ハンター日誌・10年目・水没林
記者・フローレン
「せいっ!おりゃぁっ!」
ユーがモンスターの左後ろ足を切りつける。大きく振りかぶられた一撃は鱗の隙間を縫い、的確にダメージとしてその場に赤い筋となって残った。
ユーは続けてその場所へと追撃を始め、気合いの声を上げながら手に持ったスラッシュアックスを振るう。斧モードで繰り出される連撃は重く、肉を捉えるその音は轟音と呼ぶに相応しかった。
「左の後ろ足は比較的安全地帯です!ですが巻き込みながらの突進には当たってしまうのでいつでも回避が出来る位置取りを心掛けてください!」
「わかってるよそんなことっ!!いちいちうるさい!!」
水没林。豊潤な水資源と水棲植物により形成された狩猟地域である。昼間なのにやや薄暗いのは揮発した水分による霧が原因であり、それらにあやかり進化した生物が多く存在している場所でもあった。
そんな中私とユーは、ロアルドロスの狩猟の名目でこの地にやって来ていた。
「余所見は禁物です!」
「だからわかってる…ってグッハァッ!」
ユーがロアルドロスの突進に巻き込まれ、大きく吹き飛ばされていった。私は、私に目掛けて突進してくるロアルドロスの巨体を軽く回避し、吹き飛ばされもんどりうっているユーへと近寄る。
「位置取りは大事だと言ったはずですが?」
「くっ……ほんとムカつくなあんた」
「ムカついて結構。狩猟においての心得を教えてもらってるだけありがたいと思いなさい。ほら、来ますよ」
「っておわっ!!」
ロアルドロスは突進後、此方に向き直り水ブレスを吐き出してきた。私はロアルドロスの体の動きを観察していたので、身体の挙動から当たらない角度を予測し身軽にそれを避す。ユーは未だ尻餅をついたままだったので、慌てて回避行動を取り水ブレスの難を逃れた。
「くっそ……次は絶対にミスなんかしねぇ!」
そう言うとユーは気合いを入れ直し、素早く立ち上がりロアルドロスへと向き直る。黄白色の巨体がそれにつられるようにユーへと視線を向けた。
「おや、よく狙われますね。差し詰め倒しやすい方から狙う、といった感じなんでしょうか」
「お前の装備が隠密スキル付いてっからだろ!!最初から殆ど俺しか狙って来てねぇよ!」
バシャバシャと水飛沫を上げながらユーはロアルドロスの突進を避ける。紙一重で避わしたので足から着地はできず、ユーは再度頭から水を被った。
とそこで、轟音と水流を起こしながら巨体を唸らせ突進していたロアルドロスの身体が、突如痙攣してその場に止まった。
「シビレ罠!!いつの間に!?」
「貴方が吹き飛ばされている間に仕掛けさせて頂きました。引き付けて貰っている間に罠や状態異常を狙うのがサポートの役割ですので」
「なるほど…二人だったらこんな狩り方も出来るんだな…」
ユーはロアルドロスが怯んでいるのを見て、ここぞとばかりに走り出そうとする。目の前のモンスターは完全なる無防備の状態なので、この機会を逃すまいとユーの感情は奮起し足を踏み出す。
が、私はそんな興奮気味のユーの首根っこを捕まえ、力強く後ろに引き再度大きく尻餅をつかせた。
これにはユーもかなり驚いたようで、ろくに受け身も取れずにごろごろと水の中を転げ回る。
「…っぷぁ!!何すんだよぉ!!今がチャンスじゃねぇのかよ!?」
「全く…チャンスはチャンスですが、その使い方が間違っているのです。ご覧なさい、貴方の武器の切れ味は万全ですか?」
「あっ…」
ユーは自分の武器の状態を思い出し慌てて砥石をかけ始める。取り出した砥石は研ぎやすいよう既にほどよく濡れており、切れ味の落ちた刃を滑る音が水浸しのエリアの中でぎこちなく響いた。
「剣士にとって切れ味の保持は何よりも優先する事であるはずです。切れ味が落ちれば威力も落ち、弾かれでもすれば隙が生まれ手痛い反撃を食らうでしょう」
「わかってる…わかってるってばさ……そんな何回も言わなくても良いじゃないか」
