話題:ひとりごと

あたしは、ふつうのひとよりもドラマやアニメ、映画を観たり、本を読んだりしていると思う。ふつうのひとが友だちと遊んだり、勉強したり、出かけたりする時間を最低限におさえて、生活の一部としてそれらを組み込んでいるがゆえに。フィクションの世界に魅力されつづけ、当たりまえのように触れている。

本やドラマ、映画の感想を書くアプリに記録を残し、触れたことないものをせっせとさがす。図書館や本屋に、レンタルショップや有料配信サイトに作品は山のようにあり、そのなかから見つけだす自分のすきなものを。それはあてもない旅のような途方もなさと同時に、感動や共感、感情を揺れ動かすなにかに出会える瞬間をもたらす。


映画化もされた「生きてるだけで、愛」。映画を観てから原作を読んだ。原作があることを知らず、本谷さんの作品だとも知らず。(すきなくせにリサーチすることはしないから点と点がつながるのが遅く、タイムラグを生じさせながら出会った)原作とは多少の設定はちがえど映画を観てから読んだことで、読みやすかった。津奈木が菅田将暉であったこと、寧子が趣里であったことはまちがいない配役のように思えた。原作でも映画でも印象的だった、寧子の「あんたが別れたかったら別れてもいいけど、あたしはさ、あたしと別れられないんだよね一生」というセリフと津奈木の「でもお前のこと、本当はちゃんと分かりたかったよ」というセリフがとてもすきで、タイトルの通りの意味を表し、愛を感じた。あたしは、寧子の気持ちがわかってしまう。そんな寧子に振り回されている津奈木の気持ちも。何年か前のあたしと彼のように思えて、他人事には感じない。ここまでの激しさはなくとも、自分とおなじように疲れてほしいと寧子のように思っていた。自分とおなじくらいの力でぶつかってほしいと。省エネのように寧子の求める返答だけを手短に答える津奈木の気持ちもわかるし、それにイラつく寧子の気持ちもわかる。このふたりは、昔のあたしたちに似ていた。彼と一緒に映画を観ていたとき、彼はなにを思っていたんだろう。彼は、寧子の気持ちがリアルすぎて、今の俺にはつらいとたしか言っていた。俺たちみたいだねと言わなかった。今のあたしたちは、彼が寧子であたしが津奈木だ。ふたりともが衝動的で感情的だったなら一緒にいることはできないだろう。ああ、こうやって、役割みたいなものが入れ替わったりしながら、あたしたちはきょうまでやってきた、これたのだろう。ふつうになりたい、ふつうで在りたいだけなのにそれがむづかしく、泣いては墜ちて、衝突しては重なって、苦しみのすべてを理解することはできなくても、わかってあげたいと思ったり、思ってくれるならあたしたちは一緒にいるべきなのだと思った。

本谷さんの作品は、いつもどこかぶっ飛んでいて、それは彼女が劇作家だということもあるのかもしれないけれど、小説という世界から離れているような世界観を持ち、大抵が共感することも理解することもむづかしい。そのなかのほんのすこしはわかって、そのほんのすこしが読みたくて読んでいる。「生きてるだけで、愛」は、本谷さんのなかでも今まで読んできた本のなかでも上位に君臨するくらいによかった。