静かな、夜の騎士の棟。
その、一室……――
「ん……」
もうこんな時間か、と小さく呟く隻眼の少年……シュタウフェンベルク。
彼は書類に走らせていたペンを止めて、ぐっと伸びをした。
夜も更けて来たし、そろそろ寝るか、と思っていた時。
ベッドの上に座っていた長い黒髪の少年……ペルが枕を持って立ち上がった。
「ペル?何処に行くんだ?」
シュタウフェンベルクは不思議そうにそう問いかける。
弟であるペルはいつもこの部屋で一緒に寝ている。
それなのに、何処かにいこうとするのだから……
寝ぼけているのだろうか?
そう思いながら、シュタウフェンベルクはペルに声をかける。
「どうした?」
大丈夫か?
そう問いかける、シュタウフェンベルク。
ペルはその言葉に顔を上げた。
そして、ぽんと枕を叩きながら、いう。
「僕、自分の部屋で寝る……」
「え?」
彼の言葉にシュタウフェンベルクは驚いたように瞬きをした。
と、言うのも……
いつも一緒に寝ているペルが急にそんなことを言い出したからで……――
「自分の部屋、って……」
「僕の部屋、あるから……
今日は、クラウス兄さんとは別のお部屋で、寝るよ」
確かに、ペルがこの城に留まるようになってから彼の部屋も与えられている。
しかし彼がその部屋にいることはほとんどない。
いつもクラウスと一緒に居るのだから……――
なのにいきなりどうしたのだろう?
そう言いたげなシュタウフェンベルクを見て、ペルはいった。
「僕も、もう子供じゃ、ないよ」
一人でも、平気。
そういってペルは枕をもったまま部屋を出ていってしまった。
それを呼び止める方法も思いつかなくて、シュタウフェンベルクはただ彼を見つめていたのだった。
***
―― その翌朝。
軽く体を揺らされる感覚。
それにシュタウフェンベルクは目を覚ました。
「大佐?起きてください、大佐」
声をかけてきたのはいつも自分を起こしてくれる弟ではなく、副官であるヘフテン。
その声に目を覚ましてゆっくりと体を起こしたシュタウフェンベルクはゆっくりと瞬きをした。
「ん……ヘフテン……?」
「ペルさんは何所に行っちゃったんですか?」
珍しいですね、とヘフテンはいう。
彼も、いつもペルがシュタウフェンベルクと一緒に寝ていることはよく知っている。
だからこそ、今彼と一緒に居ないことが不思議でならなかったのだろう。
「ん……私も、良く分からないんだ」
シュタウフェンベルクはそういって小さく息を吐き出す。
それを聞いてヘフテンは不思議そうに瞬きをした。
そんな彼の様子を見て、シュタウフェンベルクは溜息まじりに言う。
「昨日の夜、急に今日は一緒に寝ない、といいだしてな……」
「ペルさんがですか?」
驚いた表情を浮かべるヘフテン。
シュタウフェンベルクはゆっくりと頷きながら、目を伏せる。
そして、やや悩むような声色で言った。
「自分はもう子供じゃない、って……
一体どうしたんだろう、ペルは……」
そう呟くシュタウフェンベルクを見て、ヘフテンは幾度か瞬きをした。
それから小さく笑って、言った。
「それは、ペルさんのちょっとした意地っ張りっていうか……
別に大佐のことが嫌いになったとかそういうわけじゃないと思いますよ」
「え?意地……?」
ゆっくりと瞬きをするシュタウフェンベルク。
まだ彼の言葉の意味が分かっていない様子だ。
ヘフテンはそんな彼に言う。
「ちょっと大人ぶってみたかったんだと思いますよ。
ペルさん、子ども扱いされるのは嫌いみたいですから」
そういいながら笑うヘフテンに、シュタウフェンベルクは"なるほど"と小さく呟く。
ヘフテンはそんな彼を見て"そうですよ"といって微笑むと、いった。
「ほら大佐、そろそろ朝ご飯食べにいかないと……」
時間ないですよ?といってヘフテンはシュタウフェンベルクの頬にキスをする。
驚いて固まる彼に"たまにはこういうのもいいかもしれませんね"といいながら。
***
それから、シュタウフェンベルクはヘフテンと一緒に朝食をとった。
今日は仕事も別々のもので、シュタウフェンベルクは自分の部屋に戻ろうとしていた。
今日は部屋で書類に目を通すので良い。
そう思いながら部屋に戻りがてら、まだ姿を見ていない弟を探していた。
「あ……」
部屋の近くまで戻ってきた、その時。
ゆっくりと歩いている長い黒髪の彼……ペルの姿を見つけた。
ふらふらと歩いていく、ペルの足取り……
何だかひどく重そうなそれに、シュタウフェンベルクは眉を寄せる。
「ペル?」
シュタウフェンベルクは彼に声をかけた。
するとペルはびくっと体を跳ねさせた。
驚いたように顔を上げたペルの表情には疲れの色?
