任務を終えて、城に戻る。
ふうと吐き出した息が、白く凍って空にのぼる。
それを見上げたフィアのサファイアの瞳の端に、ちらりと白いものが映った。
「……道理で寒いと思った」
そう呟いて、フィアは目を細める。
ちらちらと舞い落ちる、雪。
髪に、頬にと落ちるそれはフィアの体温で溶けていく。
氷属性魔術使いのフィアにとっては、心地よい。
しかしずっと此処に居たら流石に風邪を引いてしまう。
そう思いながら、フィアは城に戻ったのだった。
「フィア!」
城の門をくぐると同時。
聞こえたのは、相棒の声。
それを聞いて、顔を上げたフィアはふっと微笑んだ。
「シスト」
ただいま、と返して、軽く手を振る。
……と、その時。
「ふぃーちゃぁん!」
響いたのは、女性の声。
それと同時にがばっと抱きつかれる。
フィアは驚いて目を見開いた。
自分に抱きついているのは、シストによく似た女性。
長い桜色の髪がさらりと、雪風に揺れる。
「ロゼ様まで……」
お久し振りです、とフィアは微笑みながら、ロゼを引き離した。
ロゼはにこにこと笑いながら、フィアを見つめて言う。
「えへへ、会いに来ちゃった!
今日は特別な日だからね!」
そう言って笑うロゼ。
フィアは彼女の言葉に不思議そうな顔をした。
「?特別な日?」
「うん、だって今日、ふぃーちゃんの誕生日でしょ!」
そう言ってロゼは目を細めた。
フィアは彼女の言葉に目を丸くして……それから、照れくさそうに笑った。
「有り難う御座います、ロゼ様」
そう言って笑う、フィア。
……そう、今日はフィアの誕生日。
恐らくロゼは、シストからフィアの誕生日だということを聞いていたのだろう。
こうして祝われるというのは、少し照れくさい。
そう思いながら、フィアは微笑む。
「これね、ロゼちゃんとシスちゃんからのプレゼント!」
そう言いながら、ロゼはフィアに小さな包みを差し出した。
綺麗にラッピングされた、淡い蒼の包み。
フィアはそれを受け取って、目を丸くする。
「え……ロゼ様と、シストの……?」
そう呟いて、フィアは瞬きながら、自分の相棒とその姉とを交互に見る。
シストは少し照れたように頬を引っ掻き、言う。
「……お前、こういうの好きなんじゃないか、ってそう思ってさ。
姉貴と一緒に選んだんだ」
見てみてくれ、とシストは言う。
フィアはその言葉に頷いて、包みを開けた。
中に入っていたのは、小さなシルバーのブローチ。
薔薇の形をしていて、その中心にはフィアの瞳の色の宝石がはまっている。
それを見て、フィアは小さく声を漏らした。
「綺麗、だな」
フィアはそう言いながら、そっと指先でブローチをなぞる。
シストがいった通り、フィアはこうしたものが好きだ。
男として生きているフィアは、普段あまりそうした思いを表に出しはしないが……――
それでも、アクセサリーなどは好きなのだった。
「男がつけてても違和感ないようなデザインにはした。
俺がつけても抵抗ない奴、って意味合いで、だけど。
普段使いって訳にはいかないだろうけど、護衛任務の時には使えるだろ?」
そう言って、シストは笑う。
確かに、ブローチはシンプルなデザインで、護衛の任務の時に身に付けるタキシードに良く合うだろうと、フィアも思った。
ロゼはそんな彼らのやり取りを見て、むうっと頬を膨らませた。
「本当はもっとかわいいのいっぱいあったんだよー?」
ピンクのとかぁ、レースのとかぁ、と笑うロゼ。
シストはそれを聞いて苦笑を漏らす。
「姉貴の趣味に従うとひらひらだのフリフリだのになるからな……」
流石にそれだと困っただろ、とシストは笑う。
フィアもつられたようにくすくすと笑って、頷いた。
「有り難う、シスト。
有り難う御座います、ロゼ様」
そう言いながら、フィアはブローチをそっと握りしめる。
それを見て、シストとロゼは、嬉しそうに笑ったのだった。
***
シストとロゼに貰ったブローチを手に、フィアは室内に入る。
そろそろ、訓練や任務を終えて帰ってくる騎士が増えてくる時間だ。
賑やかになりつつある屋内。
その喧騒を感じながら、フィアはそっと目を細めたのだった。
その刹那。
不意に、後ろからつき転ばされる。
「うぐっ……」
小さく唸るフィアの上にのしかかる重み。
それは、フィアもよく知っているものだ。
「フィア、おかえりだな!」
「……っ、降りろ、馬鹿アネット」
唸るように言うフィア。
アネットはわりぃわりぃと笑いつつ、彼から降りて、助け起こす。
溜息を吐き出したフィアの眼前に居るのはにこにこと人懐っこく笑うアネット、と……
「フィアさん、こんにちは!」
そう言って、無邪気に笑う少女。
アネットによく似た紅の髪の、無邪気な少女。
その姿を見て、フィアは幾度か瞬いてから、微笑んだ。
「マリン様、お久し振りです」
そう、そこに居たのはアネットの妹……マリンで。
遊びに来ていたらしい彼女はにこにこと笑いながら、フィアの手の上に何かを置いた。
「あのね、これ、私とお兄ちゃんからのプレゼントです!」
「え?」
マリンの言葉に、フィアは驚いて大きく目を見開く。
そのまま固まる彼を見て、アネットは思わず声をあげる。
「あれ?今日、フィアの誕生日だったよな?」
そう言いながら、アネットはきょとんと首を傾げる。
フィアは"否、あっているが……"と言いながら、小さく笑った。
「アネットがまさか、覚えているとは思わなくて」
「失礼な奴だな!」
アネットは拗ねた顔をする。
頬を膨らませている彼を見て、フィアはくすくすと笑った。
「否、冗談だ。
有り難う御座いますマリン様、アネットも、ありがとう」
そう言いながら、フィアはマリンに渡された包みを開ける。
中に入っていたのは、小さな雪の結晶の飾りのついたティースプーンだった。
「こういう可愛いの、お前地味に好きだろ?
