今年初めての雪が降った。
ひらひらと舞う白に周囲が埋められていく。
その光景を見つめて、カルセはそっと目を細めた。
「随分冷えるようになりましたねぇ」
そう呟いて、そっとマフラーを巻きなおす。
吐き出した呼気がふわりと空に消える。
それを見送って、彼はそっと腕に抱いた花束を眼前の墓石の前に供えた。
手袋を外して、持ってきていた布で墓石を拭う。
カルセはふっと微笑んで、言った。
「あまり汚れてはいませんね。
誰か来てくださったのですか、クレース」
無論、答える声はない。
しかし、墓石の綺麗さがそれを物語っている。
貴方を大切に思うのは私だけではないのですね、と微笑みながらカルセは呟いた。
此処に眠っているのは、大切な人。
親友であり、恋人であり、仕事仲間であった、かけがえのない人物。
彼がいなくなって、もう大分経つけれど、定期的に此処へ訪ねてくる日課はなくなることがなかった。
と、背後で下草を踏む音が響いて、カルセはふり向く。
そこに立っている人物を見て一瞬目を丸くした後、彼はふわりと笑う。
「スフェン様」
紡いだ名前はカルセにとってはかつての上官である人物の名前。
"様づけはよしてくれ"とくすぐったそうに笑った蒼髪の男性は軽く頬をかいて、言う。
「久し振りだな、カルセ。元気だったか?」
カルセは彼の問いかけに小さく頷いた。
それから、スフェンの腕に抱えられた花束を見て、目を細める。
「スフェン様、だったんですね。
此処にこうして、訪ねてきてくれていたのは」
道理で墓石が綺麗だと思いました、とカルセは言う。
それを聞いたスフェンは小さく笑って、ひらりと手を振った。
「私ばかりではないと思うけどな。クレースは、皆に可愛がられていたし」
そういいながら、スフェンは自分が抱えた花束を置く。
ひらりと舞った粉雪が、そっと花束の上に溶けていった。
そっと祈りをささげた後、彼はカルセの方へ視線を向けて言う。
「お前も、頻繁に来てるだろ。
此処に来た時、花がないことがまずない」
きっとお前だろうと思っていたよ、とスフェンは言う。
カルセはその言葉に曖昧に微笑んで、言った。
「私は、時間がありますからね」
「そうか、それは私もだ。
私ももう少し頻繁に来てやれたら良いんだが……如何せん、もう体がついてこない」
少し遠いからなぁと冗談まじりに彼は言う。
まだお若いでしょうにというカルセの声にくくっと笑う彼の眼尻に刻まれる皺は確かに増えたけれども、浮かぶ表情は城でカルセが見ていたそれと変わらない。
カルセはふと思いついたように、彼に問うた。
「診療所は?」
スフェンは自分の診療所を持っている。
そこで患者の診察をしたり、場合によっては往診に出掛けることもある。
街中でも人気の医者なのだという話は、風の噂で聞いていた。
彼の問いかけに、スフェンは微笑み、応じる。
「今日は患者が訪ねてくる予定もなかったからな。
もし急病人があったなら空間移動で帰るさ」
そういいながら彼は首からさげた小さなベルを揺らす。
どうやらそれが彼の診療所のベルとつながっているらしい。
空間移動は疲れるから苦手だと話していた彼だが、待っている者が患者となれば話は別らしい。
くすりと笑って、カルセは言った。
「相変わらずですね、スフェン様は。
いつでも患者が第一で」
素晴らしい医師だと思っていますよとカルセは言う。
スフェンは教え子からの惜しみない褒め言葉に照れくさそうに首を竦め、言った。
「私は特段、自分の時間ってものを欲してないからな」
「貴方らしい」
そういいながら目を細めるカルセに、今度はスフェンが問う。
「カルセもそうじゃないのか?」
カルセも、基本的に患者のために自分の時間を犠牲にしている節がある。
否、患者のためだけではない。
誰か、或いは何か、大切なもののためならば、いくらでも自分や自分の時間を犠牲にする人物だった。
スフェンはそれをよく理解している。
そして。
「私は、そうですね……割と自由にしていますから」
そのことを、彼が隠そうとする癖も。
だから、スフェンはその言葉に異を唱えることなく微笑んで頷く。
「そうなのか」
まぁ無理はするなよ。
そういいながら、彼の頭を撫でてやる。
そんなことを彼にする人物はきっと、そういないのだろう。
カルセは藍色の瞳を大きく見開いた。
それから、色白の頬を薄紅に染め、視線を逸らしてしまう。
「……子供の頃に戻ったようです、そうされると」
「はは、私にとってはお前はいつまでも可愛い教え子だからな」
「……その気持ちは、何となくわかります」
ほんの少し拗ねたようにそういう彼。
スフェンはその横顔を見て、微笑む。
―― こいつも、漸くこういう顔をしてくれるようになったよ、クレース。
もう心配はいらなさそうだ。
そう、心の中で"もう一人の教え子"に報告する。
そんな彼の想いに応えるように、雪風がふわふわと吹き付けてきた。
「冷えますね。先生、この後少しお時間ありますか?」
「あぁ、同じことをきこうと思っていたよ。
久しぶりに何処かで食事でもしよう」
そんな言葉を交わし、二人は墓石の前を離れる。
二つ並んだ花束を、ふわりと風が優しく撫でていった。
―― 元気でいますか ――
(私は、元気にしていますよ。
この声は、想いは、貴方に届いていますか)
(慈しむ思いは、いつまでも変わらない。
けれども彼の心に刺さった後悔という名の棘は、幾分溶けて消えたようだ)