交流授業があるためにいつもより幾分賑やかな学校。
制服の異なる生徒たちが楽しそうに喋る声が響く。
そんな学校の一角。
消毒液の匂いが満ちる、保健室。
その白いベッドの上で横になっていた金髪の少年、ハイドリヒは目を開けた。
少し体調が悪くて保健室で休んでいた彼。
どうせ授業は気が進まないものだし、まともに受けなくても、
ハイドリヒはある程度の授業内容をきちんと理解出来る。
白いベッドの上に体を起こしたハイドリヒは軽く目を擦った。
眠るつもりはなかったのだけれど、眠ったら幾分すっきりした。
明日から少し天気が崩れるといっていたし、そろそろ月に一度のが来る頃だ。
その所為だろうなと漠然と思いつつ、彼はベッドの上で軽く伸びをした。
その時ちょうどポケットから落ちた携帯が震えた。
ちかちかと光るLED。
色を見るに、メールだ。
メールを開いて見れば、それは彼の恋人であるアネットから。
ざっくり言えば、今日は部活がないから帰れるという内容。
そしてお前はいったい何処にいるんだ?と言うメールだった。
そして彼は速攻でハイドリヒの教室にいったのだろう。
しかしハイドリヒは授業の時から保健室にいっていたのだから、
彼の教室にいったところでいるはずがない。
困惑した彼はこうしてメールを寄越してきたらしい。
ハイドリヒはそう思いつつ彼にメールを返した。
体調が優れなかったから保健室にいっていたということ。
そこでそのまま待っていてくれていいということ。
鞄はそのまま置いておいてくれて構わないと言うこと。
短くメールを送ってから、ハイドリヒは小さく息を吐き出した。
廊下は賑やかになっていた。
保健室の教師は不在のようで、室内に自分以外の気配はなかった。
とりあえず、教室に戻ろう。
待ってろといったが、恐らくアネットはこっちに向かってくるだろうけれど、
いずれにせよ鞄はとりにいかなくてはならない。
ハイドリヒがそう思っていた時……ガラリとドアが開いた。
保健室のなかに入ってきたのは亜麻色の髪の少女だった。
それを見て、ハイドリヒは青い目を見開く。
「フィアさん」
思わずその名前を呼んでいた。
ハイドリヒもよく知っている、他校の生徒……フィア。
彼に名を呼ばれて、彼女も驚いたように顔をあげた。
「!ハイドリヒ……どうしたんだ?」
「少し体調が悪くて……今目が覚めたんです」
ハイドリヒがそういうとフィアは幾度かまばたきをしてから眉を下げた。
そして首をかしげつついう。
「大丈夫か?」
「えぇ、もう平気です……フィアさんは?」
もう放課後ですよね、とハイドリヒはいう。
フィアは彼の言葉に苦笑気味に頷くと、いった。
「美術の授業の時に少し指を切ってしまってな。
平気だといったんだが、消毒してもらってこいと言われたから」
それできたんだけど、といってフィアは周囲を見渡す。
現在養護教諭は不在だ。
言われて見れば、フィアは左手の指先をハンカチで包んでいる。
「消毒なら……お手伝いしましょうか」
場所はわかりますし、といってハイドリヒは保健室の一角においてある消毒液をとった。
そしてフィアを椅子のひとつに座らせて、ハンカチをはずす。
カッターか何かで切ったらしく、まだ血が流れていた。
ハイドリヒはその傷口に軽く消毒液を当てて脱脂綿で押さえる。
流石に痛いのかフィアは顔を歪めたが、それでも声をあげない辺りが彼女らしい。
ハイドリヒは彼女の指に絆創膏を貼った。
とりあえずこれでいいと思うんですが、と言う彼を見て、フィアは微笑む。
「ありがとう、ハイドリヒ……
指先は自力では消毒も手当ても出来ないから、助かったよ」
「いえ、これくらいでよければ」
