ハンター日誌・222日目・原生林
記者・YOU(ヨウ)

毒沼の障気による為か、その一帯は濃い紫に彩られている。地面から生えている草は毒により枯れ果て、そこだけ別の世界のように異彩を放っていた。
自然の一部としてハンターやモンスターには慣れ親しんだものだったが、この一帯は殆どモンスターを見掛けることは無い。しかし時折、毒に抵抗のあるモンスターはここに出入りしているというのだから驚きだ。

耐毒作用のあるゲリョスシリーズの防具を着込んでいる私は膝をその紫色の中につっこみ、目の前に生えてある毒テングダケを引き抜きながらそう思っていた。

「めちゃくちゃ美味しそう」

つい食べそうになる衝動にかられ、慌てて頭を振る。ここは狩り場で、今は依頼の最中だった。狩り場では万全を期す為、常に警戒と体勢は保っていなければならない。毒テングダケはハンター…いや、人間…いや、生物ならよっぽどで無い限りは食用としないため、目先の欲にかられて体調を崩すことなどもっての他の事だった。

「……食べるのは帰ってからだよね…うん」

そういいながら、私はポーチの中へと毒テングダケをしまいこんだ。


毒テングダケは名前の通り毒の成分を含んでいる。もし食べてしまうと毒に侵されてしまうので注意が必要だった。
食感は独特で、傘の部分は生ならホロホロと崩れ口の中に残るような不思議な食感を醸し出し、軸の部分はコリコリと歯応えがある。
味は辛味と酸味と苦味を足して泥で割った感じのもので、普通の人は口に含んだ瞬間に吐き出す味だと思う。しかし毒テングダケは地底から涌き出る毒素を吸収すると共に、その地面の栄養分をふんだんに含んでいるキノコでもある。毒沼で周囲を覆われている毒テングダケは他の、毒に負けた種類の草やキノコに栄養を取られず豊潤な大地から吸収された旨味が含まれているのだ。
ただ、その内部の旨味にたどり着く前に、文字通り毒である成分が外面を覆っているため、食用に適していない、というだけなのである。

「焼いたら美味しいんだよねぇ……生でも美味しいんだけどここじゃあ食べちゃダメダメ…っと」

強い決心のもと私は採取を終え、本来の目的である【ネルスキュラの討伐】を再開することにする。


※※※※※

飛び出してきた毒の顎を、私はギリギリでかわした。
怒っているネルスキュラはギチギチと顎を擦り合わせ威嚇をする。

「あとちょっと…!」

太刀、骨刀【豺牙】の柄を握り直し、一呼吸入れて目の前のネルスキュラに斬りかかる。
一度狩った事があるため、比較的に危険を感じる事は少なかった。
だがネルスキュラは動きが素早くトリッキーな為、動きの習性やクセを見抜くのは難しい。

「でも……そこにっ……よっし!」

怒っているネルスキュラは、私の思惑に乗ってくれた。
仕掛けてあったシビレ罠を踏み込み、ネルスキュラの身体は跳ねるように痙攣し始めた。
この隙を逃さず私はネルスキュラの眼前へと周り、ガキガキと音を立てる口へと斬り込んでいく。

「よっそっ!」

骨刀【豺牙】を、ネルスキュラの眼前へと踏み込みつつ上段から振り抜く。そこからは太刀の型を重視しつつ、合間に気刃斬りを加えて一動作を長く繋げた。

「んんんっ!」

左、右、左、右、切り上げ、切り下げ。そして仕上げに骨刀【豺牙】を脇に抱え、踏み込みながら気刃大回転斬りをネルスキュラの右前足へと叩き込んだ。

ゴギャァッ!!

固い内部から自壊し、大きな音をたてながら右前足は吹き飛んだ。吹き飛ぶと同時にネルスキュラの強張っていた身体から力が抜け、その場に倒れ込むようにその命を終える。

「ふぅ、終わったぁー」

役目を終えた私は、抜刀していた骨刀【豺牙】を背中の鞘に納めた。程無くしてこの場を包んでいた緊張感が解け、警戒していた私も次第に強張った力を解いていく。

「前は仲間と一緒だったけど、今回は一人で頑張ったもんねぇ」

ネルスキュラに近づきながら、私はそう口ごちる。
前回、ネルスキュラと戦った時は仲間二人と共に狩りに出てギリギリの勝利だった為、今回の勝ち星は充足した達成感と、成長した自分の労いも込めてそう言った。今は別行動をしている仲間にも、いつか今回の狩りを話したいと思うほどである。

そして私は、【にやにやと笑いながらネルスキュラの剥ぎ取りを始めた】。今回の狩りは一つの目的があって一人でやっていたのだ。

誰にも邪魔されず、指図されず、自らの思うままに振る舞える、仲間と一緒でもオトモと一緒でも味わえない至高の時間。

固く、白く光る甲殻を剥ぎ取りながら、私はその至高の時間へと思いを馳せる。


※※※※※


私は一人、ベースキャンプで星空を見上げていた。
近くでは依頼達成の証として、特別な煙筒が薄い赤色の煙を吹き、狩り場と町や村を繋ぐ配送船へと信号を送っている。

「んんっ…」

ネルスキュラは、鋏角種に分類された影蜘蛛と呼ばれるモンスターだった。
相手を拘束する糸を吐き、背中には毒のトゲが存在する。ぶら下がるとそこから毒が染みだし触れた相手を毒で蝕む。毒は口内に潜む伸縮自在な触角にも含まれており、これらを駆使して獲物を追い込んでいくようだ。
また、腹のハリには睡眠を誘発する分泌物が出ており、これと上記の毒の触角を組み合わせた戦法を得意としている。

