「負傷者は速やかに治療を受けなさい、それ以外は各自撤収!」
金髪の少年は周囲にいる部下たちに指示を出した。
凛とした、男性にしてはやや高めの声が響く。
周囲には硝煙と血の臭いが満ちている。
地面に積み重なっているのは魔獣の骸。
少し数が多かったため、結構な惨事だ。
決して見ていて心地よい光景ではないけれど、
魔獣なだけまだマシだな、とハイドリヒは思った。
人間でこの惨事、という事態も目にしたことがないわけではない。
元々ハイドリヒたちがこなすのはそういった仕事ばかりだ。
慣れているといえば慣れているし、他の隊員たちも淡々と片付けに当たっている。
しかし、一緒に来ていた"上官"はそうではないらしい。
後ろでざわめく声があがった。
ある程度何が起きたかは想像出来ていたため、
ハイドリヒは溜め息を吐いて振り向く。
案の定、そこには赤紫の髪の青年が踞っていた。
顔色が悪いを通り越して顔面蒼白である。
気分が悪いのか、青色の瞳は涙で潤んでいた。
慣れないならばついてこなければよいのに、と思うが……
立場上そうもいかないのだろう。
部下たちが仕事を見ている姿を見に来るのも"上官"の仕事だ。
ハイドリヒは彼の方に歩み寄った。
周囲にいた他の騎士たちに周囲の片付けをするよう指示を出してから、ヒムラーを見下ろした。
「大丈夫ですかヒムラー長官」
聞いても無駄とわかりつつ、ハイドリヒはそう訊ねた。
へたりこんだままの彼……ヒムラーは目の前の光景にフリーズしたままだ。
ああまたか、とハイドリヒは思う。
大分なれた。
彼がこういうものに弱いことにも。
目の前に広がる光景に彼は耐性がないのか、いつもこうなるのだ。
魔獣であってもこれだ。
人間相手であったら、きっともっとひどいことになっていただろう。
正直、気を失っていないだけ上等だ。
どう見ても、気絶寸前ではあるけれど。
ハイドリヒはぐいっと引っ張りヒムラーの体を立ち上がらせて、襟首をつかむ。
びくっとヒムラーのからだが硬直するのがわかった。
恐らく、もろに回りが見えたのだろう。
ヒムラーの瞳が泳ぐ。
目の前の光景から視線をそらそうとするのを許さないというように彼はいった。
「目を背けないでくださいな、長官殿。
私はいつもこれを見ていますし自分でもするので平気です。
魔獣でなく人間でも同じこと……
それにしても貴方は良いですよね、
上からの資料を右から左へ流すだけで良いのですから。
"折角"来たのですから、たまには現場の様子を堪能していってください」
「っ!」
ハイドリヒの言葉にヒムラーが息を飲むのがわかった。
フラットな声での説教(というかなんというか)は精神的に来るものがある。
あげく、苦手な血みどろの光景ともなれば、ダメージも相当だろう。
いっそう血の気が引いた様子のヒムラーを見て、
ハイドリヒは呆れたように溜め息をはくと、手を緩める。
ぺたん、とヒムラーはその場に座り込んだ。
全く情けない、といいたげなやや軽蔑の籠った視線を上官に向ける様は、
傍から見たら異様というか、不憫な光景に見えることだろう。
残念ながら彼らの部隊では正直いつものことで周囲からツッコミは入らないが。
ともあれ、このまま放っておく訳にもいかない。
「……ほら、帰りますよ」
ハイドリヒは何度目かもわからない溜め息を吐いて、
へたりこんだままの上官に声をかける。
図らずともその声は若干冷たいものとなっていた。
こんなことで大丈夫なのか……
仮にも一部隊の上官ともあろう者がこんな調子で、とあきれた顔だ。
ヒムラーはと言えばそんな視線に慣れているのか、
はたまた言い返すだけの余裕がないのか……相変わらず、固まったまま。
仕方ない、無理矢理にでも馬にのせて連れ帰るしかないか……
そう思いつつ、ハイドリヒはヒムラーの体を支えに入る。
決して体格が良いとは言えないハイドリヒだが、
ヒムラーは背も低いため、やってやれないことはないだろう。
元々、こうなったときに彼を"撤収"するのはハイドリヒの仕事だ。
と、横から支えが入った。
ハイドリヒは少し驚いてそちらを見た。
「あ……」
「手伝う。いくらハインリヒが小柄でもお前一人で支えんのは無理だろ」
聞こえた声は黒髪の青年の声。
ヒムラーとよく一緒にいる青年……ルカで。
彼らは名前で呼ぶ程度には親しい仲らしい、と瞬時に理解した。
そういえば、イリュジアの騎士もサポートで来ていたな、とハイドリヒは思い出す。
