葉に嘘偽りはない。
彼女を責めるつもりはなく、再会を純粋に喜んでもいる。
ただ、真実と……何故フィアが此処に倒れていたのかを知りたかったのだとディナがいえば、フィアは少し迷う顔をした後、頷いた。
「……ええ」
すべて、お話しましょう。
フィアはそういって、彼女の身に起きたことを説明した。
彼女が使った魔術。
天使族最高の、自身の全てを棄てて使う魔術。
それを使うことで彼女は本来、聖天使……天界を統べる天使として認められるはずだったのだという。
しかし、フィアの実兄によって流し込まれた魔力がその身を穢しているとして天界を追われることになったのだとか。
その結果堕ちた先が、この城の裏門で。
そこで倒れているのをディナが偶然見つけたらしかった。
それを聞いたディナはそっと、息を吐き出した。
「そうなのね」
こくり、と頷くフィアを見てディナは微笑んだ。
そして優しくフィアの頭を撫で、告げた。
「でも、良かったわ。
きっと、貴方が生きていたって聞いたらルカやシストたちも……」
「陛下」
きっと喜ぶでしょう。
そういいかけたディナの言葉をフィアが遮った。
ぱちぱちと瞬くディナを見つめたまま、フィアは真剣な表情で言った。
「ルカたちには、俺が生きていたことを伝えないでいただきたいのです」
ディナはその言葉に大きく目を見開いた。
それから、緩く首を傾げる。
「どうして?」
彼がフィア本人であることは間違いがない。
それならば、彼の死を悲しんでいた仲間たちにその真実を伝えてやれば喜ぶだろう。
そうディナがいうのを聞いても尚、フィアは首を振って。
「……あんなことをした後で、合わせる顔が無いからです」
そう、呟くように言った。
一度は捨てたはずの命。
仲間たちを半分裏切るような形で別れた以上、彼らに合わせる顔が無い。
だから、会えないのだとフィアは言った。
ディナはその言葉に眉を下げた。
「気持ちはわからなくもないけれど……」
実際、気持ちはわからなくもない。
気まずい、というよりは……どういう顔をして逢えば良いのかわからないのだろう。
その想いは理解出来なくもない。
しかし、だ。
「……でも、どうするの?」
ディナはそう彼女に問いかける。
彼らに会うつもりがない、というのはわかった。
しかし、其れならば一体どうするつもりなのか、と。
この城の裏門に落ちてきたのは偶然として、これから一体どうするのか、と。
フィアはその言葉に少し迷う顔をしてから、いった。
「傷が、癒えるまでは此処に置いて頂けないでしょうか」
「それは勿論よ。でも、その後はどうするの?何処か行く宛はあるの?」
そんなディナの問いかけに、フィアは口を噤む。
……きっと、ないのだろう。
天使であるフィアは元々天界育ちで、育ての親も亡くなっている。
そもそも、村に戻れば彼が生きていることはすぐにルカに伝わってしまうだろう。
他に行くところがあるのか。
そうディナが問えば、彼は俯いたまま黙り込んでしまう。
ああやはりか。
そう思ったディナはふっと微笑んで、口を開いた。
「……わかったわ。此処に居て良いわよ、フィア。
ルカたちにも貴方のことは秘密にする。
でも、その代わり……此処から出ていくことは赦さないわ」
「え」
ディナの言葉に、フィアは大きく目を見開いた。
此処に居て良いといわれたのはありがたい。
しかし、"出ていくことを赦さない"とは……
視線を逃がすフィアを見て、ディナはくすりと笑った。
そして、優しくフィアの頭を撫でながら、言った。
「どうせ行くところもないのでしょう?
どうするか決めるまで此処で私の手伝いをして頂戴?」
行く先もないのなら、良いでしょう。
ルカたちにも報せはしないのだから、貴方の願いはかなうはずだわ。
そういって微笑むディナを見て、フィアは少し迷う顔をしたが……
「……わかりました。御迷惑をおかけして、申し訳ございません」
そういってすまなそうな顔をするフィアを見て、ディナは首を振って見せた。
「良いのよ。
怪我だってまだ良くはなってないのだからしっかり治さないと駄目よ」
傍に置くことが一番だろう。
ディナはそう思ったのだ。
だから、此処から出ることを赦さないという言葉を紡いだのだ。
フィアの気質はディナも理解しているつもりだった。
本当は仲間たちに会いたくて仕方がないであろうことも、きっと気持ちの整理がつけばその想いに従うだろうということも。
―― だから、それまでは私の傍にいれば良いわ。
そう考えながらディナがそっと頭を撫でてやればフィアは嬉しそうに表情を綻ばせていて。
その頬に流れる涙に、ディナは気づかないフリをした。
***
「陛下?」
声をかけられて、はっとする。
その声の主は今思いだしていた過去の中で涙をこぼしていた少女の声と同じで。
再び騎士として働くようになったフィアが、そこにはいて。
「あらフィアもお散歩?」
そういって首を傾げるディナを見て、フィアは小さく頷く。
それから、少し困ったような顔をして言った。
「そうですが……陛下、このような時間におひとりで外をあるくのは危険です。
お部屋まで、お送りしましょう」
きりっとした表情で手を差し伸べる"彼"は確かに頼もしい騎士だ。
そう思いながら、ディナは微笑む。
「ふふ、ありがとう」
宜しくお願いするわ?
そういって微笑むディナは、そっとその手を取った。
―― 偶然と必然と… ――
(あの日、偶然散歩に出掛けて拾った、愛しい騎士)
(あの日の私の行動が、今目の前にいる騎士の未来を守ることに繋がったのかしら?)