気にしないでください、とハイドリヒは言う。
フィアはそれを聞いてふっと笑った。
そして付け足すように言う。
「それにしてもハイドリヒ、手綺麗だよな」
手と言うか指、とフィアは言う。
唐突な彼女の言葉に、ハイドリヒは目を丸くした。
「え?」
「あ、いや、深い意味はないんだ。
ただ、手当てしてくれてる時にお前の手が見えて、綺麗だなって」
男性なのに、といってフィアは小さく笑う。
ハイドリヒは彼の言葉に自分の手に視線を向けた。
長い指。
色の白い手。
確かに彼の手は美しい。
ホルモンバランスの所為なのか、幾らか女性的でさえあった。
とはいえ、女性であるフィアにそう言われても、少し反応に困る。
ハイドリヒはあちこちへ視線を彷徨わせた後、"ありがとうございます"といった。
フィアはそんな彼を見て小さく笑う。
そして、いった。
「マメそうだよな、ハイドリヒは……
髪とかも、手入れ大変だろうに」
結構綺麗に手入れしてるよな、と問いかけるフィアに、
ハイドリヒはまぁ、と言うように頷いた。
「これだけ伸ばすと、適当に放っておくわけにもいきませんからね」
そういいながら、ハイドリヒは自分の艶やかな金髪をするりと撫でた。
艶やかな髪。
確かにその髪は丁寧に手入れしているし、
フィアの言う通り手入れに手間も時間もかかる。
「あ、そういえばこの前教えてもらったシャンプー、使ってるよ。
確かにいいな、あれ……香りも良いし、使いやすい」
フィアは思い出したように彼にいって、微笑んだ。
それを聞いて、"それはよかったです"とハイドリヒはいった。
ハイドリヒにとって珍しい相手だった。
人付き合いが得意な方ではない彼。
あまり親しく話をする人間は多くないのだけれど、
フィアとは割りと色々な話をする。
主に、女性にしか出来ないであろう話だけれど。
と、そんなとき。
保健室のドアが再び開いた。
フィアが開けるのよりは幾らか強い開け方。
「ラインハルト!もう体調はいいのか?!」
心配そうに叫ぶように入って来たのはアネット。
ハイドリヒの姿を見て、そしてその傍にいるフィアを見て、
彼はきょとんとしたようにまばたきをする。
「あれ、フィア、ラインハルトと一緒にいたのか?」
珍しいな、とアネットは言う。
フィアは彼の言葉に頷くと、ハイドリヒの方を見ながらいった。
「ちょっと怪我をしてな。
手当てを手伝ってもらったあとに、少し雑談をしてたんだ」
彼には色々教えてもらえるし、とフィアは言う。
アネットはそれを聞いてハイドリヒとフィアを見た。
そして"ふぅん"と小さく声を漏らした。
そして、ハイドリヒを見ると、アネットはいった。
「そんで、もう体はいいのか、ラインハルト?」
その声はいつもより若干つっけんどんな気がした。
それに動揺しつつ、ハイドリヒは頷く。
「え?あ、はい、大丈夫です」
「そか、よかった。
じゃあ、……俺、外で待ってるわ」
鞄とってこいよー、といってアネットは保健室を出ていく。
いつもならば一緒にいこうと言うタイミングなのに……
フィアとハイドリヒはその後ろ姿を見て、まばたきをした。
「?なんだ、あいつ」
「えぇ……とりあえず、一緒に帰る約束をしているので私はそろそろいきますね」
お大事に、といってハイドリヒは部屋を出ていく。
そして少し急ぎ足で自分の教室に向かったのだった。
***
そうして鞄をとってきた後、ハイドリヒはアネットのところにいった。
いつも通りに校門の前で彼は待っていたけれど……
じゃあ帰るか、といって歩き出した彼。
いつものようにハイドリヒに笑顔を見せることもしない。