また、ネルスキュラを現在のランクに位置付けているのはその目を見張る運動能力だった。変則的な戦法を可能にするその強靭な身体は白い甲殻に包まれている。間接や頭、腹の内側以外は甲殻で守られており、生半可な切れ味では弾かれるだろう。現に私の骨刀【豺牙】も何度か弾かれる事があった。
強靭な鋏角種特有の筋肉はかなりの靭性を持ち、その瞬発力を生かしてその巨体を前後左右と自由自在に動かしているのである。

そして筋っぽい故に、歯応えも相当なものだった。

「んんんっっ…むっ……ぐむっ……ぐぎぎぎ……」

ネルスキュラの右前足。鋏へと繋がる間接部分をハンターナイフで切り出し、常時携帯しているステーキ皿へと乗せていた。
普通のナイフで小さく切った肉の欠片を咀嚼しているものの、一向に噛みきれる気配は感じられない。

「かっはぃ……」

固い、と感嘆しながらも咀嚼を続けていると、次第にガチガチに編み込まれている筋繊維がほぐれてきた。

ゆっくりと、ゆっくりと噛み締めながら味わう。今まで食べたことの無い不思議な味わいだった。

上質なコンソメを臭くしたような香りと、野性味とは違うまた別の変な味が口一杯に広がる。油でもなく香辛料でもなく、食べた樹液やモンスター、毒素の抗体等も含めた味に私の舌は様々な反応をみせる。

「んん……結構臭いなぁ。生だから仕方ないけどもっとこう…なんだろう、苦虫とか他の虫みたいにクリームみたいのが出てくると思ってたよ……これじゃまるでステーキ肉だねぇ」

もぎもぎと歯茎を鍛えながら、率直な感想をもらす。

そのうち、がちがちだった肉片は元の原型をとどめていないほどぐちゃぐちゃになった。
あれだけ固かった筋肉片も今では自分の唾液と混ざり、ちょうど固めの肉種のような感触を醸し出している。

歯に触れるその食感はもはや生きていた頃の面影は見当たらないほど儚く、ほどけていく。そして口の中の肉は私への食感の提示を終えると、緩やかに喉元を滑り落ちていった。


「〜〜〜………………ハァァ………」


喉元を過ぎる時、私の身体は言い知れない程の多幸感に満たされた。髪の毛が重力に逆らい、ふわふわと波に浮いてるかのような錯覚を覚える。

一日と半日をかけて狩ったネルスキュラ、その命は肉片となり私の身体の中へと入り込んでくる。
食道を押し広げ数秒の溜飲運動の後、その命は完全に私の胃の中へと入っていった。

「貴方の命。ありがたく頂きます」

両手に持っていたナイフとフォークを皿の上へと置き、私は静かに手を合わせ黙祷する。



これが、私の至高の時間。

誰にも、仲間やモンスターにも邪魔されない、私だけの時間

※※※※※


借家の屋根を叩く雨音が部屋の中へと響き渡る。かなり強い雨らしく、ボボボボッと強い衝撃音だった。

「はぁい、今お水あげますからねぇ」

そんな日の光が入らない薄暗い部屋の中装備も全部脱ぎ、楽な格好をしている私は部屋の片隅でとある作業をしていた。若干興奮しているのか、自分でも分かるくらいににやにやと笑っている。

狩りを終えて数日後、狩り場から取ってきた腐葉土と枯れ木に菌糸を植え込み、加湿BOXの中で私はキノコを育てていた。
狩りに出発する前、どうしても自家製キノコの栽培をしたかった私は設計した加湿BOXを工房に頼んでオーダーメイドで特別に作って貰っていた。出来はかなり良く、狩り場の湿度を忠実に再現出来ている。出費はかなりかかったものの、私はとても満足していた。

「……よぉし…後は…」

待ち兼ねていたと言わんばかりに私の鼻は敏感に反応する。一種の食物が持つ、旨味成分の程好く焼けた香りが部屋中に漂っていた。

思わずにやにやと笑みを浮かべてしまう。

「へっへへ……じゃあそろそろ…」

加湿BOXを机の下に収納し、机の近くに出していた肉焼きセットへと向き直った。
簡素な鉄串と回転台、石臼で出来た肉焼きセットを片手でグルグルと稼働させ、あるものをここ数時じっくりと焼いていた。

あるものとは肉ではない。それは毒々しい紫色をしながらも、他の同種の食物同様の弱火加熱調理を施されて表面にうっすらと汗をかいていた。

「毒テングダケちゃんお待たせぇ」

思わずよだれが垂れそうになった。

溢れ出た水滴が炭火へと落ち、直ちに水蒸気となって薄い紫色の煙をあげる。網の上で炙る事で旨味成分が閉じ込められ、外側の食感もギュッと締まっていくのが見て取れた。

今回のネルスキュラの狩りにて採取していた毒テングダケは、じっくりと借家の中で食べることにしていた。誰にも邪魔されない時間の延長である。正直、心のワクワクは止まらなかった。

「さてさてそれでは………火から下ろして串から抜いてぇ……」

目の前の肉焼きセットに手を伸ばす。ワクワクはドキドキと心臓の鼓動へと音を変え、その振動は手の先にまで伝わる程だった。
ゆらゆらと手が揺れる。

「それでぇぇ……ナイフををををぉぉぉ」

気付くと私の身体は、床へと倒れ伏していた。

「あれぇぇ……なんで身体ががが」

朦朧とする意識の中、目の前にある御馳走に手を伸ばそうとする。それでも結局届かず、私の意識は混濁した暗い闇の中へと沈んでいった。
その意識の中、ふと思い出す。

「毒テングダケ…焼いたら毒ガス出すんだったぁ……」



数分後、私は顔馴染みの仲間の手によって医者の元へと運ばれていったのだった。

〜fin〜