剣舞は即興的に行なわれたもので現代の剣舞とはあまり係りがなく、恐らく近代以降の剣舞は、以上の古典が歴史と共に移り変りつつ、数世紀を経て現在に及んだものとみるべきである。

しかし、江戸時代の中期以降は、武士達に紳士的である事が要求され、いざという時以外に刀を抜くことは慎むべきとして、剣を用いた舞は、あまり行なわれなくなった。

その後、武士の勃興とともに剣の舞は諸々あり、記録に残っているもの以外にも行なわれたであろう事は容易に想像できる。

太平記には、鎌倉ご時世の末期、河内国八尾城主 八尾顕幸が楠正成と共に南朝に忠節を尽した功績に対して北畠親房が宗去法師と名乗って使者となり、八尾顕幸に僧正位を与える勅令を伝えたところ、喜んだ顕幸が城内で祝宴を開き、自ら二本の太刀を振りまわして合戦の舞を舞ったという記事がある。


剣舞 教室