静かな執務室。
その部屋のなかにある二つの作業机……――
そこに向かっていた金髪の少年、ヘフテンは一度手を止めた。
そして、顔をもうひとつの作業机に向かっている黒髪の上官……
シュタウフェンベルクの方を向いた。
彼は黙々と作業を続けている。
ヘフテンの視線に気がつく様子はない。
と、その手が止まった。
自分の視線に気がついたのだろうかとヘフテンは思ったが、
どうやらそれは違っていたらしい。
ふー、と息を吐き出したシュタウフェンベルクはペンをおいて、
ぐぅっと上に向かって伸びをした。
どうやら、結構疲れている様子だ。
そういえば、ここ数日休みもなしだったよな、とヘフテンは思う。
「大丈夫ですか、大佐」
ヘフテンが声をかけると、シュタウフェンベルクは驚いたように振り向いた。
そして少し恥ずかしそうな顔をしつつ、いった。
「恥ずかしいところを見せたな……大丈夫だ」
「少し休憩にしませんか?」
お疲れのようですし、といいながらヘフテンは立ち上がる。
そんな彼に"大丈夫だぞ"と言いつつシュタウフェンベルクは首を傾げた。
「私は大丈夫だが……ヘフテンは大丈夫か?」
休みも全然とれないし、と少し心配そうにいうシュタウフェンベルク。
彼の補佐をしているヘフテンは必然シュタウフェンベルクと同じようなシフトになる。
その結果、彼もまた休みがない状況になるのだった。
しかしヘフテンはそんな彼をみてにっこりと笑って、いった。
「僕は平気ですよ!とりあえずお茶いれてきます!」
そういうとヘフテンは部屋から出ていったのだった。
***
そうして部屋を出たヘフテンは廊下を歩きながら小さく息を吐き出した。
そして少し悩んだような声で呟く。
「明日は久しぶりの休みだし……
大佐に何か、いつもの恩返しをしたいなぁ……」
ヘフテンはそう呟いた。
いつも世話になっている彼。
愛しいと思う、彼。
いつもありがとう、お疲れさまと伝えたいのだけれど……
「大佐は、何をしたら喜んでくれるかなぁ……」
ヘフテンはそういいながら溜め息を吐き出した。
シュタウフェンベルクとはいつも一緒にいるのだけれど、
これといって彼が好きなものがパッと思い付かない。
何をしたら彼を労える?
どうしたら彼は喜んでくれるだろう?
彼がゆっくり休めればそれで良いと思うのだけれど……
うーん、と悩んだ声をあげるヘフテンの足はいつのまにか止まっていた。
と、そのとき。
「ヘフテン?どうかしたのですか?」
聞こえたのは穏やかな声。
それに振り向けば、不思議そうな顔をしている医療部隊長……ジェイドの姿。
ヘフテンはぱちぱちとまばたきをして、いった。
「あ、ジェイドさん……
そうだ、ジェイドさん、疲れってどうしたらとれますかね?」
ヘフテンは思い付いたようにそう訊ねる。
そういうことはプロのジェイドに訊くのが一番だろう。
そう思ってジェイドに訊ねてみたのだ。
ジェイドは彼の言葉に少し驚いたような顔をした後、
少し考えるような顔をしてから、いった。
「やはりゆっくり眠ること、ですかね。
眠る前にホットミルクを飲むとよく眠れるとは言いますが……」
そういうことですかね、とジェイドがいうとふむふむ、というようにヘフテンが頷く。
そしてジェイドにぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます、ジェイドさん」
「あ、待ってくださいヘフテン。これ……」
そういいながらジェイドが差し出したのは小さなポプリ。
くん、と匂いを嗅ぐと、ほっとするような香りがした。
「こういうものも、ちょうど良いのではないですかね。
そこまで香りのキツいものでもないですし。
妹のを真似て僕が作ったものですが……」
二つあるので揃いでどうぞ、とジェイドは微笑む。
彼らの仲のよさは彼もよく知っていた。
彼の言葉とプレゼントにヘフテンは嬉しそうに顔を輝かせる。
「わぁ、ありがとうございます!」
ぺこっと頭を下げると、ヘフテンは食堂に向かっていく。
大切そうにポプリをポケットにしまって。
***
そうしてたどり着いた食堂。
そこでとりあえず茶をいれる用意をする。
あまりこういった作業を頻繁にする方ではないが、
愛しい彼のためならばと熱心にやる。
と、不意にくいくいと服を引っ張られた。
