おばけやサブカルではないけれど
それに振り分けられがちなものたち

古い言い方では民族学。

私の頃はもうそんな言葉は消え失せ

文化人類学と呼称したもの。


本質を失った学問。


先生方はみんな100%日本から
関係のない土地のフィールドワーク

その研究ばかりしていた。


ばかじゃないのか
と思った。


ことばは大切だ。

ことばは意味じゃない。
ことばは現象をうつすことから
気持ちをうつすものになり愛を伝え
憎しみで人を呪う殺す
そして人が人を癒やすものになり
外敵から内を守るものになる。

なのに現地のことばを
はなから学ぼうとしない者が
現地の俗習を学びたい?

私には意味がわからない。
上から目線なんて取り払えるが

ことばを覚えるつもりがない人に
何が分かるのかわからない。


ことばの異人に異人の母国語に訳せない情緒を
あることを考えない人が日本人のなかにこんなに沢山いることに
情けなさを感じた。

あなたがたが毎日外国人に浴びせる言葉を
あなたがたは受けてこなかったのですね。

あなたがたはまだ
入り口にも立たない。

いらっしゃいと微笑んでお茶を差し上げるまで達していない
裏口から残飯をあたえるにも至っていない。


日本人の文化人類学者は
私からすれば犬ですらない。

残飯を漁ることすらない以上
妖怪だ。


妖怪 研究費クレーノ科 成果ッてナニーノ目 ナニモナサナイ属 ナニモナイ ナニニモナラナイ ゴクツブシ トラウマ タンキュウ科 

って感じ!

(きちんと研究してきちんと探求してきちんとフィールドワークしてきちんと論理的な人も多いですが
私の周りにいた糞バッカな少数のお先生の話しです。
私の周りには糞バッカな人しか寄ってこないってだけの話しです。
私がたまたま糞バッカを寄せる才能があるだけのお話しです。
どんな分野においても素晴らしい人ばかりです。
私はクリスチャンになりそうになりつつ私の意志でキリスト者にならないと決めたのに、昨日ようつべでM教の、主は生きておられるとの煽りに号泣してしまった様なものです)


自分の足の下の土
(それすらもはや自国土の土ではないからと諦めのつく年齢ではない。
自国土を少しでも踏んだことがある年齢だ。
私は変わらない土、変わっていく土を踏んだことがある。
原生林をゆうした土地に育ったからだろうか)


話しがそれすぎてよくわかんないや。


まず私が思うのは

他人(多民族)のことを
彼らのことばも勉強しないで
コミュニティーでフィールドワークしたとか言う暇と金があるなら


自分の生まれた土を地質調査でもしたらいいと思う。 
やまとことばの何ひとつ知らないで日本人に英語教える日本人なみに恥ずかしいから。