ざぁざぁと雨が降る。
その音を聞きながら、紫髪の少年は小さく息を吐き出す。
憔悴した表情。
顔色はあまりよくない。
しかしそれは体調によるものでないことは、事情をよく知る騎士たちには簡単に理解できることだった。
「はぁ……」
何度目になるかわからない、溜息。
そんな彼……シストの頭を、後ろから誰かが小突いた。
いて、とシストは声をあげ、抗議するような視線をその相手の方へ向けた。
彼の視線の先にいたのは、黒髪に赤い瞳の少年。
呆れたような、それでいて心配そうな顔をして、少年はシストを見ていた。
「ルカ……」
自分を見つめる少年の名を、シストは呼ぶ。
それを聞いてルカは彼と同じように一つ溜息を吐いて、言った。
「さっさと仲直りすりゃあいいのに」
シストが浮かない顔をしている理由を、ルカは知っている。
だから、言ったのだ。
"さっさと仲直りをしてしまえ"と。
ここ数日、シストは相棒との喧嘩を引きずって、ずっとこの調子なのだ。
一向に仲直りも出来ないままに。
「……仲直り、なぁ」
したいけどさ。
そう呟いて、シストは俯いてしまう。
それきり黙ってしまった彼を見て、ルカは溜息を吐き出した後、ぐしゃっと彼の長い髪を撫でて、言った。
「もうすぐ会合だぞ、準備しろよ」
「ん、わかった」
シストは小さく頷いて微笑むと、こくりと頷いて、歩いていく。
いつもならばそんな彼の傍にもう一人、少年の須方があるのに……ここ数日はそんなこともない。
「全く……意固地というか、何というか」
ルカはそう呟く。
「そう簡単に行かないんだろ」
不意に聞こえた声を聞いてルカは顔を上げる。
そう声をあげたのは、いつの間にか傍に来ていたアネットだった。
彼の身もふたもない発言にルカは溜息を吐き出した。
「あのなぁ……」
もう少し親身になってやれよ、とルカは言う。
アネットはそれを聞くと肩を竦めた。
「俺だって心配してるよ。
エルドもずっとあの調子だ。
早く仲直りすりゃいいと思ってる」
俺もな、とアネットは言う。
それから彼は溜息を吐き出して、遠ざかるシストの背中を見つめて、言った。
「今まで、あんまり喧嘩したことないから苦労すんだろ。
……でもあの二人は仲良しなんだし相棒同士だ、そのうち仲直りするだろ」
***
「え……」
「俺と、エルドで……ですか」
定期連絡。
任務の振り分けの際、そう声をあげたのはほかでもない、シストとエルド。
二人は同時に上官に呼び出され、言い渡された。
"二人で任務に赴け"と。
困ったような顔をして、シストとエルドは顔を見合わせる。
そんな彼らの様子を怪訝そうに見て、ルイは言う。
「お前たちはパートナー同士だろう?」
その言葉に二人は言葉に詰まる。
「それは……」
「そう、ですが」
歯切れの悪い返事をする彼ら。
それを怪訝な表情で見つつも、彼は二人に"早く行って来い"と言い渡した。
それを聞いて二人はおとなしく、任務に出掛ける。
しかし二人の間に、会話はなかった。
いつの間にか、雨は上がっていた。
しかしまだ、どんよりとした曇り空だ。
ともすれば、また雨が降ってきそうな……――
「…………」
気まずそうに、シストはちらとエルドを見る。
彼も怒っている風ではないのだけれど……何処か、きまり悪そうで。
なんと、声をかけたら良いだろう。
そもそも彼は、怒っている?
どうしたら仲直りが出来る?
いきなりごめんと謝っても……
そんなことを思っていた、その時。
不意に、魔獣が躍り出てきた。
うわ、とエルドが悲鳴を上げる。
大きくのけぞる彼のすぐ傍を、魔獣の爪が切り裂いていく。
シストはそれをみて大きく目を見開いた。
いつの間にか、魔獣の住処に到達してしまっていたらしい。
ぐるる、と低く唸る魔獣。
鋭い牙がぎらり、と光る。
それをみてシストは顔を歪めつつ、剣を抜いた。
「っ、エルド!怪我はないか!?」
のけぞり、転んだ彼に声をかける。
エルドは体を起こしながら、言う。
「っ、大丈夫だ!」
そういいながら彼も剣を抜く。
そして魔獣に勢いよく、斬りかかった。
魔獣がそちらに気を取られる。
シストはそれを見ると剣を握り直して、魔獣に斬りかかった。
さすがにエルドに気を取られた魔獣はシストの斬撃をもろに食らう。
甲高い悲鳴を上げて、魔獣はその場に崩れ落ちた。
「は、っは……」
勢いよく剣を振り下ろした所為で上がった呼吸。
汗で滑る剣を必死で握り直す。
どうだ。
魔獣は、この一頭だけのはず。
これさえ、倒せば……――
しかしまだ、死んでいない。
怒り狂った声をあげながらシストに襲い掛かろうとする魔獣。
一度斬りつけられた分をやり返そうとしているのだろう。
それにシストは、気が付いていない。
危ない。
このままでは……――
シストに狙いを定めた魔獣を見てすぅと目を細めたエルドは剣を構え……
「シスに、手を出すなぁあああっ!」
そんな声と同時、エルドは魔獣を切りつけた。
上がる血しぶき。
どた、と地面に倒れこむ大きな、魔獣の体。
はぁ、はぁ、と荒く息を吐き出して、エルドは返り血を手の甲で拭った。
「は……シス、怪我は……?」
大丈夫か。
そう問いかける声に、シストは小さく頷いた。
「はぁ……ありがとう、エル……」
「おう……、あと、さ」
エルドはそう、言葉を続けた。
シストはそれを聞いて、小さく首を傾げる。
一瞬の間。
その後、エルドはすぅと息を吸い込んで、言った。
「……この前は、ごめん……俺、言い過ぎた」
シスは、心配してくれたのに、な。
エルドはそういって頭を下げる。
そんな彼を見てシストはアメジスト色の瞳を大きく見開く。
そののち……表情を緩めて、ゆっくりと首を振った。
「……いや、謝らないといけないのは、俺もだよ、エル……頑なになりすぎて、酷いこと言った」
ごめん。
そう口に出すと同時にすうっと心が軽くなるのを感じた。
こんなにも、簡単なことだったのか。
そう思いながら息を吐き出す。
―― その刹那。
さぁっと、光が射してきた。
思わず眩しさに二人は目を閉じる。
しかしすぐに、目を開ける。
そして……見た。
「うわ……」
「わ……」
思わず漏れた感嘆の声。
二人の視線の先にあったのは、美しい七色の……
「虹、だ」
「すげぇ……綺麗だな」
そう声を漏らし二人は同時に顔を見合わせた。
そして、笑いあう。
どうしてこんなことで喧嘩をしたのか。
どうしてすぐに謝ることが出来なかったのか。
シストには、エルドには、理解できないほどで。
「……やっぱり俺、お前とじゃなきゃ無理だ」
「うん……俺も」
照れくさそうに二人は言う。
そして無言で、虹に視線を見つめ続けたのだった。
―― にじの日 145年7月 ――
(雨はあがり、虹がかかる。
長かった喧嘩も終わり、いつも通りの日々が戻る)
(城に戻れば呆れたような表情で俺たちを迎える友人がいて。
"ほら言ったとおりだ"とアネットが呟いていた)