背も高く体格も良い彼は軽々とヒムラーの体を支えて立ち上がった。
ヒムラーは自分の足に体重をかけることさえ危うい様子で、
ルカに支えられていなかったら余裕で倒れていただろう。
「おいおい、大丈夫かよハインリヒ……」
へたばったままのヒムラーの様子にルカも若干苦笑気味だ。
ヒムラーは力なく首を振った。
すみません、と呟く声さえもなんだか虚ろ。
現場の状況プラス先刻のハイドリヒの台詞が効いているのだろうか。
今此処に来たらしいルカにはそれを知る由もないが。
ルカはハイドリヒを見ると、いった。
「この状態じゃここ置いとくわけにもいかねぇだろ。
このまま城まで連れて帰ればいいか?」
「えぇ……ご迷惑でなければ」
思いきり溜め息を吐きながらヒムラーを一瞥して、ハイドリヒはいう。
ハイドリヒの台詞はヒムラーへのささやかな皮肉である。
長官である貴方が他部隊に迷惑かけてどうするのだ。
ハイドリヒの声にそういう思いが滲んでいるのがわかったか、
ルカは苦笑しつつ"あんまり虐めてやるなよ"といって、
ヒムラーの体を支えつつゆっくりと歩き出した。
「全く……戦闘面に関しては本当に無能なんですから」
戦闘はからきし苦手な彼。
得意なことはと言えば呪術研究やら園芸やら。
あとは辛うじて防御くらいか。
遠ざかるルカとヒムラーの姿を見ながら小さく呟くと同時、
ハイドリヒは後ろから頭を叩かれた。
軽く小突く程度だったが、彼にそんなことをする人間はそうそうおらず、
ハイドリヒは驚いた顔をして振り向いた。
そこにたっていたのは赤髪の少年。
やや不機嫌そうな顔をしている。
「ラインハルト、上官相手にそれはなしー。無能とかいっちゃダメだろ」
どうやら今の独り言が聞こえていたらしい。
「……いってませんよ、本人の前では」
ハイドリヒはぼやくようにいった。
遠回しに攻撃はした気がするが、その辺りは……良しとして。
アネットはそんな彼の反応に眉を寄せる。
「本人いなくてもダメだっての」
もう一度こづかれてハイドリヒは顔をしかめた。
アネットは生粋の戦闘部隊気質。
上下関係に厳しいらしいその部隊では上官は敬う対象、という風潮が根強い。
そういえばルカ相手には呼び捨てにしてこそいたが、
フィアのように無能だのなんだのとはいったことがない。
一応"上官"と見ているのだろうか、と思った。
「しかし、私は事実しかいっていませんよ」
ハイドリヒはそう反論する。
ヒムラーが戦闘向きでないのも、ああいったグロテスクな光景が苦手なのも、
そういった時にああして潰れるのも事実だ、と。
そんなハイドリヒの反応をみて、アネットは苦笑して、いった。
「ラインハルトに基準合わせたらこの世の人間大概無能だよ……」
お前は割りと何でもそつなくこなしちまうから、とアネットはいった。
確かに、ハイドリヒは身体面頭脳面ともに秀でていて、
彼に基準を合わせたとしたらメンツが保てなくなる者が一体どれだけ出るやら、である。
とはいえ、とアネットは顔をあげた。
ルカに支えられたままふらふらと歩いていくヒムラーをみて、小さく苦笑した。
「……ま、騎士って仕事しててあれは確かに珍しいけどな。
フィアの小さな騎士(ナイト)でももう少し平然としてるぞ」
彼が示しているのはアルのことだろう。
アルは医療部隊の騎士だし多少はそういうもの……
血だとか死体だとか……にも慣れているのだろうか。
あんな幼い(否、ハイドリヒと同い年だが)騎士でも平然としているのに、と、
ハイドリヒの中でのヒムラーの格は下がる一方だ。
アネットは小さく溜め息を吐き出すと"そんな顔すんなって"と苦笑した。
「俺、ちょっとヒムラーさんが気の毒になってきた」
「何故です?」
哀れむような相手でもないでしょう、と言いたげなハイドリヒ。
アネットは肩をすくめて、いった。
「お前くらい有能な部下いたら、長官としてのメンツ保つのも大変そうだって」
そういって軽くハイドリヒの頭をはたくと、アネットは笑った。
「まー、人間誰しも得手不得手ってあるからな……
ほら、片付けして帰ろうぜー、俺腹へった」
「貴方は貴方であきれますけどね……その神経の図太さに」
ハイドリヒはそう呟いて肩を竦めると、
先に駆け出していったアネットを追いかけた。
―― Strong and weak point ――
(無能な上司を持つと部下が苦労する?)
(きっと、その逆もまた然り、だと思うけれど…)