綺麗な青空が広がる、夏の朝。
今日も気温は上がりきることが感じられる。
朝だというのに既にコンクリートは熱を持ち、
じりじりと焼けるような照り返しを肌に感じた。
そんな朝……
「くしゅんっ」
いつも通り後輩たちと通学路を歩きながら、
小さなくしゃみをする金髪の少年……ムッソリーニ。
彼をみて、浅緑の髪の少年は小さく溜め息を吐き出しつつ言った。
「何でそんな噛み殺したみたいなくしゃみするんだよ……」
女子みたいだ、とスターリンは鼻をならす。
そんな彼をみてムッソリーニは苦笑気味に言った。
「やー、多分扇風機かなんかの埃の所為なんだけどさぁ……
万が一風邪で、盛大にくしゃみして、お前らに伝染(うつ)したら悪いじゃん?」
何か昨日からくしゃみ止まらないんだよー、とムッソリーニは笑う。
そんな軽い調子なら大丈夫かと思ったらしい黒髪の少年、ヒトラーはさらりといった。
「なんとかは風邪引かないんじゃなかったか?」
「アドルフ……」
ヒトラーを苦笑気味に窘めるクビツェクだが"でも事実だろう"とヒトラーはいう。
毎朝朝っぱらから腰をひっ掴まれるのの仕返し、といったところだろうか。
ムッソリーニはヒトラーの言葉に大袈裟に頬を膨らませる。
「またお前はそういうことを……」
一応先輩なんだぞ!とムッソリーニは主張する。
この場で一番年上なのは確かにムッソリーニだ。
しかしクビツェクはともかく、ヒトラーとスターリンは彼を敬うつもり等皆無だ。
その事は、ムッソリーニもよくわかっている。
「夏風邪は馬鹿が引くそうなのだよ」
ヒトラーのコメントにたいしてスターリンはそんなことをいう。
ムッソリーニはひくりと眉をひきつらせつつ、言った。
「はっきり言いやがって……!」
「馬鹿って自覚があるから反応するのだよ」
小さく笑いながらそういうスターリンに、ムッソリーニは頬を膨らませつつ、
"そういうこというんなら昼飯なしだからな!"といってみるが……
まぁ、彼がそれを実行しないことは、ほかでもない後輩たちがよくわかっている。
ムッソリーニはそんな後輩たちをみて笑顔を浮かべる。
いつも通りのやり取り。
いつも通りの後輩たち。
そんな彼らに、ほっとしながら。
しかし、その実……
多分風邪を引いたのだろうな、とムッソリーニは思っていた。
彼らには埃の所為かも、なんていっていたが、くしゃみ以外にも自覚症状はあった。
体がだるくて熱っぽい。
でも、それは目に見える異常ではないために、
ムッソリーニ自身がうまく隠しているのだった。
後輩たちに迷惑基心配をかけたくない。
彼らの前ではいつも笑顔でいたいし、彼らにも笑顔でいてほしい。
そのためならば自分の体調不良を押し隠すくらいわけない。
「ほら、もう少し急がないと遅刻するのだよ」
とろとろ歩いてるから、といいながらスターリンは足を速める。
眠そうに欠伸をしているヒトラーの手をクビツェクが握って"ほらいこう"と促す。
そんな彼らの様子をみて微笑みながら、ムッソリーニも足を速めたのだった。
***
そんな風にして、ムッソリーニは一日過ごした。
幸い体育の授業はなくて、一日中教室で演習問題を解く。
それは彼にとっては好都合だった。
午後になれば熱も上がったのか気だるさが増して、座っているのも辛い。
演習問題なら、解き終われば寝ていればいい。
別に解き終わる前に寝ても先生に軽く頭をはたかれるだけだ。
ちゃんと解いてから寝ろよーという言葉に苦笑しつつ頷いて、
ムッソリーニは机に突っ伏していた。
昼休みはどうにか、いつも通りに振る舞うことが出来たと思う。
ヒトラーがやっぱり顔色悪くないか、と若干心配そうに声をかけてきたが、
平気平気と笑ってやれば、そうかと納得していつも通りに戻った。
一緒にパンを食べて、喋って、騒いで……
そんな時間が、ムッソリーニも好きだ。
しかし、気力と体力を使うのは事実。
午後の授業は完全にバテバテで、ほとんど冷たい机に突っ伏していたといっても良い。
机が冷たく感じるのも、恐らく熱があるからなのだろう。
そんなことを考えつつ、どうにか放課後まで授業を乗り切った。
帰りには、後輩たちとも一緒にならない。
各々、好きな相手を待ったり待たせたりして一緒に帰るから。
恐らくヒトラーとクビツェクはクビツェクの部活が終わったら一緒に帰るだろうし、
スターリンも他校の友人と図書館で待ち合わせて一緒に帰っているはずだ。
そんななかで、ムッソリーニは他の生徒たちより少し長く待つことになる。
というのも、彼の待ち人は学生ではない。
他校で養護教諭を務めている男性……カルセだ。
彼は六時頃まで学校にいることが多い。
そうしてから学校から出てきた彼と一緒に帰るのだ。
まっすぐ各々の家に帰ることもあれば、どちらかの家にそのままいくこともある。
ここ最近では後者の方が多い気がした。