「良くありません。一度言っても覚えない貴方が悪いのです」
ユーの顔は、分かりやすいくらいにげんなりと影を落とした。基本的に士気の高いユーは連続した小言に弱く、興奮し始めたときにはこの手が良く通じる。
むっと機嫌を損ねたような顔をしているユーはスラッシュアックスを研ぎ終わり、その武器を納刀しながら立ち上がる。この所作は剣士ハンターとしての基本動作で、砥石を研ぐ姿勢として教えていた所作がようやくユーに習慣化されているのを見て私は少し安堵した。
「ふむ、基本動作には慣れたようですね。それが狩り場に置いての最も隙が少なく、切れ味を大きく回復させる所作です。その点は誉められるところですね」
「別にうれしかねぇやい!」
叫んだ後もぶつぶつと不満を呟くユーは、再度ロアルドロスへと視線を向けた。向けたと同時にロアルドロスはシビレ罠の拘束から解き放たれ、その海綿質で覆われた頭部を震い大きな怒号を上げる。その目はギラリとユーを見据え、その巨体をゆっくりともたげた。
その怒号と気迫に当てられ、ユーは背中のスラッシュアックスへと手を伸ばす。先程のタックルに余程堪えたのか、全身に緊張感を巡らせ重心を微かに落としていた。
静かに集中しているその表情だけは、一人前のハンターに見えた。
そんな状態のユーを横目で見ていた私は、
「狩りはこれからですよ」
私は、ユーの背中をポンと叩いた。
「…!」
身体にも響かないような、防具の上からの軽い励まし。その所作によるものか、ユーの身体と顔から少し緊張の固さが取れた。
目を見開き、少し驚いたような表情を見せたユーは大きく息を吸い、深く呼吸をする。肺の空気を入れ替えたユーの瞳からは、焦りの陰りが消えていた。
「ほんっとに、ムカつくなぁ」
その顔には笑顔が宿っていた。スラッシュアックスの柄をしっかりと握り、目の前のロアルドロスに鋭い光が宿る視線を向けていた。
「ムカついて結構。では、気を取り直して狩猟を再会しましょう」
私はロアルドロスを見据え、背中の武器を取り出した。それは小振りな麻痺片手剣であり、愛用している武器のひとつでもある。
「左の後ろ足は比較的安全ですが、巻き込みながらの突進にはご注意を」
「わかってるって……言ってんだろ!」
ユーは駆ける。水没している地面を踏みしめ、湿気に当てられながら真っ直ぐと進んだ。
目の前にはロアルドロス。まだ疲れている様子もなく目立った外傷もない。その目には野生の生物が醸し出す力強い眼差しが宿り、ユーを外敵として認識していた。
「おりゃぁあ!!」
水没林にユーの声が響く。強く逞しいその勇姿には、将来助けられるような人も出てくるだろう。
頼られるハンターが増えれば人々は安心して暮らせ、物資もより安全に無駄なく取ることも出来る。そうすれば人は、より一層豊かに暮らせるようになるだろう。
私ことフローレンは、そんな将来を担うようなハンターを育てている。
それが私の生き甲斐であり、人生の終わらない目標でもあった。
※※※※※
「なぁ…あんたさ、もしかしてあのシビレ罠って俺に砥石を研がせる時間を作る為だったのか?」
「はい。慌てすぎで周囲が見えていないようでしたので。それに加えて切れ味の事すら忘れているのを見越して叱咤する時間も込みで仕掛けさせていただきました」
「やっぱムカつく」
「それでも結構。怪我や死への予防線なのですから言われて当然でしょう」
ユーはロアルドロスの剥ぎ取りを済ませ、狩猟完了の信号弾を灰色の空に打ち上げていた。薄い赤色の煙が尾を引きながら上空へと延び、町と狩り場を繋ぐ交易車へと合図を送る。
日は既に落ちかけていた。基本的にしっかりと日が刺す場所が無い水没林は基本的には薄暗いが、それでも日が陰るとまるで何かで包み込んだかのように暗くなってしまう。
目の効かない夜までには狩猟を終わらせたかった私は、そこはかとなく気を抜いていた。