この前帰ってきてた親父に良いのがないかって聞いたらそれが良いんじゃないかって!」
「綺麗な形をしてますよね」
私には見えないけれど、とマリンも笑う。
フィアは小さな飾りをそっと撫でて、笑みを浮かべた。
「有り難う。マリン様はともかく、お前の美的センスにはなかなか驚かされたがな」
「失礼極まりない奴め」
アネットは唇を尖らせてそういった後、小さく肩を竦めた。
フィアのこの言動が照れ隠しであることはいい加減にアネットも理解している。
そして、彼はふと思いだしたように言った。
「そういや、アルにもうちょいしたらフィアを食堂に呼んでくれって頼まれてたんだった。
後で、って考えると忘れるから先に伝えとくぜ!」
アネットはそう言うと、ひょいと自身の妹を抱きあげた。
きゃあと嬉しそうな声をあげるマリンを連れて、彼は歩いていく。
頼まれ事も適当なのが彼らしいな、などと思いながら、フィアは食堂に足を向けたのだった。
***
食堂に近づくにつれて、ふわりと甘い香りが漂ってきた。
何処か懐かしい、甘くほろ苦い香り。
何だっただろう、この香りは。
そう思いながら、フィアは食堂の中に入った。
奥にあるキッチンスペースは、自分である程度料理がしたい騎士たちのためにも解放されている。
アルはどうやらそこに居るらしい。
微かに、彼の何処か幼さを残した声が響いていた。
「アル?」
ひょい、とそこを覗き込めば案の定、アルが居て。
彼はフィアの姿を見ると、黄色の瞳を大きく見開き……ぷうっと頬を膨らませた。
「ああぁ、まだ早いよぅ、フィア!」
そんな声をあげるアルの頬は何故か粉っぽい。
それを拭ってやりながら、フィアは苦笑混じりに問うた。
「何してるんだ……?」
こんな粉まみれになって、とフィアは笑う。
アルは得意気に笑って、言った。
「ケーキをね、焼いてたんだよ」
今さましてたところなんだ、と言ってアルはテーブルの方を示す。
大きな白い皿に乗ったケーキを見て、フィアはサファイアブルーの瞳を大きく見開いた。
「!これ……」
思わず、声が漏れる。
懐かしい香りの理由が理解出来た気がした。
そこにあるケーキは、フィアにとって見慣れたものだった。
幼い頃、よく母が焼いてくれた、ガトーショコラ。
フィアは幼い頃から、クリームがたっぷり乗ったケーキより、少しほろ苦いチョコレートのケーキの方が好きだった。
母はそれなら少しでもお洒落になるように、と輪切りにしたオレンジを良く飾ってくれていて。
それも、再現されている。
「ルカ様に教えてもらったんだ。
フィアが好きなケーキだって聞いたから」
アルは照れくさそうにそう言って、笑った。
料理は、あまり得意ではない。
無理して作ることはないとルカに止められたが、少しでも手伝いたいと思ったのだ。
大切な親友の、誕生日だから、と。
フィアにも、そんな彼の想いはしっかりと伝わっている。
柔らかく笑みを浮かべたフィアは、そっとアルの頭を撫でて、言った。
「ありがとう。本当に、嬉しい」
「お、主役もちゃんと来たか」
響いた声に、二人は顔を上げる。
恐らくアルと一緒にケーキを作っていたであろうルカが、何処か満足げに笑っていた。
「今紅茶とコーヒーも淹れてくる。
シストやロゼ様たちも呼んできて、皆で食おうぜ」
良いだろ?とルカは笑う。
勿論だとフィアが頷くと、アルが"じゃあ呼んできますね!"と言って、弾むように走っていった。
ぽん、と頭に手を置かれる。
そのまま乱暴に頭を撫で回す手は、よく知った従兄のそれだ。
「誕生日おめでとうな、フィア」
特別な言葉をかける訳ではない。
ただ一言の、祝いの言葉。
それをかけることが出来るのが、ルカにとっては幸せなことだった。
ともすれば、"あの日"に両親と共に死んでいたかもしれない、大切な従妹。
今は頼もしい騎士として自分の傍で、自分の部隊で働く彼は、いつ命を落とすともしれない。
だからこそ、こうして彼の誕生日を祝うことが出来るのは、幸福なことだと、確かに思っていた。
フィアにもきっと、そんな彼の想いは伝わっているのだろう。
「……有り難う、ルカ」
少し照れ臭そうに、けれど確かに嬉しそうに、フィアは言う。
珍しく素直な彼の表情を見て、ルカも満足げに目を細めたのだった。
―― かけがえのない幸せ ――
(一年に一度、確かに回ってくる日ではあるけれど
だからこそ、改めて幸福を噛み締めるんだ)
(大切な友人たち、大切な仲間たち。
その温もりに触れるのは照れくさくも、心地よくて)