「こんなにも簡単に捕らえられようとはな」
愉快そうに笑う声。
それを聞いた黒髪の青年は目を開ける。
霞んだ意識を保ち、顔を上げれば、醜悪に笑う男の顔があった。
一瞬混濁した意識の中で、情報を整理する。
……あぁそうだ、大きな任務の帰りがけ、何故か大量の魔獣を差し向けられたんだった。
殿を引き受けて、何とか部下たちは逃したが、任務後の疲労と手数の多さに流石に負けて、どうやらこの男に捕らえられたらしい。
それなりに身分が高いと見える相手は、なんだか見覚えがある。
しかし何処で見たのかは、さっぱり思い出せなかった。
「気分はどうだ、部隊長殿?」
この言い方を聞くに、おそらく最初から自分が狙いだったのだろう。
部下を追おうと思えば簡単にできただろうに、やたらと攻撃が集中したのは自分だった。
冷静にそう分析しながら、ルカはみじろぎする。
しかし、ろくに身動きを取ることが出来なかった。
「……あぁ、なるほど」
そりゃ、そうだよなぁ。
そうルカは呟く。
身体の自由を奪わずに捕らえたとは言えないだろう。
「逃げられまい?魔力がないというなら、なおのこと」
そう言って男は嗤う。
ルカが部隊長であるということを理解していた辺りからも、相当こちらのことを理解している相手のようだ。
そう思いながら、ルカは相手を睨みつける。
「騎士団に、何か怨みでもあるのか」
冷静にそう問う。
男はすうっと表情を消した。
「貴様らが居る所為で、"商売"がやりづらくて敵わない」
そんな言葉で、漸くルカは思い出した。
そうだ、この男は確か、水兎の騎士たちが調査を進めていた対象だ。
武器の密輸入をしているとか何とか、で。
それ以外にも怪しい取引がある様子で、マークしていると言っていたか。
「は……っ、焦って尻尾を出した、って訳か」
「焦ったのは騎士団(そちら)だろう。標的に気取られたのではこうして先手を打たれるに決まっているのに」
愉快そうに笑った男は、ルカに魔獣を一頭嗾けた。
低く唸ったそれは、ルカの足に噛みつく。
鋭い痛みに、ルカは顔を歪めた。
「直接手を下すのは賢いとは言い難いだろう、証拠が残る」
「そこまで考えて、俺一人を捕らえた、と言うのが意味不明だけどな」
吐き捨てるように、ルカは言う。
もう少しやり様はあったろうに、と。
しかし男は笑みを浮かべたまま、言った。
「騎士団の在り方を揺るがせることが出来ればそれで十分だ。本拠地を攻めて勝てると踏む程私は愚かではない」
だから、お前を狙った。
「末端の騎士を何人殺したところで変わらないだろう。
だが、統率官(リーダー)となれば、価値が違う」
そう言って、男は笑った。
騎士団の各部隊を束ねる統率官。
その中でも一番捕えやすいと踏んだのがルカだったのだ、と。
なるほど、確かにそうだろう。
賢く、魔力も強いジェイドよりも。
警戒心が強く、素早いクオンよりも。
強い戦闘能力を持ったアレクよりも。
頭が回り、ほぼ城から出ることがないアンバーよりも。
魔力もなく、年若く感情的な自分を捕らえる方が簡単と考えるのは道理だ。
ルカはゆっくりと瞬いて、勝気に笑って見せる。
自分の従弟を真似て。
「馬鹿だな、アンタ。俺が死んだところで優秀な部下の誰かが統率官になるだけだ。騎士団が揺るぐような事態になるはずないだろ」
馬鹿だ。
そんなルカの言葉に、男は目の色を変えた。
大声で呪文と思しき言葉を叫ぶと同時、鋭い痛みが全身を襲った。
「っ、……」
ぼたぼたと、紅色が滴り落ちる。
どうやら地雷を踏んだらしいな、とルカは冷静に思った。
「失血死したくはないだろう。救援を呼ぶが良い、助けに来た騎士の目の前でお前を殺してやる」
そう男は言う。
醜く血走った目をした男を見て、ルカは笑って見せた。
「呼ぶわけねぇだろ」
罠だとわかっていて。
仲間を危険に晒すとわかっていて。
仲間を売るような真似をするはずがない。
仲間は皆優しい。
誰が来るにしても、自分の様子を見て動揺しない者はそういない。
その隙にその相手まで攻撃されたのではたまらない。
それこそ、騎士団が揺らぐようなことにもなりかねない。
とはいえ、だ。
痛みは当然あるし、実際問題このままでは失血死しかねない。
通常ならば本能で防御魔術を張るためにそう深い傷を負うことがないのだが、ルカは魔力がない所為でそれができない。
注意しなければ本当に危険だ、と何度部隊長に警告されたかわからない。
「ふー……っ」
揺らぎそうになった意識を繋ぎとめるために、荒く、息を吐く。
口元に微かな笑みが浮かんだ。
ほかの統率官ならば、もっと上手い方法が思いついただろうか。
魔術が使えれば、こんなことにはならなかったのだろうか。
……あぁ駄目だ、こんな思考になるのはきっと、傷を負って精神的に弱っているからだ。
ないものを嘆いたって仕方がない。
そう思って、自分は突き進んできた。
「絶対負けない。アンタのような卑怯者には」
ルカはそう言い放つ。
血を流し、身体の自由を奪われてもなお、失われない瞳の強い光。
それを見て、男はぎりっと唇を噛む。
思う通りに行かない現状に苛立ち、さらなる魔力をぶつけようとした……その時。
部屋の空気が、変わった。