え?というように首をかしげて振り向くと、
そこには黒髪の少年……ペルの姿があった。
本当の名前がシュタウフェンベルクと縁のある名前であるためか、
ヘフテンたちとも親しくしている彼。
ヘフテンはにっこりと笑いながら、こんにちは、と挨拶をした。
「……シュタウフェンベルク、は?」
今日は一人なの?とペルは問いかける。
いつも二人で一緒にいる印象があるらしい。
ヘフテンは彼の言葉にこくりと頷いて、いった。
「大佐は今休憩中ですよ。僕がお茶をいれに来たんです」
「……そう、なんだ」
おつかれさま、といいながら、ペルはポケットに手をいれる。
そして何かを取り出すと、ヘフテンのポケットのなかにいれた。
「え?なんですか?」
少し驚いた顔をするヘフテン。
ペルは彼を見つめながら、いった。
「あげる。……飴」
甘いもの、疲れをとる。
ペルはぽそりとそういうと、てくてくと歩いて離れていった。
どうやら、自分に構ってくれる二人への恩返しのつもりらしい。
ヘフテンは彼にもらった飴玉を取り出して見ると、ふわりと笑った。
そして遠ざかる彼に礼を言いつつ、茶をいれる。
「これでよし、なんだけど……」
明日は、どうしようか。
ヘフテンは再びそう悩む。
結局結論は出ていない。
どうしたら彼にゆっくりしてもらえるだろう?
ゆっくりしてていいですよ、なんていうのは上から目線な気がするし、
かといって何も言わなかったら作業でもしそうな彼だ。
いったい何をいってやればいいだろう?
「ヘフテン?」
すっかり思考に沈んでいたからだろう。
声をかけられて彼はびくぅっと肩を跳ねさせた。
慌てて振り向けば、すぐそこにたっている亜麻色の髪の少年。
彼……フィアはヘフテンにすまなそうにいった。
「すまない、驚かせたな」
「あ、いえ、すみません……」
ちょっと考え事をしていて、とヘフテンはいう。
フィアはそうか、というように頷いた後、小さく首をかしげつついった。
「シュタウフェンベルクが探していたぞ。
茶をいれてくるといって出ていった切り帰ってこないって」
「!結構時間たっちゃってたんだ」
やっちゃった、と呟くヘフテン。
フィアはそれを見つめて、いった。
「考え事、って……?それが原因だろ」
「え?えぇ……
明日、大佐も僕もお休みなんですけれど……」
ヘフテンは一通りフィアに事情を説明した。
そして小さく首をかしげつつ、訊ねる。
「フィアさんはどうしてますか?」
「……俺がルカの労を労うと思うか?」
そんなフィアの反応。
ヘフテンは苦笑しつつ、"それもそうでしたか"と呟いた。
フィアがルカのことを敬っていないのは知っている。
しかし、フィアは小さく息を吐いて、いった。
「でも……変わらないで接するのが、一番じゃないか?」
「へ?」
きょとんとするヘフテン。
フィアはそれを見つめつつ、いう。
「シュタウフェンベルクは、いつも通りにヘフテンに傍にいてほしいんじゃないか、と。
……一番の癒しは大切な存在が傍にあることだ、と何処かで聞いた」
そういうフィアの頬は少し赤い。
"らしくないから俺がいったというのは忘れてくれ"といって、彼は離れていく。
ヘフテンはその後ろ姿を見つめてまばたきを繰り返す。
そして、笑みを浮かべた。
「ヘフテン!まだこんなところにいたのか」
聞こえた声に振り向く。
そこには案の定黒髪の彼……シュタウフェンベルクがいて。
「大佐!」
「遅いから心配したんだ……なにをしていたんだ?」
首をかしげるシュタウフェンベルク。
ヘフテンは笑顔で首を振った。
「何でもないです。ちょっと寄り道しちゃってて……」
すみません、と詫びるヘフテンをみて、シュタウフェンベルクは首を振る。
そして不思議そうに首を傾げた。
「でも、寄り道って……」
「寄り道というか、いろんな方に会ってて」
そういいながらヘフテンはさっきジェイドに貰ったポプリと、
ペルにもらったキャンディを取り出しつつ思う。
明日は、彼と二人でゆっくりすごそう。
何をするでも何でもなく、のんびり。
何処か出掛けたくなったら出掛ければいい、と……――
―― 安らぎの方法 ――
(貴方にはゆっくり休んでほしいと思う
その方法を色々と模索したのだけれど……)
(もし、もしも。
貴方が本当に、僕がいることで安らいでくれたら嬉しいな、って)