話題:医療の現状


一週間くらい前のlivedoorblogのアゴラの井上晃宏医師の投稿が興味深い。

事件自体は2005年のものらしい(私はこの事件については今まで知らなかった)が、内容は


宮崎大医学部の学生6人が、車ではね死んだウサギを自宅で解剖。その模様を写真に撮影し、ブログにて公開した。それに対して大学側は「医学生として倫理観に欠け、大学の名誉を著しく傷つける行為」としてこの学生等を2年間の停学処分にした。

とのこと。最初にこの記事を目にしたときに思ったことは、「ネットで公開したから学生を処分したのだろうか?それとも行為自体に対する処分たのだろうか?」ということ。勿論、私とてたとえ死んでいるとは言え、ウサギを解剖してそれをネットで晒すのは良いことではないということは、倫理的にというか直感的にわかる。しかし大学側が下した処分に対してはいささかの疑問を覚える。


本記事における井上医師の主張の根本はこのこととは少し異なる。彼の主張は

この事件がこれほど問題視されたのは医学部で行われている解剖実習と関係がある。解剖実習などせずとも人体の構造は教科書に書いており、解剖実習を通して新たな学問的な知見を得ることはない。むしろ解剖実習とは医師になるための一種の゙イニシエーション゙(通過儀礼)としての効果しか持ちえない。ところが解剖させなければ、「医師としての心構え」を持たせることはできないが、「医師としての心構え」がなければ解剖させないという大学側の論理は矛盾している。

ということである。また井上医師はアゴラの別の記事で「医学部を廃止せよ」と提言していることも併せて理解されたい。(これはハイエクの主張を下敷きにしていると思われる)

さて、医学部に入学する学生のほとんどは高校卒業直後の人たちか、せいぜい一年ないし数年浪人生だった人たちである。私も現在医学部を目指している者の一人ではあるが、私のような社会人の経験がある者は圧倒的に少ない。そのような社会人としての経験が全くない若者たちに医学生になったとたんに平均的な日本人よりも高い人間性や倫理観や徳を求めるのは無理があるのではないだろうか?


それとともに現行の医学部一般入試において必ず学力試験以外にも面接が課せられるのだから、学生を倫理面の観点から処分するということは面接試験の意味はないということを露呈しているのではないか?

と思わざるをえない。宮崎大医学部というと、ネットで知り合った私と同年代の医学部再受験の方が学力試験で合格水準以上の得点をとったにもかかわらず不合格だったことが成績開示でわかったと言っていた。この件に関して私も調べてみたがどうも年齢差別によるものらしいこともわかった。(さもなくばこの方が言っていること自体がウソかのどちらか)このような年齢による差別によって合否を決めていることは宮崎大に限らず様々な大学医学部で行われていて、泣きを見てきた再受験生はたくさんいる。

大学医学部側は入学時に「高い倫理観の持ち主以外の入学お断り」と公言しておきながら、ただ学校の「お勉強」ができるだけの「お子ちゃま」を入学させ、人間性の高く勉学意欲のある社会人経験者を「高齢だから」という理由で排除し、自らを総括し反省することは一切しない。


だったらいっそのこと入試の面接なんてやめてしまえ。さもなくばアメリカのメディカルスクールのように出願資格を社会人のみに限定せよ。