いつもよりかなり早足で、ハイドリヒの隣を歩こうともしないし、
いつもよりずっと発言は少なく、会話が続かない。
そんな彼を見てハイドリヒは怪訝そうな顔をする。
先刻から彼の様子がおかしい。
「アネットさん?どうして不機嫌なんですか」
「別に、不機嫌じゃねぇし」
ハイドリヒの言葉にアネットはすぐに返答する。
しかしその声はやはり、不機嫌そうだ。
ハイドリヒは小さく溜め息を吐き出して、彼にいった。
「……貴方が嘘をつけるタチだと思いますか」
不機嫌じゃない何てどうしたら信じられますか、とハイドリヒはいう。
アネットは彼の言葉に足を止めた。
そして、溜め息を吐き出す。
そのまま彼は、小さく呟くような声でいった。
「俺も髪伸ばせば良いのか?もっとちゃんと色々気遣ったり……」
唐突にそんなことを言うアネット。
彼を見てハイドリヒは青い瞳を瞬かせる。
そして、彼がこれだけ不機嫌そうな顔をしている理由に気がついた。
「……アネットさん」
小さく名前を呼ぶ。
アネットはぷいと彼から顔を背けつつ、呟くようにいった。
「フィアと話してるラインハルト、楽しそうだったから」
嗚呼、やはり。
ハイドリヒはそう思いながら俯いたアネットを見つめる。
先程ハイドリヒとフィアが話しているのを彼は見ていたのだろう。
そして、嫉妬したのだと、思われる。
ハイドリヒはその確信を胸に、フィアにいった。
「話が合うから、話してただけですよ」
そう、あくまで話が合うから。
他の人間には出来ない話も出来るし、祖の話も合うから。
何より、フィアは口も固いし性格もおとなしくて、しゃべっていて楽なのだ。
アネットはそんなハイドリヒの言葉にちらりと顔をあげた。
そして、溜め息を吐き出しながら言う。
「俺とはどうせ話合わないもんな」
拗ねたような声色。
わかっている。
自分とハイドリヒの性格はあまりに違うから。
性格も、気質も、行動パターンも……
だから話があうわけもないもんな、とアネットは呟く。
そんな彼を見て、ハイドリヒは溜め息を吐き出した。
そしてアネットの肩をこづきつつ、いった。
「話が合おうが合うまいが一緒にいられるのが貴方だと言うことがわかりませんか」
そう。
アネットと一緒にいるのは、話が合うからなんて単純な理由ではない。
彼のことが、好きだからだ。
話が合うか否かで一緒にいることにするとした場合、
アネットとは絶対に親しくなることができなかっただろう。
それくらい、彼にだってわかるだろう。
そういうハイドリヒだが、アネットは俯いたままだ。
「本当に貴方は嫉妬深いんですから」
やれやれ、とハイドリヒは呟く。
そんな彼を恨めしげに見て、アネットは呟くようにいった。
「悪かったな……好きだからこそ、どんなちょっとしたことも、やなんだよ
フィアは可愛いし、しっかりものだし、優しいし……」
ちょっと性格きついとこもあるけどさ、と語るアネットは少し表情を緩めている。
それを見て、ハイドリヒも少し眉を下げた。
ああ、これも嫉妬心。
今は目の前に彼の、フィアの姿はないのに……
妬ましいと思ってしまう。
彼は自分だけを見てくれればいいのに。
彼は、友人であるフィアのことも、よく知っているのだろう。
そう思うと、少し悔しい。
ハイドリヒはアネットをじっと見つめた。
彼のガーネットの瞳をしっかりとらえつつ、彼は口を開いた。
―― Envy ――
(嫉妬するのはきっとお互い様だ
でも"彼女"はあくまでもただの、話し相手で。
変わろうとしなくていい。貴方は貴方のままで……)
(俺はお前と全然違うから。
繊細でもないし品もよくないし…
でも、それでも、お前のことが一番好きなんだよ…)