ユーは信号弾を射ち終えた後、ポーチから取り出した携帯食料を取り出し、それを一気に飲み干した。この地方の携帯食料は液状で時間も取らないので新米ハンターの必需品となっている。
ただ味の方は酷いらしく、ユーは「ムカつくほど不味いな」と不満をもらしていた。
「さ、後は交易車が到着するまで町に戻ってからする事を話しておきましょう。武器の強化ルートや防具の新調、報酬の生活金への分配、王立図書窓口への生態報告なども重々考えてーーー」
「あー!そういう所がムカつくんだって言ってんだろが!」
「…?必要な事ですが?」
「違ぇんだよ!」
私はまたかと、軽くため息を吐いた。合理主義、効率主義、まるで教科書のような私の言い分はユーのようなタイプには固く感じるだろう。
だとしても、私はこの姿勢を変えるつもりはない。厳しく、強く、今より後の世界の話を重点において生活を回す。それが私の師の生き方であり、私が人生において二度目に憧れた生き方でもあった。
だから私は常に厳しくあろうとー
「ほらっ!!まーたなんか文字数が多そうな事考えてやがんなぁ!!そーいう一人で長々と考えてんのが腹が立つって言ってんの!!」
「ぬっ、う、うるさいですね…」
深く思考を巡らせるのは悪いことではない。ただ、たまには肩の力を抜き、狩りとは別の事をすることも大事だと目の前のユーは視線で訴えかけてきていた。
勿論それも大事だとはわかっている。他に触れ懐柔することもまた成長であることも知っている。
ただ、人と何かを話すのは苦手なのだ。
根が固いせいで人付き合いが下手だと他人にも身内にも小さい頃から言われ続け、二十余年生きてきてその不得意は今だなおってはいない。どうすればいいのか分からない。他人の喜ぶことが分からない。そうやってあの時も迷ってー
「沈黙がなげぇんだよ!文字数多いって言ったばかりだろ!!」
「むぐぐ……!」
ユーは持っていた携帯食料の空ビンを地面へと打ち付ける。ごん、と鈍い音を起てたそれをユーは支えがわりとして自重を預け、前のめりに私の顔にそのギラリと光る視線を近づけてきた。
多少気押されている気がした私は呆気に取られていた頭に渇を入れ、ユーへと視線を投げ返す。
と、そこで私は一つの案を思い付いた。
「……良いでしょう。では、貴方が望む私を言ってください」
「は?」
ユーは私の言葉の意味を汲み取れず、「なに言ってんだこいつ」とでも言いたげな表情をしている。相も変わらずな生徒に少々呆れつつも、私は話を続けた。
「は?ではありません。簡単に言うと、貴方は私に何をして欲しいんです?」
「あー、そういうことか」
そこでユーは乗り出していた身体を引っ込め、大袈裟に地面へと腰を下ろした。
こういった質問を始めて投げ掛けたので、ユーは難しい顔をして思考を巡らせる。
「なんでも構いませんよ。行きたい狩猟がある、目指しているものがある、何かを手に入れたい、何かを知りたい、私に出来る事であるなら何でも言ってください」
「んー、そうだなぁ」
これなら双方に食い違いもなく理解できる上、生徒の欲求を満たせる。自惚れになるが、私はハンターとして学も経験も豊富な為、ユーへの応答にも困らない。我ながら、この案は名案だと関心していた。
灰色から群青へと移り変わっていく空を見上げていたユーは、ふと唐突にピタリと動きを止めた。そしてふんふん、と何かを頭の中で考えているかのような仕草を見せている。
「どうです?何か決まりましたか」
「決まった決まった。結構良い質問かもしんないぜ」
「ほう?ではどの様な事なのかお聞かせ願えますか?」
「えっとなぁ…」
私にはどんな質問でも答えられる自信があった。
所詮は新米のハンター、若い疑問など恐れるに足らずといった心境が私に微かな優越感をもたらす。
ハンター歴10年の知識に死角は無い。そう思っていた所で、