「どうした、ペル……眠いのか?」
マフラーでおおわれているためによくわからないが、ペルの顔色はあまり良くないように見えた。
ほんの少しだが、目の下に隈が出来ている。
……よく眠れなかったのだろう。
しかしペルはシュタウフェンベルクの言葉に小さく首を振った。
そして、強情に、言う。
「眠く、ない……
クラウス兄さん、もう仕事……」
仕事あるよね?
そう問いかけるペル。
彼は意地になって寝不足を誤魔化そうとしている様子だ。
クラウスはそんな彼を見てふっと息を吐き出す。
それからそっとペルの体を支えてやりながら、自分の部屋に戻った。
「今日は書類の確認をするだけだから大丈夫だ。
……傍にいるから、少し眠るといい」
そういってシュタウフェンベルクはペルの体を寝かせた。
しかしペルは眠くないと駄々をこねる。
ヘフテンがいっていたことはその通りなのかもしれないな。
そう思いながらシュタウフェンベルクはペルの体をぽんぽんっと一定のリズムで叩いてやった。
「大丈夫だ……お休み」
傍にいるから。
そういいながら、シュタウフェンベルクはそっとペルの体を叩いてやる。
しかしそうしていると手が使えない。
書類を見る事が出来ない。
それ故に、シュタウフェンベルクは手持無沙汰で……
少し、考え込むような顔をしてから、すっと息を吸い込む。
そして紡いだのは、小さな声での子守歌。
幼いころ、体調を崩してベッドで寝かされた時、寝たくないと駄々をこねた彼に兄たちが歌ってくれた子守歌だった。
「ん……クラウス兄さん、お歌上手……」
ペルは少し眠たそうな声でそういう。
それを聞いてシュタウフェンベルクは目を細めた。
そして少し照れくさそうにいう。
「いや……やっぱり芸術は、アレクサンダー兄さんの方が上手だな」
そういいつつ、彼は小さな声で歌を歌い続けてやる。
そうしているうちにペルは目を閉じて、静かに寝息をたてはじめた。
やっぱり眠かったのだろう。
そう思いつつぽんぽんと彼の体を叩き続けてやる。
そうしている間に、シュタウフェンベルクもうとうとし始めてしまった。
かくん、と首を落として小さく寝息をたてはじめる彼……――
それから少しして。
小さなノックの音のあとに、彼の友人であるクヴィルンハイムが部屋に入ってきた。
「クラウス?……おや」
シュタウフェンベルクが眠っているのを見て、クヴィルンハイムはふっと苦笑を漏らす。
そして中途半端に体を折って眠っているシュタウフェンベルクの体をベッドに寝かせてやった。
「まったく、子供のようですね」
そう呟くように言いながら、クヴィルンハイムは彼の体に布団をかけてやったのだった。
―― Sleeping… ――
(本当は、一緒に寝たかったの。
寂しくて、寝付けなかったんだよ…)
(可愛い弟。ゆっくり休めばいい…
懐かしい記憶の底にあった歌を歌ってやるから…)