話題:ひとりごと

すこしまえまで、アニメやドラマ、映画を数で判断している節があった。見たい作品は集中して見ていたし、記憶にも残り、今でもすきだなとかよかったなとかおぼえているのだけど。空いた時間になにか見ようとさがし、気になったものを選び見てはみるものの、いまいちのときそれでも切らずにながら見していた。意図的にBGMのように流していることを除いては、基本的ぼやけていて記憶にも残らず、時間を無駄にしたような感覚だけが残る。それでもレビューサイトに書きたいからとか見たというかなにかしたという実感がほしいから惰性見をしていたのを最近は改めようと決意した。きっかけは、まえに見たことある作品をうる覚えだからと見始めたこと。あれ、これこんなにおもしろかったっけ?と疑問を抱くくらいに前回うる覚えなのがふしぎで、ながら見していたことやコレクションのように見た自負がほしかっただけだった自分に落胆した。それからながら見はしなくなり、その話ごとに感想をすぐにアウトプットするようになった。
そして、ドラマやアニメはクールでかなり見ているし、なかにはあとからおもしろくなるかもと我慢して見ていたものを3話まで見ておもしろくないのは切ることにした。結果がわからないリアルタイムな作品は全部おわってからネタバレを読み、気になればレンタルなりして見ることにしている。そのときの心境や環境によっても集中力や興味関心は変わってくるし、自分のなかにも旬というものがある。

自分のなかで厳選することできちんとすきなものとだけ向き合える。友だちが多いわけでもないし、アクティブでもないあたしはインドアでなにかすることがすきだから空いてる時間を見るという行為に使うことに対して特になにも思っていなかった。けれど、おもしろいと思えなかった作品を見る時間を減らしたら、必然的にすきなものの時間が増えるという単純なことに気づき、流行りよりも自分の好み、量よりも質、インプットしたらアウトプット、ながら見はしないを徹底するようにしたら以前よりも充実感がある。

まあ、毎クールごとにかなりの数のドラマやアニメを見ているとそれを追うことに疲れてしまうというのも大きな理由でもある。クールで追えなくても時間ができたときにまとめて見るのもアリだし、作業的になると集中力もすきという想いもなくなってきてしまうからひとには限度というものがあるのだろう。

周りが結婚やら子育てやらして環境を変えていくなか、なにも変わらずに趣味を謳歌できるのも独身のいいところだとおもう。自分のことだけ考えていられるなんてのは贅沢で、至福なひととき。