神聖な、けれどとてつもなく冷たい空気。
その元凶の方へ、男はぎょっとして顔を向ける。
そこには、先ほどまでなかった影があった。
「な、なんだ、貴様は……」
動揺した声を上げる、男。
ルカは顔だけでそちらを見る。
そして、目を見開いた。
「……愚かな」
低い声が響く。
聞き慣れた、けれど普段のそれよりも随分と凄みのある声。
「な、何だ、何者だ……?」
気味が悪い、と男は言った。
それも、そうだろう。
何も知らない人間が見れば、彼の表情は全く読み取れない。
尤も、現状の彼の表情は、良く知ったルカにも読み取りづらくはあったが。
とはいえ、纏う気配は決して友好的なものではない。
自分にとって敵だということを理解したらしい男が、ルカに魔術をぶつけようと構える。
そして一歩ルカに歩み寄ろうとした、その時だった。
「近付くな」
一層低い声で、彼……イシャンは言葉を紡いだ。
―― 穢れた存在が触れることなど許されない。
そんな言葉と同時。
不意に、ルカを傷つけていた男の身体がよろめき、ルカから離れた。
そのまま、その身が炎に包まれる。
恐らく、一瞬で声帯まで焼き払われたのだろう。
悲鳴すら、上がらなかった。
その炎は、男にはどう映っただろう。
ルカにとっては神聖な、美しい炎に見えた。
……炎に包まれ絶命する男を冷たく見据える、見知った善神の横顔もまた、美しく見えて。
怒りと言うには冷たく、どちらかと言うと神罰ともいえそうな時間が過ぎて。
男の身体が跡形もなく燃え尽きた後。
ゆっくりと彼に歩み寄ったイシャンは、ルカの拘束を解いた。
魔術を使えばあっさりと壊すことが出来たらしいそれ。
否、もしかしたらイシャンだったからかもしれないけれど。
痛みと疲れでその場に崩れそうになるルカを訳もなく支えたイシャンは静かな声で、"大丈夫、ではなさそうだな"と呟いた。
「……はは、容赦ねぇ、なあ」
そう言って、ルカは苦笑する。
そんな彼に歩み寄り、そっと傷だらけの頬に触れながら、イシャンは静かな声で言った。
「咎めるか、私の行動を」
静かな問いかけ。
その言葉にルカは一瞬、目を伏せる。
……行動、というのはルカを傷つけたあの男への仕打ちのことだろう。
確かにやりすぎだ、と騎士としては咎めるべきなのかもしれない。
殺すほどのことか、と問われたら答えは否だろう。
イシャンは神だ。
人間の命など、簡単に吹き消すことが出来る。
それほど、先ほどのように。
殊更……彼は、不純なモノには容赦がない。
ルカを傷つけ、騎士団を害そうとするあの男の感情は酷く醜いものと思ったことだろう。
それ故のあれほどの容赦のなさであったことは、ルカにも理解できた。
……けれど。
「……いや」
そうルカは言う。
彼の行動の意図は、よくわかった。
自分を、守ろうとしてくれたのだ。
怒ってくれたのだ。
自分が、傷つけられたことに。
それがたまらなく嬉しいと思ってしまうのは、きっと……間違いなのだろうなぁ、と思いながら。
ルカは、イシャンに言う。
「助かったよ、ありがとう、イシャン」
そう言うと、イシャンは小さく頷いた。
ほんの少しだけ安堵したような顔をした後……ふ、と息を吐いて。
「……え」
不意に高くなる視界。
思わず、ルカは声を上げた。
「ん、何だ?」
きょとんとして瞬くイシャン。
その顔が、いつもより随分と近い。
その理由は、彼に抱き上げられている……基、いわゆる"お姫様抱っこ"をされているからで。
どうしたのかと問うイシャンを見上げ、ルカはぶんぶんと首を振る。
痛みと失血で飛びそうだった意識がやたらとはっきりする。
「い、いやいや、お、おろしてくれ、イシャン」
「何故?」
「何故?!」
不思議そうに聞き返されて、ルカは素っ頓狂な声を上げる。
ルカの反応を見てもなお、イシャンは彼の反応の意味が理解できていないようだ。
寧ろ、傷ついているルカを早く連れ帰りたいとい雰囲気をひしひしと感じる。
ルカは視線を揺るがせて、言った。
「お、重たいだろうしさ」
「全く重たくないのだが……君と私では、体格も大分違うし」
冷静にそう返されて、ルカは思わず口を噤む。
適当に誤魔化すのは、難しそうだ。
ルカはそう思いながら、ぼそりと言った。
「……普通に恥ずかしいだろ」
流石にこれは、恥ずかしい。
頼むから下ろしてくれとルカは言う。
しかしイシャンはその言葉に少し眉を寄せた。
そして小さく首を振る。
「駄目だ。こんなにも傷だらけの君を歩いて帰らせる訳にはいかない。
歩かせずに帰るにしても、この姿勢が一番負担なく帰れるだろう」
振動も刺激も与えずに連れ帰れる。
そのために効率的な抱え方がこれだ、とイシャンは思っているようで、一歩も退かない。
ただでさえイシャンに口で勝てる気はしないのに、今のような状況では一層無理だ。
あぁあ、と痛みとは違う意味で唸りながら、ルカはおとなしく抱えられている他なかった。
……その姿を見たアンシュに、小言を言われるまであと僅か。
―― Pride ――
(騎士としての矜持。善神としての矜持)
(彼なりの、俺への思いやりをよくよくわかったから。
…嬉しい、なんて思ってしまうのは、正義の騎士としては失格なのかもしれないけれど)