この時期の街中は酷く賑やかだ。
華やかに飾られたショッピングモール。
至るところにモミの木が飾られ、まるで繁華街かと見紛うようなイルミネーションが煌めいている。
そんな光景を見ながら、黒髪の少年は一つ息を吐き出した。
白い呼気が空気に溶けていく。
それを見届けてから、彼は口に煙草を咥えた。
まだ彼は煙草を吸えるような年齢ではない。
しかしさも当然のように煙草の先に火をつける彼を誰も咎めようとはしない。
こんなものだよな、と考えながら彼は紫煙を吐き出した。
こうした景色を見て、普通の人間は喜ぶものなのだろうか。
そう、ぼんやりと考える。
プレゼントの入った紙袋を手に帰路につく人々。
照れくさそうに手をつなぎ歩く恋人たち。
そして、幸せそうに笑う家族。
そんな記憶が、彼にはない。
親もいたはずだというのに、それと過ごした幸福なクリスマスの記憶など、存在しないのだ。
パーティに連れていかれたことはあったような気がする。
しかしそれは彼が望んでいったものではないし、両親は彼の様子を見ていようとはしなかった。
ニース。
その名を捨てて、数か月。
時折自分が生まれ育ったこの街の様子を見にくるが、両親が自分を探している様子はなかった。
別にそのことに落胆したわけではない。
ああやっぱりなという想いの方が大きかったし、探されてなくて安堵したのもある。
両親(あいつら)の言うことを聞かず、逃げ出したのだ。
連れ戻されたらどんな目に遭うかは、火を見るより明らかだ。
ただ黒髪に黒い瞳を持って生まれただけだった。
父にも母にも似ない容姿で生まれただけだった。
普通の人間は持つことが少ない悪魔の魔力を有していただけだった。
それなのに彼の両親は彼を疎み、悪魔の子だと忌み嫌った。
子に与えるべき愛情など持ち合わせてはいなかった。
それは祝福すべき聖夜もおなじことだった。
クリスマスであろうが何だろうが関係なしにぶつけられる暴力。
贈り物(プレゼント)の代わりに投げつけられる暴言。
それにもとっくに慣れこんなものだと思っていたから、別段クリスマスだからといってどうこうと思った記憶はない。
イルミネーションに心がときめくことも、クリスマスツリーののてっぺんに輝く星を見て目を細めることもない。
すっかり短くなった煙草を足元におとし、踏み消す。
その動作を咎める者もやはりいない。
皆、自分の幸福に浸っていて、周囲に目など向けていないのだ。
だって、そうでなければ……――
ぎゅ、と腕を押さえる。
傷は塞がっているはずなのに、無数の傷が、痣が、火傷の痕が残るそこが痛んだような気がした。
「ノア」
新しい名を呼ばれ、顔を上げる。
にこりと微笑む亜麻色の髪の少年がたっていた。
「ごめんね、一人で出かけちゃって」
すまなそうに詫びる彼は、まるで恋人のよう。
勿論黒髪の少年との関係はそんな甘やかなものではないのだけれど。
いうならば捨て猫とその保護主。
そして今は主従関係。
少年……かつてニースと呼ばれていた彼はノアールという名をもらい、眼の前の少年のことを"主"と呼ぶ。
それはきっと傍から見れば非常に奇妙で、滑稽なものだろう。
人畜無害そうな顔をした彼は、堕天使。
大天使ミカエルの血を引いて生まれながら、その身が宿した魔力は悪魔ルシフェルのそれ。
自身の親を殺し天界を逃げ出し、地上でのんびりと過ごしている。
顔を見る限りそんなことは欠片もうかがえない。
色の白い頬を冷たい風で薄紅に染めた彼は人懐こく笑って、ノアールに言った。
「いやぁ、この時期は甘いものが多くていいねぇ」
呑気なことを言いながら、彼は出かけている間に買ってきたらしいスティックキャンディをばり、と豪快に齧っている。
甘味が好きらしい彼は上機嫌である。
「……何か良いことでもありましたか」
そう思わずノアールが問いかけると、彼はぱちりと一度、蒼い目を瞬かせた。
それを愉快そうに目を細めて、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ふふ、何だか可笑しくてさぁ」
「可笑しい?」
何がでしょうか。
そうノアールがいうと、彼は街の中心の広場のクリスマスツリーを指さした。
スピーカーからは聖歌(キャロル)が響いている。
「こんな街に、堕天使が紛れ込むなんて、可笑しいと思わない?」
そう言いながらフォルがクリスマスに飾り付けられた天使の飾りを指先でつつく。
にこりと笑うその顔はまさしく天使のそれなのに、深い海のような瞳には確かな悪意の色。
彼はクリスマスを祝っている訳ではない。
楽しんではいるけれど、それはきっと……
「聖なる夜に悪意あるものがまぎれていることにも気づかずに馬鹿騒ぎしているこんな平和惚けした街が可笑しくてしょうがない」
そう言い放った彼はくすくすっと笑って、キャンディの包み紙をびりびりと破いた。
それをそのまま、一度強く吹き付けた風に投げる。
ひらひらと舞うそれは鮮やかなイルミネーションを反射して、煌めている。
ノアールはそれを見てふっと表情を緩めた。
―― 嗚呼、此方の方が余程美しい。
何千何万と煌めく明かりよりも、ずっと。
そんなことを考えてしまう自分も大概、歪んでしまったのだろう。
ノアールはそんなことを思う。
と、フォルが小さなくしゃみをした。
ふるりと体を震わせて、彼は溜息を一つ。
「あぁ寒い。何が悲しくてこんな日に外を出歩くんだか」
頭がおかしいとしか思えないよぉなどと言いながら彼は苦笑した。
元々街に行こうと言い出したのは彼だった気がするのだが、というのは喉の奥で飲み込んで、ノアールは"帰りましょうか"という。
主は如何せん、気まぐれなのである。
「そうだね、帰って何かあったかいものでものもうっと!」
ミルクティにしようか、ホットチョコレートにしようか、とわくわくした様子の彼はやはり、上手く街中に溶け込んでいる。
それは彼の"擬態"が上手いのかそれとも、人間が周囲に関心を持たない所為なのか。
そう思いながらノアールは目を細める。
遠ざかっていく聖歌。
うろ覚えのそれを口ずさんでみれば何だか可笑しくなってノアールは珍しく小さく笑い声を漏らし、先を弾むように歩いていく堕天使を追いかけたのだった。
―― クリスマス・キャロル ――
(平和惚けした世界に響く、聖歌。
それを口ずさむ悪魔の子)
(なんて滑稽な光景だろう。
そう呟いて、堕天使は笑った)