12/29
気付けば日付が変わっていた。
入院に必要な最低限の物を買って、運ばれた病院へ向かった。
そこは私の職場だった。
言われた病室へ向かうのは簡単だった。
父は忘年会に行っていた。酒を飲んだ後に温泉に浸かろうとしたら転んで頭を強打した、ということだった。
左耳のウラの骨を折って、それが太い血管を傷つけてしまい出血していることがわかった。(CTとレントゲン)
この検査ではその他に、歳の割に梗塞部位が多いということも分かった。
右側の頭にも損傷があった。多少ボケる可能性があると言われた。(父は左利きなので)
耳の出血が止まらなければオペをしなければならないが、ここではできないオペで、しかも命の保証はできないということだった。
ギリギリまで止血剤を入れていき、それで止まらなければオペになる という説明を受けた。
12/28
職場の人たちとご飯を食べる事になった。お店に電話しようと思ったら、家にケータイを忘れたことに気付く。
23時ぐらいに家に帰ると家中の明かりがついていて、姉が一人こたつで寝ていた。
少し不思議な光景だな、と思いながら電源の落ちたケータイを拾って充電をした。
すると、着信とメールが1件ずつ入っていた。どちらも母からのものであった。
要件は
「父が救急車で運ばれたから、至急連絡下さい」
いつの間にか2012年。
あれから2年もの歳月が流れ
私を取り巻く環境は大きく変化した
母は仕事を辞め、姉の面倒をみている。
姉はデイケアに通い、喋り方や考え方は幼い子供のようだが再発する事なく元気に過ごしている。
今もまだ働けないでいるが、もう少ししたらできるようになるかもしれないと言われて希望を持つようになった。
私は短大を卒業し、運良く地元の大きな病院に就職することができた。
このブログにまた戻ってきたのは、また綴らなければならないことができたから。
一生忘れちゃいけないような、そんな気がするから。
入院して5ヶ月がたったが
また退院が延期した
今日は久々に実家に帰ると
外泊許可のでた姉が寝そべっていた
あたしに会うなり
二階に行こう
と言うので
ついて行くと
写真の束を見せられた
どれがあんたと撮った写真なのか教えてもらっとこうと思って。
なんだか複雑な気持ち。
会話のキャッチボールも
今は難しいと感じた
そんな一日