静かに雨が降り注ぐ。
地面を濡らし、草木を濡らし、降り注ぐ雨。
それをじっと見つめながら、シストはそっと息を吐く。
アメジスト色の瞳をそっと細めた。
雨の日は、嫌いだ。
特に、これくらいの……少し蒸し暑くなり始めた頃の雨は。
昔はよく、文句を言って"かつてのパートナー"に呆れられていたっけ。
そう思いながらシストは溜息を吐く。
食事時ではない食堂は、人が少ない。
そこから続く中庭にも当然、人はいない。
普段ならば、ノトの騎士が訓練に使っていたり、休憩に使っていたりするのだけれど。
そう思いながら、シストはゆっくりと雨の降り注ぐ中庭に足を進めた。
降り注ぐ雨が、体を叩く。
真白の制服にも雫が落ちて、濡れていく。
長い紫髪もあっという間に濡れて、先端から雫がぱたぱたと落ちた。
濡れた草の匂いが漂ってくる。
庭に植えられた梔子の花の香りも、雨の日には一層強く感じる。
その白い花を指先でそっと突いて目を細めれば。
不意に、体にかかる雨がなくなった。
代わりに、パタパタと何かを雨が叩く音が響く。
「何をしているんです?」
こんな雨の中で。
そう声をかけられて、シストは振り返る。
そこには穏やかに微笑んだまま傘をさしかける淡水色の髪の男性が立っていて。
シストはアメジストの瞳を瞬かせる。
「カルセ様」
静かな、少し驚きを滲ませた声で呼べば、彼の表情が一層緩んだ。
そう。
シストに声をかけてきたのはかつての草鹿統率官……カルセだった。
彼は時折、こうして城に訪ねてくる。
それはかつての部下であるジェイドに会うためであったり、騎士たちの健康診断の手伝いであったり……理由は様々なのだけれど。
しかしこうして自分に彼が声をかけてくるのは珍しい。
シストはそう思いながら彼を見つめた。
カルセは微笑んで、そっと濡れたシストの前髪を指先で払う。
そしてそっと息を吐くと、言った。
「こんな雨の中一人で立ってたら風邪ひきますよ?」
「あー……そうですね」
シストは彼の言葉にそう返して、曖昧に微笑む。
……わかり切っている、雨の中で立っていれば風邪を引くなんてことは。
「でも少しだけ……外を散歩したくて」
シストはそう言って笑う。
カルセはそれを聞くと、そっと息を吐き出した。
「まぁ、気持ちはわからなくもないですけどねぇ」
カルセはそう言って中庭に視線を投げる。
相変わらず雨は降り続けている。
「こういう雨の日は……どうしても、色々思いだしてしまいますからねぇ」
そんなカルセの言葉にシストはゆっくりと瞬く。
―― 嗚呼、そうか。
カルセも、親しい人間を亡くしている。
それも、この雨の時期に。
それを思いだしたところで、シストは彼を見つめる。
緩く首を傾げるカルセを見たまま、彼は口を開いた。
「……おかしなことを聞きますが、カルセ様はその、クレースさんを亡くしてから、死んでしまいたいと思うことってありましたか」
そんな問いかけに、カルセは藍色の瞳を少し見開く。
シストはそれを見て少し、眼を伏せた。
「……すみません」
変なことを聞きました。
そうシストがいうより先。
「ない、といえば嘘にはなりますね」
きっぱりと、カルセはそう言った。
その返答は少し意外なもので、シストは目を丸くする。
カルセはそんな彼の表情を見て、くすりと笑った。
「おや、意外でしたか?私がこんなことを言ったことが」
そう言ったカルセはふわりと笑う。
そして、もう一度シストの前髪を指先で払うと、言った。
「普通ならば、そんなことはないとか、そんなことを考えてはいけないとか言うのでしょうねぇ。
……でも、実際私はそう言うことも考えましたし、そう言うことを考えることも絶対悪ではないと思っていますから」
そう言ってカルセは息を吐く。
そして、シストを見ながら微笑んで、言った。
「特に、貴方のような子は、ね」
そう言われてシストは目を伏せる。
……なるほど。
カルセは、自分の気持ちがよくわかっているらしい。
そう思いながら、嘆息する。
カルセはシストの様子を見ると、ふっと微笑んでいった。
「きっと、貴方も周囲から言われたでしょう。
あの子のためにも幸せにならないと、とか、前向きに生きるべきだ、みたいなことを。
でも、そんな必要はないと、私は思うのですよねぇ」
何処か懐かしむように、彼は言う。
……きっと、カルセもその手のことを言われたのだろう。
シストはそう思いながら息を吐き出した。
「……流石に、そんな行動に出る気はありませんでしたけれどね」
シストはそう言って、笑う。
カルセはそれを聞いて、眼を細める。
「それはよかった」
そう言って、カルセはシストの頭を撫でる。
「貴方は貴方ですから、無理に幸せになる必要なんてないんですよ。
……勿論、幸せになってほしいとは思っていますが、それは勿論、貴方の意思で、貴方の幸せとして、ですけどね」
そんな彼の言葉にシストは少し、表情を綻ばせた。
……嗚呼、やはり。
同じような想いをした彼は、自分の気持ちをよくわかってくれる。
「……幸せに、なんて」
微かな声で、シストは呟く。
カルセはそれを聞いて藍色の瞳を細めると、そっとシストの頭を撫でた。
「さぁ、部屋に戻りましょう。
本当に、風邪を引いてしまいますから」
ね、とうながされるまま、シストは頷く。
カルセはいつものように微笑みながら、シストを連れて部屋に戻っていく。
雨は、やまない。
しとしとと降り注ぐ雨のしずくに、一滴、塩辛いものが混ざった。
―― 幸せになんて、なってやらない ――
(彼の言葉は確かなものだ。
"彼の分も幸福になれ"なんて、言われたって…)
(絶対に、幸せになんてなってやらないんだ。
だって、その方が…彼のことを覚えておけるから)