ムッソリーニはいつも通り、カルセの学校の前に向かった。
今日は部活がない日らしく、もう既に学内は大分静かになっているように感じた。
そんな校門の前。
そこに一人佇みながら、ムッソリーニは小さく息を吐き出した。
その呼気はやはり少し熱い。
「……このままカルセさんに会ったら、心配させるかな」
ぼんやりと、ムッソリーニはそう呟いた。
よくよく考えれば、彼は保健室の先生。
養護教諭をしてはいるが、医師免許も持っていると話していたっけ。
そんな彼の目は、欺くことが出来ないだろう。
「一人で、帰ろうかな」
あぁでも、一人で帰るにしたって帰り道にはいろんな人に会うだろう。
彼らとも毎日顔を合わせているのだし、親切な人が多いから、
いずれにせよ気づかれて心配かけるかもしれない。
どうしよう、どうしよう。
そう考えているうちに、くらくらと目眩がしてきた。
「っ、……うー……」
小さく呻いて、ムッソリーニはその場に座り込んだ。
体が怠い。
立っているのが辛い。
時間的に、もうあまり学内に残っている生徒はいないだろう。
もし誰か知り合いに、或いは知らない生徒にでも声をかけられたら、
落とし物をしたフリでもすれば良い……
ムッソリーニは変に冷静にそんなことを思っていた。
照りつける日差し。
コンクリートでの照り返し。
それを感じているうちに、ふわりと意識が遠退くのを感じた。
***
ゆらゆらと、揺れるような感覚。
瞼が重い。
でも、起きなくちゃ。
……何で起きなくちゃいけないんだっけ?
そう考えつつ、ムッソリーニは目を開けた。
「ん……」
自分の足で立って歩いている感覚はないのに、地面が、景色が動いている。
いったいこれはどういうことだろう?
「目が覚めました?寝てて良いんですよ」
聞こえたのは、ほかでもないカルセの声。
でもそれは隣から聞こえたものではなくて……
少し顔をあげれば目に映ったのは艶やかな淡水色の髪。
ムッソリーニはそれに大きく目を見開いた。
「え……」
彼が喋ったタイミングで体に伝わってくる微かな振動。
体に伝わってくる温もり。
聞こえた声は、前から。
それらのことから統合しておぶわれているということに、気がついた。
「全く……本当に貴方は馬鹿ですね」
歩きながらカルセはそういった。
ムッソリーニは"カルセさんまでそういうことをいう"とむくれてみせたが、
彼のいう"馬鹿"の意味はムッソリーニもよくわかっていた。
カルセが深々と溜め息を吐き出す。
その溜め息の意味も、ムッソリーニはよくわかっていた。
「……体調悪いのに無理してどうするんですか」
やはり、彼はそういう。
恐らく、カルセを待っている間に倒れたのだろう。
それからすぐに彼が来た、といったところか。
ムッソリーニは彼の背に揺られながら、小さな声で詫びる。
「……ごめんなさい」
「許しません。
自分の体を酷使することだけは、許しませんよ」
きっぱりとそういわれ、ムッソリーニはどうしようと思った。
カルセが怒ることは稀だ。
そんな彼が本気で怒っているとしたら……どうしたら許してもらえるだろう。
「……まったく」
ふ、と笑うような息がカルセの口から漏れた。
背中に背負っている小さな少年の考えていることは、手に取るように伝わってくる。
「怒ってはいませんよ。呆れているだけです」
「……それ、怒ってると同義」
少し掠れた声でムッソリーニはいう。
カルセはそんな彼の言葉に苦笑しつつ、少しずれかかっていた彼の体を背負い直す。
「確かに少し怒ってはいます。
さっきいったように、無理をすることは許せません。
でも……それが貴方の気質であることは、
ほかでもない私が一番よく理解していますからね」
困った子です、というカルセの声は優しい。
ムッソリーニはその声に少しほっとした。
ほっとすると同時に、少し眠気が襲ってくる。
「眠っていていいですよ。貴方はこのまま、私の部屋につれていきますから」
カルセはムッソリーニにそういう。
彼の言葉を聞いて、少し躊躇うようにムッソリーニは言った。
「でも、悪い……」
「悪くありません。むしろこのまま一人で帰る等といったらそれこそ怒りますよ?」
きっぱりとそういわれて、ムッソリーニは苦笑した。
そして、"すみません"と詫びつつ、彼の背に顔を埋める。
こうして誰かの背におぶわれたことなど、そうそうあるものではない。
それにそれは、大切な人の背中で……――
意識が、揺らぐ。
でもそれは先程一人でいたときの揺らぎ方とは違って穏やかで、
暖かな眠りのなかに落ちていくときのそれと、よくにていた。
―― 背に揺られ ――
(ゆらゆらと、貴方の背中に揺られて
嗚呼、穏やかで、暖かくて、落ち着くんだ)
(すぐに無理をしてみせるこの子からは目を離せませんね
それが彼の性分と認めつつある自分が悔しいですよ)