「あのさ、あんたが先生になった理由って何?」
私の脳は思考の停止に陥る事となった。
「…………へ?」
「だからぁ、あんたの昔の話を聞きたいんだって」
「え……えぇ〜…!?」
目の前のユーは目を爛々と輝かせ、焚き火の光で焼かれている私の顔へと意識を集中してきている。
私はその期待の視線を受け止めきれず、つい視線を横に流してしまった。「どした?」と私の行動を不思議がる声が耳に入ってきたが、それすらも私を追い込む要素となっていく。
(ど、どうしよう…)
完全に予想外だった。狩りの知識でもなく、生活の知恵でもなく、私自身の情報を求めてくるとは思いもしなかった。
しかも、ユーの質問はかなり痛いところを突いてきている。
このように人に指導する職に就く経緯になった【事件】はかなり恥ずかしい過去の一つであり、他人には絶対に言いたくない事の一つでもあった。
「なーなー、どうしたんだよ?耳が赤いぞ?」
「そ、それは焚き火のせいです」
横に視線を向けている私を見てユーは、「へぇ…」と意地が悪そうな声を漏らす。
「なーなー、どうしたんだよ?俺、フローレン先生の昔話が聞きたくて仕方がないんですけど?まだですか?」
にやにやと、見なくても分かるくらいに嫌な笑顔を浮かべているユーは再度私に詰め寄ってくる。私の動揺を察知してここぞとばかりに攻めてくる姿勢を、何故狩りに生かせていないんだと少しの怒りが私の胸に灯った。
だがその怒りも直ぐに羞恥心へと取り込まれてしまい、未だにユーの目を見ることが出来ないでいる。耳が熱い。この熱さは決して焚き火のせいではないと、身体中にかきはじめている冷や汗が物語っていた。
ーーー無理ー!
あまりの羞恥心に、身体中がむず痒く感じた。じっとりとした汗が、手に持っていたハンターノートの端を湿らせる。
「嫌なら嫌だって言ってもいいんだぜ?そんときゃ「何でも言ってください」と言ったあんたの言葉が嘘だって事になるけどな」
先生の立場としてそういうのはどうしたものかと、ユーは煽りに煽ってくる。
長い時間が流れたように感じ、私の顎から一粒の汗が落ちた。狩場よりも堅い緊張の糸が張り詰められたこの場の空気に、私の口は呼吸すら困難に思えるほどがちがちに紡がれている。
そして私の羞恥心は、先生という責任と弟子の熱を感じるほどの視線に、ついに折れることとなってしまった。
「……わかりました。お話しましょう」
「おっ?ほんとに?」
もうどうにでもなれ!と半場自棄の気持ちになりながら私は口を開く。恥ずかしさで固まっていた身体を強引に解きほぐし、怒りとも羞恥心とも付かない力の憤りを足を組み替える動作に押し込めた。
目の前では意地の悪そうな顔から元の好奇心溢れる瞳に戻ったユーが、胡座の姿勢に戻って腰を落ち着けていた。その様子に「一本取られた」と軽い溜め息を吐いた私は、先程変に組み換えて微妙になった腰の位置を整える。
「…ただし、絶対に笑わないで下さい。もし笑ったらビンタをしますからね」
「はいはい。んじゃあ話してくれよ。フローレン先生の昔話」
ユーの表情が、今日一番の笑顔に変わった。その顔に若干戸惑いつつ、私は自分のハンターノートの一ページを開く。
そこには、とても美しい文字で書かれたある言葉がある。その言葉を頭の中で反芻しながら私は焚き火に照らされているユーへと向き直った。
「では…」
これもまた私がやって来なかった宿題なのだろうと言い聞かせ、色褪せることの無い記憶の引き出しを開ける。
目を閉じると、あの頃の記憶が今でも鮮明に蘇った。
「…………そうですね。じゃあ…あれは…そう、貴方流に言うと【凄くムカつく】出会いから始まります」
夜は更け、目の前の焚き火の音が暗闇へと木霊する。木が熱で弾ける音は水没林に生息する動物達の夜鳴きと混ざり合い、妖しくも包まれた空間を作り出していた。
息を深く吸い、ゆっくりと吐き出す。
「その人はね………」